風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

夢松風12月1回目

2015年12月09日 | 詩吟
新しいテキストが届いて、会員さんにお渡ししました。

今日は、「楓橋夜泊」最初にお渡しした、縮刷本のコピーは、吟法変更前のものでした。
新しい教科書を使うにしても、手元にあるものは、きちんと訂正しておきましょう。

今日は、質問があったおかげで、細かいところを説明よりも実践で練習する時間を長くすることができました。

今後、体操にしても、吟法にしても、うんちくよりも、実践で指導願いたいとの申し入れがあり、そうだ、そうだ。
いいことを言ってくれたと、手をたたきました。

100回の練習を重ねて、昇段をしたりして、初心者を脱してくると、だんだんと、理論に走ってきていることに気づきました。

良いときに、良い助言をしていただいたものです。

楽器としての体を、より、質の良いものに高めるには、うんちくよりも、実際に声を出し、体を動かし、正しい呼吸法を身につけねば。

やはり、基本に戻っていくものだねぇ。

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どこいってたの?

2015年12月08日 | こたろう



               ひざの上でくつろぐぼく

此の処、連続で、留守をした母さんが、落ち着いて座ってる。
ひざの上は、あったかい。
安心して、喉が鳴る。ゴロゴロゴロゴロゴロ~~~



喉が鳴るってことは、やっぱり僕は、猫なんだねぇ。
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五似ん会二日目

2015年12月06日 | 徒然に日々のことを
PH9.5のお肌すべすべになる温泉を堪能し、やさしいお料理と素朴なもてなしを堪能しました。
もちろん、おしゃべりもだけれど、旅行が始まったころの飢えを見たすような超高速の会話ではなく、穏やかにのんびりとした、笑顔を交わし合う大人?の会話です。

朝もひと風呂浴びて、更にすべすべになった肌をうれしく思いながら、朝食。

足守の街並みを散策しながら、通り道のお醤油屋さんの古い建物に入り、へーぇと感心したり。








ランチの後、五似ん会は解散。
私は、せっかくの機会だから、足守からほど近いところにすんでいる別の友人と再会をアレンジしています。

彼女は、山の中に別荘モドキを持ち、そちらの方へ、連れて行ってもらい、ほんの少しの時間をお茶を頂きながら、ウランバートルに遊びに来てからの話に花が咲きました。

あっという間に経ってしまった数時間、ちっとも変らない彼女と、あえて良かった。
今度、こんな機会はいつになるだろうねぇ。
また、良い機会に、会いましょうね。






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五似ん会

2015年12月05日 | 徒然に日々のことを
今年も、五似ん会がやってきた。

去年は、富士山だったが、ことしは、岡山に戻って、足守の粟井温泉です。

足守http://www.okayamanishi.jp/ashimori/index.cgiとは、五似ん会のメンバーの一人の出身地でもある。学生の頃は、山深い田舎(失礼)と思い、朋友がいなければ、訪れるはずのないところという印象だった。


羽柴秀吉の水攻めで有名な備中高松城の西北にあり。
水攻めに利用された足守川の西岸に、江戸時代の古い町並みが多く残っています。
また、足守は幕末の蘭学者・緒方洪庵の生誕地でもあります。

さて、粟井温泉は、泉質の良い、心地よいひなびた温泉宿でした。
女性シェフの心にくい演出の料理は、目と舌と五感を喜ばせるもので、多すぎもせず、満足感のある献立です。


支配人は、うんちくを語るのがお好きなようで、泉質のこと、温泉のゆらいなど、あれもこれも、伝えねばとの強い意志でもって、語ってくれました。


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足立論語の会

2015年12月04日 | 徒然に日々のことを
先月菜根譚では、春風の如くと学び、今日の論語の三百四十章では、「愛しているからこそ、厳しくする時もある。」と、習う。
人が本当にその人を愛するなら、その人を立派にするためにその人を苦労させないでおかれようか。人が本当にその人に忠実であって、真心を持っているなら、これを教え導かないでおられようか。
すなわち、『かわいい子には、旅をさせよ。』と。

学びの道は、通り一辺には行かなくて、そのたびに心に訴えること、気づくことが、一筋ではないことを、思う。

逆のことを言っているように見えても、学びが深くなると実はそれは、同じことを言っていて、「うらはら」とは、手のひらの表と裏だったりするのに気づくことがある。
上っ面の学びしかない未熟なうちは、表と裏は別のものとしか受け取れないのである。

学びの質がもっと向上するまでは、そのたびに揺さぶられ続けるけれど、そのうち、細い流れが、太さと厚みを増して、さらにい巨大な流れへとつながって行くものと、知る。

細い流れの私は、そのたびに右往左往してしまうが、その右往左往こそが学びと、思える。
この右往左往を知る機会を失っていたかもしれないと思うと、チャンスの前髪を今回ばかりは、とらえられたのかなと、喜ぶ。


巧言令色 鮮(すくな)きかな仁。
孔子は、お世辞や迎合的な態度を嫌った。
心からの賛辞も、過剰に感じさせてしまえば、お世辞や迎合的態度ととられるでしょう。

そう思うと、物事をそのままにとらえて、そのままに伝えることがいかに難しいことなのか、わかってくる。

過ぎたるは及ばざるがごとしとは、どのような場面にも通用する言葉なのねぇ。




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