風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

足立論語の会

2015年12月04日 | 徒然に日々のことを
先月菜根譚では、春風の如くと学び、今日の論語の三百四十章では、「愛しているからこそ、厳しくする時もある。」と、習う。
人が本当にその人を愛するなら、その人を立派にするためにその人を苦労させないでおかれようか。人が本当にその人に忠実であって、真心を持っているなら、これを教え導かないでおられようか。
すなわち、『かわいい子には、旅をさせよ。』と。

学びの道は、通り一辺には行かなくて、そのたびに心に訴えること、気づくことが、一筋ではないことを、思う。

逆のことを言っているように見えても、学びが深くなると実はそれは、同じことを言っていて、「うらはら」とは、手のひらの表と裏だったりするのに気づくことがある。
上っ面の学びしかない未熟なうちは、表と裏は別のものとしか受け取れないのである。

学びの質がもっと向上するまでは、そのたびに揺さぶられ続けるけれど、そのうち、細い流れが、太さと厚みを増して、さらにい巨大な流れへとつながって行くものと、知る。

細い流れの私は、そのたびに右往左往してしまうが、その右往左往こそが学びと、思える。
この右往左往を知る機会を失っていたかもしれないと思うと、チャンスの前髪を今回ばかりは、とらえられたのかなと、喜ぶ。


巧言令色 鮮(すくな)きかな仁。
孔子は、お世辞や迎合的な態度を嫌った。
心からの賛辞も、過剰に感じさせてしまえば、お世辞や迎合的態度ととられるでしょう。

そう思うと、物事をそのままにとらえて、そのままに伝えることがいかに難しいことなのか、わかってくる。

過ぎたるは及ばざるがごとしとは、どのような場面にも通用する言葉なのねぇ。




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