ネットをやってるといろいろなことがあるものだ。楽しい思いをすることもあれば、腹が立つこともある。勝手な話を吹聴されたこともあったけど、誰一人としてそれを信じなかったこともあった。それは普段からの言動が大切だと思い知らされた件だった。
で、今回は久々に腹が立ったので、個人名以外のことをどんどん書かせてもらう。
先日起こったこと。
オープンでエロスな話をしている一団を発見。私もそれに混ざって面白く話をしていたのだ。ところが、その話に乗っていたらだんだん妙な話に。とある人がとある人をエロスな誘惑をしていたのだが、それが半分冗談なのは分かっていたけどおもしろいので煽っていたのだ。つまり、会いたいなら会ってしまえばいいのにという話だ。
ところが、だんだん話は妙な方向に。会えない理由があるとか、自分の年齢がどうとかいう話になっていく。一緒に話を聞いていた人も、そんなの関係ないと言うのだけど、会えない理由は初対面の人には理由など言えないと言い出した。でも、知人が精神的にどうとかその介護があるとか言い出した。そんなもん会えない理由なんかになるわけがないので、私は、それに対して自分の年齢だの状況だのを理由に自分がとるべき行動を取らないことは、意味のない足かせをはめているのと同じだと、あくまで一般論として言ったわけだ。
詳細が分からないので、一般論として語るしかなかったのだが、どうもそこで語ったことが図星をついていたのだろうか、あからさまに反応が薄くなり、もうその話題はやめろと言い出した。私はその時点でその人に対して語ってるわけじゃなくて、自分が勝手に自分の話をしているのだからその要請は断った。私が個人的な話をすることでその人が不快になる筋合いはないわけで、いやなら黙ってどっか行けばいいわけだ。すると突然反応がなくなり、その後脈絡のない話を不自然にしたあとにいなくなってしまったわけだ。
私はその態度に不快感を覚えたので、その時にきいたミクシィの方に、こちらも行き過ぎたことを言ったかもしれないが不自然なことをしたことを軽く指摘するようなメールを送っておいた。
この時点で、この人は論理的な思考が出来るタイプの人ではないのは分かっていたので、逆ギレしてくるか、返事がこないかと思っていたのだが、わりと配慮のある返事が来た。でも、内容は論理とはかけ離れているものだった。
私が語った内容は哲学的なものだとか、主観は論理とは別だとか、そういう主張があったんだけど、まあそれはともかくとして、私はちゃんと論理的に、科学的に言っているのに、それが自分の主観と相容れないからといって主観はひとそれぞれであるというようなことを言い出したわけだ。
そればかりか、自分はいろいろ調べて知ってるからあなたのいうことはわかるなんてことを言う。
いやいや、ちっとも分かってないでしょうw
こういう非論理的な人というのは、主観と客観の区別がついていない場合が多い。相手が客観で語っていても、自分は主観でしか語らないうえに、主観と主観、もしくは主観と客観が隔たりがあった場合、そのすりあわせを行ったり、論理的に比較したりすることができずに「主観は人それぞれだから分かり合えない」と諦めてしまうのだ。
「主観は人それぞれだから分かり合えない」とシニカルに言うのが大人であると勘違いしている人が多いが、これは間違いである。大人は違った価値観と相容るために妥協点を模索したり、自分の主観がおかしければ客観に近づけようとして人間関係を構築していくのである。それを拒否して自分の偏った主観を変えずに対話をやめるというのは、単なる島国根性である。
私と仲の良い人たちは、私と全く同じ価値観を持っているわけではない。しかし共通するのは、人は人、自分は自分という考えもありつつ、さらに相手の考えと自分の考えが共存できる方法を模索しようとしている。だから年齢も環境も違うのにうまくやっていけるのだ。だが、こういうことを一切しようとせず、自分を完全に受け入れる人としか信頼関係を築けないというのに、それが大人である風なことをいうのは、見ていて痛々しい。
確かに私はこういう人とは分かり合えない。でも、それはこちらに原因があるのではなく、こちらは互いの主張の差を相対的に理解して妥協点を探ろうとするのに対して、そういった行動を最初から拒否している人だ。しかも、それが大人な対応であると勘違いしているから困ってしまう。
さて、自分がオープンで勝手にプライベートな話を始めて、それに疑問を呈したら「あんたには話せない」的なことを言われてしまったら、なんだかなあと思うわけで。だったら最初から表で話すなよと。
しかも、送られてきた返事ではまたさらに39条がどうとか少年法がどうとか、新たな情報をちりばめてくる。語るなら語る、語らないなら語らないどっちかにしろってのに。なんでこういう話をすることになったのか分かってないのか。
