≪手を動かさねばっ!≫

日常で手を使うことや思ったこと。染織やお菓子作りがメインでしたが、病を得て休んでいます。最近は音楽ネタが多し。

『本当の依存症の話をしよう -ラットパークと薬物戦争-』スチュアート・マクミラン (著, イラスト), 松本 俊彦 (著, 翻訳), 小原 圭司 (著, 翻訳), 井口 萌娜 (翻訳)

2021-01-20 14:45:07 | 本 (ネタバレ嫌い)


これは衝撃だった。  ← 星和書店の『本当の依存症の話をしよう -ラットパークと薬物戦争-』ページ
スチュアート・マクミラン氏の描いた漫画2作と松本俊彦氏と小原圭司氏の解説の読みやすい本である。

ラットパークというのはブルース・アレクサンダーという研究者が薬物依存をラットを使って研究するのに用いた装置のことで、それは独房スタイルのケージに1匹ずつではなく、広いスペースにウッドチップを敷き詰め、ラット同士が遊び、喧嘩し、繁殖し、社交できるよう何匹もラットを入れたものだ。ラットパークでのラットの振る舞いは独房とは異なることは容易に想像できるとおもう。薬物に対してはどうだったのか?
そして「薬物戦争」というのは、1971年6月17日にアメリカ大統領のリチャード・ニクソンが宣言したもので、それに対しニクソンの選挙アドバイザーのミルトン・フリードマンが早々に批判した。フリードマンが1930年代にシカゴで体験した禁酒法施行で起きたことがその根拠だ。
どちらも親しみの持てやすい絵柄で描かれている。また松本・小原両氏の解説も分かりやすく実際を説いている。


さんざん聞かせれてきた「ダメ、ゼッタイ。」は誤ったスローガンである。

「ダメ、ゼッタイ。」を疑ったことがなかったなあ。そういうものだ、と思っていた。
危険ドラッグを使えば ゼッタイダメな人 になってしまい、そういう人は社会的に抹殺されてしかるべきだ、というメッセージだ。使う人はたまたま弱者の立場に追い込まれた人たちなのだ、という視点がごっそり抜けている。それとも弱者は切り捨ててよい、というメッセージか?
絶対的に強い人もいなければ弱い人もいない。おかれた状況で人は変わる。自分はそちら側ではない、と言い切る人は想像力が乏しい。いつなんどき自分がそちら側に転がり落ちるか分かったものではないのに、そちら側を断罪するのがどんなに愚かなことか。明日は我が身。

そして つくづく人は社会性の生き物なんだなあ、と思った。孤立は病なんである。
COVID-19 で人と会うのが難しくなっている昨今、孤独がヒタヒタと身も心も蝕んでいくのを感じる人は多かろう。それと薬物とどう関係があるのか? いや、孤立の病が依存症となって表れるといっても過言ではない。

では孤立しないようにするにはどうすればよいのだろう?それはこの本には載っていなかった。
孤立は社会全体の大きな課題なんだと思う。自由と孤独はバーターではないと思うけれど、しがらみを捨てて気楽になった分ふと孤立に陥ったりするのかな。がっつりべったりではないけれど孤立はしていない、ちょうどよい距離を保ちやすい社会になるといいな、と思う。




 
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