風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

足立論語の会

2016年01月07日 | 論語と
今年初めの論語。
恒例の「あらたしき」の朗詠があり、さらに「富士山」もお聞きいただきました。

               あらたしき 万葉集巻2,4516 大伴家持

家持最後の歌。
世の中の人々の幸せを念じる家持の心情はすがすがしい。
「新しい年の初めの、初春の今日降る雪のように、良いことが皆様のもとに、次々と積もり増すように祈ります。」


須藤先生は、「欲を少なくして、足るを知る」を説かれます。
もっと、もっとと思ってしまう自分の思いは、上昇志向とどう落とし前を付けていけばよいのか、いつも、問いかけること。
「心の住処」は、見いだせるのかな。

 今日は初心に戻って、文法学習をしています。
漢詩を読みながら、習慣として身のうちに収まっていることを、改めて、学んでみると、漢詩の奥行を感じ、通り一遍の解釈で済ませて、距離を置いていたことが、少しずつ身に迫ってくる。

わかったつもりになっていることの危険を、感じています。

今年も、良き年となるようものごとを、今までより、丁寧に考えてみよう。


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愛すべきもの

2016年01月04日 | こたろう語録
4日から7日まで、甥っ子の小学1年生が、やってきている。
暮れに、妹が一人でじぃじとばぁばの家に泊りに行ったのが羨ましくて仕方がなかった。
やっと、自分一人で、お泊りができると、喜び勇んで、やってきた。

彼は、僕のこと浮ェっていたが、やっと、ビビらなくなったので、僕も彼の手からおやつをもらってやったり、座っている足にすりすりして、サービスにつとめてやった。

彼は、なかよしになったと、大喜び。まぁ、ぼくもそうだけどね。だから、「愛すべきもの」に昇格してやったよ。

僕は、ビビリン電波が伝わってくると、どうしても神経質になるものだから、距離を置いて、つきあうことになったいたのだが、彼も、大人になったものだ。
そんな様子は、僕の名付け親で、彼のママが、ことのほか喜んでいるみたい。

じぃじは、妹のいる長男と言う位置をよく理解できるから、可愛がり方も格別となるし、ばぁばは、底抜けに父親に可愛がられたから、今度は、それ以上にかわいがろうとしている。


お正月早々に、ジィジは仕事を休めないから、毎日毎日、僕を置き去りにして、二人で仲良く出かけているんだよね。
みんながウキウキしている空気は、僕も好きだから、いい感じで、日々を過ごせるさ。

ある日、彼よりも母さんの方がウキウキして帰って来た。
どうやら、子供向けではない映画を孫と鑑賞すると言う念願のことを、思いがけなく早く実現したらしい。

母さんの想い出を覗いてみると、小学生の頃、父親に良く映画に連れて行ってもらった。

すごくうれしかったのだけど、明治生まれの父親は、冬になるととんびを羽織って出かけた。
それが嫌で、いつもは手をつながんばかりに歩くのだが、とんびが登場すると距離を置いて歩いた。それは、懐かしくちょっとしょっぱい思い出。
⇐とんび(インバネスコート)





「孫と、大人の映画を観たい」もっと、先のことと思っていたけど、今回実現したね。
いろいろと、なだめたり交渉をしたりでのことだけれど、絶対に面白いはずだからと決行したのだ。結果は,予想通り良好。
よかったねぇ、かあさんや。




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2016年 お正月

2016年01月01日 | こたろう語録
  あけましておめでとうございます



     今年もよろしくお願いいたします。


 
 
 
 
 
 
 
                2016年元旦


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