それと、勝手に人の話を哲学だの主観だのと言うのも失礼な話だ。この人はこうやって自分の問題点から目をそらして生きて来たのだろう。
そして、こちらがそれらを説明した返事に対して、「もう私がおかしいことでいいから」とだけ返事を寄越してこっちをアクセス禁止にした。ていうかキタコレw
こりゃあ自分がうちのブログを荒らしておいて、逆にこっちが違法行為をしたかのように警察まで騙して私を中傷していた奴と同レベルじゃないか。まあ、中傷やら吹聴やらをしないだけマシだが、相手を不快にしてアクセス禁止にしてしまう時点で同レベルだ。腹立たしいことこのうえない。
自分がおかしいことにしていいからといえば自分が配慮した、自分が一歩退いたのだと言いたいのだろうが、人を殴ったまま逃げているのと同じ行為だというのは分からないのだろうか。それ自体がまた腹立たしいことや、自分がおかしいのならどうおかしいのかちゃんと理解して表明して訂正して謝ってから逃げてくれ。
つーか論理に対して何が哲学だ、バカにするのもいい加減にしろ。こっちゃあんたが正常な判断をしてないから、ちゃんと判断して幸せになるべきだと指摘したのだ。なのに敵意をむき出しにしてどうするのだ。余計なお世話だというなら、無視をするか最初から何も言わなきゃいい。善意を敵意で返す時点で、どうかしている。
それとも「ハイハイ私が悪うございました」といって逃げることで、私が気分がよくなるとでも思ったのだろうか。もしそうなら単なるきちがいだろう。自分の問題点を指摘されたことが悔しくて反発したいだけなのは見ればわかる。私に問題点を指摘されたくないなら私の前で問題点を露呈するな!!!!ボケれば突っ込まれる、そんなの世の中の摂理だろうに!!!!
最初に信頼されなかった人に対して関わると、こういう結果になるのは分かっていたので、やはり最初に感じた危惧通りの結果になってしまった。それでもあえてメールをしたのは、ちょっとでも改善をしたほうが良い状況にいると思えばこそだ。
自分の体験を含めて思うことだが、「普通じゃない状況に甘んじている人は普通じゃない」というのは事実だ。困難があって、それを抜け出すための行動を取ろうとしているかどうかでその人が正常な思考状態にあるかがわかる。困難に甘んじている人は普通の状態ではないということがよくわかる事例だ。
さて、あの人に関しては見かけたらふざけんなと言ってやることにする。
で、今回は久々に腹が立ったので、個人名以外のことをどんどん書かせてもらう。
先日起こったこと。
オープンでエロスな話をしている一団を発見。私もそれに混ざって面白く話をしていたのだ。ところが、その話に乗っていたらだんだん妙な話に。とある人がとある人をエロスな誘惑をしていたのだが、それが半分冗談なのは分かっていたけどおもしろいので煽っていたのだ。つまり、会いたいなら会ってしまえばいいのにという話だ。
ところが、だんだん話は妙な方向に。会えない理由があるとか、自分の年齢がどうとかいう話になっていく。一緒に話を聞いていた人も、そんなの関係ないと言うのだけど、会えない理由は初対面の人には理由など言えないと言い出した。でも、知人が精神的にどうとかその介護があるとか言い出した。そんなもん会えない理由なんかになるわけがないので、私は、それに対して自分の年齢だの状況だのを理由に自分がとるべき行動を取らないことは、意味のない足かせをはめているのと同じだと、あくまで一般論として言ったわけだ。
詳細が分からないので、一般論として語るしかなかったのだが、どうもそこで語ったことが図星をついていたのだろうか、あからさまに反応が薄くなり、もうその話題はやめろと言い出した。私はその時点でその人に対して語ってるわけじゃなくて、自分が勝手に自分の話をしているのだからその要請は断った。私が個人的な話をすることでその人が不快になる筋合いはないわけで、いやなら黙ってどっか行けばいいわけだ。すると突然反応がなくなり、その後脈絡のない話を不自然にしたあとにいなくなってしまったわけだ。
私はその態度に不快感を覚えたので、その時にきいたミクシィの方に、こちらも行き過ぎたことを言ったかもしれないが不自然なことをしたことを軽く指摘するようなメールを送っておいた。
この時点で、この人は論理的な思考が出来るタイプの人ではないのは分かっていたので、逆ギレしてくるか、返事がこないかと思っていたのだが、わりと配慮のある返事が来た。でも、内容は論理とはかけ離れているものだった。
私が語った内容は哲学的なものだとか、主観は論理とは別だとか、そういう主張があったんだけど、まあそれはともかくとして、私はちゃんと論理的に、科学的に言っているのに、それが自分の主観と相容れないからといって主観はひとそれぞれであるというようなことを言い出したわけだ。
