風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

足立論語の会

2015年11月05日 | 論語と
今日の論語は、文字の説明でした。
論語をよりよく読めるようにと、漢詩に取り組み、詩吟もプラスして、今回は、文字の学習です。

読まない文字、同じ文字でも、前後の文字により、正反対の意味の接続詞となる。

面白い漢文の中での、漢字の使い方は、奥が深そう。
そう言う奥の深い文字をもち、様々な思想や、感情を彩りよく表している漢文を、須藤先生は、ご自身で解明しながら、読みといてくださっています。


論語の講座も、年を重ねるて、何回かお話を重ねて聞くようになると、1回目よりも、2回目3回目となると、理解が進んできたように思います。

章句の説明を聞きながら、先日心動かされた本の著者は、論語を知ってこの文言を書いていらっしゃるのかしらと、思うことがあります。


武士のバックボーンとなった論語は、今では、すべての人のバックボーンとなりました。
人を思いやる気持ちが大事と、言っています。

ごく普通の人が孔子に質問をすると、孔子はその人の理解度に応じた答えを下さったというくだりを読みました。

すべての人に愛をもって接する。これこそが「仁」と説く。
「仁」とは、奥が深く、様々な側面をもって、私の前に登場する。
そのたびに、捕まえたと思ったら、するりと逃げていく。


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優しい人

2015年11月03日 | 徒然に日々のことを
     ¥シ浦弥太郎のベーシックノートよりー

やさしい人にはならない。
冷たい人にもならない。

「ほんとうにやさしい人」になるのは難しいけれど、「やさしい人」だと言われるのは簡単です。真実から目を背けても、相手に快いことだけ言い、どんな結果を招こうと、その場しのぎでやさしくするならだれでもできます。しかし、やさしい関係性で育つものなど何もないと思います。意地悪くしろ、冷たくしてもいいという話ではありません。責任をはたし、何かを成し遂げるためには、やさしさでごまかさない強さも必要だということです。


 

情報とは自分の経験。
知識はほどほどに。

自分の経験しか、本当の情報にはなりません。見たり、読んだり、聞いたりしたことは、情報ではなく知識です。知識が増えると、自分のあたまでものを考えなくなります。だから、知識はほどほどに。
何でも知っている人ではなく、何でも考える人になりましょう「何も知らない自分」は何に対しても素直に向き合えます。世のなかには知識があふれています。放っておくと増える一方なので、時どき忘れる努力をしましょう。



100のベーシックの中で、立ち止まって考えてしまったのが、上記の二つを入れて全部で三つ。
あとの97は、どうでもいいというのではないのです。大事な言葉が連なっていましたが、今の私に考えることを始めさせたのが三つということです。



吟詠以外の顔をしているときは、限りなく優しい人になろうとしています。たぶんお相手の方たちも、変わらないかと。その時は、その先に起こることなど考えていないでしょう。

こと、吟詠となると、なまじ先が見えているつもりになっているので、きつい言葉を言い、人を傷つけてしまうことがあります。
冷たい人になっていないよねと、ドキドキするわけです。


そして、弥太郎さんの言う「知識」を良かれと思ってばらまいているのかもしれない。さらに、日々、いろんなことが好むと好まざるとにかかわらず、入ってきて、知ったつもりになっています。

弥太郎さんの「情報」は、経験であるという。
私は、その両者を取り違えておりました。
おっしゃる通りに、「知識」が増えると確かに、頭の中の引き出しを探すことに専念してしまい、さらに増やしたくなる。ただでさえ、整理しにくい頭の中の私の引き出しは、ごみの山と化しているようだ。
それは、それほど溢れていても、無いと同じこと。

今、私には、吟詠ということの強みがある。このことに関しては、気が付いたら考えているから、必要な物はいつも手元にあるし、即座に答えられる。
わからないことは、意外にも、わからないと答えられる。

きっと知識がたくさんあると、どれにしようかと躊躇して、わからないと答えるタイミングを失してしまうのかもしれない。
情報を与えられるかどうかは、自分の頭で、考えること。単純明快だ。


そして、最後の三つめは、

人の話を良く聞く。
もっと聞く。さらに聞く。


私の苦手とするところ。
苦手と十分知っているから、しゃべる。そして、更にしゃべるという悪循環。

たった一つの質問でも、私は、質問攻めにしているような気がしてしまって、聞く代わりに、また、しゃべることになる。


弥太郎さんは、「質問攻めではなく、自然に引き出しなさい、相手が話したくなる促し方をすることです。
人の話を良く聞くということは、人の心をいかに聞けるかにかかっています。」と結ぶ。


人の心を聴かずして、やさしいだけの人ではだめなんだ。ふるった薙刀は、その人のハートを直撃し、生まれるはずの心を殺してしまったかもしれない。
正しい情報と信じたものが、ただのうすっぺらい知識だったら、そういうことが起こるなぁ。


苦言と思って発した言葉が、いくつのハートを射抜いただろう。
そして、そこから、何が生まれただろうか、死んでしまっただろうか。。。

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すっきり

2015年11月02日 | こたろう




客人が帰って、いつもの日常に帰ったこたろうさん。
すっきりさんになりました。

今回は、三人で仲良くなるかなと期待したけれど、それぞれの部屋で、すみわけをしたままお別れでした。

14年間一人を通して、大人の中でのんびりゆっくり気ままに過ごしたこたろうさんのところに、2才の若者ふたりが、勢いよくやってきたら、避けるしかないよねぇ。

それで、一夜明けて今朝は、何事もなかったように、こんなすっきり顔になりましたとさ。
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同窓会

2015年11月01日 | 徒然に日々のことを
年にいちどの関東地区の高校同窓会開催。

東京の名所,東京タワー、スカイツリー、お台場、東京湾などが一望できるシーサイドホテル柴弥生《JRホテルズ》11階ふじの間にて。



会長以下、事務方の大変なご苦労のおかげで、毎年この時期に、懐かしい顔に会うことができます。



恩師は、ちょうど私たちの年代を教えられた古文と物理の先生が、はるばるお越しくださいました。

からっきしダメだった古文の先生には、合わせる顔がありませんが、こじつけで、今詩吟をしています。とご挨拶をしました。

そして、物理の先生には、もう一人化学の先生とお二人が、そのころ名物先生でしたが、お二人の、熱心な指導で、とても良い成績を収められたので、つい最近まで、私は「リケジョ」と勘違いしてましたとお伝えし、笑って頂きました。

おまけに今年初めて参加した方が部活の2年後輩で、陶潔ニになっていたという驚きがあり、嬉しい再会でした。
今年は作品展は、終わりましたが、来年も、その作品を東京で、見る機会があるようで、お知らせを楽しみにしています。

また別の女性は、最寄り駅沿線上に住んでいて、自彊術についてのお話を伺い実際に動きを試してもらうことができたり、新しい縁が増えることになりました。

同郷ということで、あっという間に穏やかな会話が始まり、視線を交わすだけで、思いが読み取れる。

この同窓会は、夢青葉が誕生するきっかけを与えてくれた大事な会です。

できる限り、お手助けをしたいと思いますが、幹事さんたちは、平気で仕事をこなし、気が付いたら、いつも手元に案内状が届いています。

また、来年も元気で集まりましょう。



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