そればかりか、自分はいろいろ調べて知ってるからあなたのいうことはわかるなんてことを言う。
いやいや、ちっとも分かってないでしょうw
こういう非論理的な人というのは、主観と客観の区別がついていない場合が多い。相手が客観で語っていても、自分は主観でしか語らないうえに、主観と主観、もしくは主観と客観が隔たりがあった場合、そのすりあわせを行ったり、論理的に比較したりすることができずに「主観は人それぞれだから分かり合えない」と諦めてしまうのだ。
「主観は人それぞれだから分かり合えない」とシニカルに言うのが大人であると勘違いしている人が多いが、これは間違いである。大人は違った価値観と相容るために妥協点を模索したり、自分の主観がおかしければ客観に近づけようとして人間関係を構築していくのである。それを拒否して自分の偏った主観を変えずに対話をやめるというのは、単なる島国根性である。
私と仲の良い人たちは、私と全く同じ価値観を持っているわけではない。しかし共通するのは、人は人、自分は自分という考えもありつつ、さらに相手の考えと自分の考えが共存できる方法を模索しようとしている。だから年齢も環境も違うのにうまくやっていけるのだ。だが、こういうことを一切しようとせず、自分を完全に受け入れる人としか信頼関係を築けないというのに、それが大人である風なことをいうのは、見ていて痛々しい。
確かに私はこういう人とは分かり合えない。でも、それはこちらに原因があるのではなく、こちらは互いの主張の差を相対的に理解して妥協点を探ろうとするのに対して、そういった行動を最初から拒否している人だ。しかも、それが大人な対応であると勘違いしているから困ってしまう。
さて、自分がオープンで勝手にプライベートな話を始めて、それに疑問を呈したら「あんたには話せない」的なことを言われてしまったら、なんだかなあと思うわけで。だったら最初から表で話すなよと。
しかも、送られてきた返事ではまたさらに39条がどうとか少年法がどうとか、新たな情報をちりばめてくる。語るなら語る、語らないなら語らないどっちかにしろってのに。なんでこういう話をすることになったのか分かってないのか。
それと、勝手に人の話を哲学だの主観だのと言うのも失礼な話だ。この人はこうやって自分の問題点から目をそらして生きて来たのだろう。
そして、こちらがそれらを説明した返事に対して、「もう私がおかしいことでいいから」とだけ返事を寄越してこっちをアクセス禁止にした。ていうかキタコレw
こりゃあ自分がうちのブログを荒らしておいて、逆にこっちが違法行為をしたかのように警察まで騙して私を中傷していた奴と同レベルじゃないか。まあ、中傷やら吹聴やらをしないだけマシだが、相手を不快にしてアクセス禁止にしてしまう時点で同レベルだ。腹立たしいことこのうえない。
自分がおかしいことにしていいからといえば自分が配慮した、自分が一歩退いたのだと言いたいのだろうが、人を殴ったまま逃げているのと同じ行為だというのは分からないのだろうか。それ自体がまた腹立たしいことや、自分がおかしいのならどうおかしいのかちゃんと理解して表明して訂正して謝ってから逃げてくれ。
つーか論理に対して何が哲学だ、バカにするのもいい加減にしろ。こっちゃあんたが正常な判断をしてないから、ちゃんと判断して幸せになるべきだと指摘したのだ。なのに敵意をむき出しにしてどうするのだ。余計なお世話だというなら、無視をするか最初から何も言わなきゃいい。善意を敵意で返す時点で、どうかしている。
それとも「ハイハイ私が悪うございました」といって逃げることで、私が気分がよくなるとでも思ったのだろうか。もしそうなら単なるきちがいだろう。自分の問題点を指摘されたことが悔しくて反発したいだけなのは見ればわかる。私に問題点を指摘されたくないなら私の前で問題点を露呈するな!!!!ボケれば突っ込まれる、そんなの世の中の摂理だろうに!!!!
最初に信頼されなかった人に対して関わると、こういう結果になるのは分かっていたので、やはり最初に感じた危惧通りの結果になってしまった。それでもあえてメールをしたのは、ちょっとでも改善をしたほうが良い状況にいると思えばこそだ。
自分の体験を含めて思うことだが、「普通じゃない状況に甘んじている人は普通じゃない」というのは事実だ。困難があって、それを抜け出すための行動を取ろうとしているかどうかでその人が正常な思考状態にあるかがわかる。困難に甘んじている人は普通の状態ではないということがよくわかる事例だ。
さて、あの人に関しては見かけたらふざけんなと言ってやることにする。