大山の講習があるというので、喜び勇んで、出席申し込みをしました。
盛りだくさんの内容に、充実した二日間でした。
三種類の大山の展開は、目を見張りました。
それぞれを吟じ分けることは、難しいのですが、しっかり受け止めました。
そして、それ以上に目を見張ったのは、和歌の講習。
小坂永舟先生の声は、張りがあって、高い。
先生は、おっしゃった。「1本あるいは2本下げて和歌を歌っていますが、高い音で声を張って吟じましょう。
もうすでに何回か、7本で練習した後のことです。私は何の不都合もなく、7本で先生の先導のもとに、和歌を難なく吟じていました。
伝えたい気持ちと知りたい気持ちが相通じ合ったかのようでした。
5本でも吟じにくかったのに、今日は7本ですと言われて初めて、そうだ、いつもより高いと感じるくらい自然に和歌が口をついて出ていくのです。
口伝えとはまさにこのこと。一瞬で、伝えてしまった小坂先生の力を、ありがたくうれしく頂いた。
うれしい、和歌が、まがりなりに吟じている。ばんざーい。
苦手意識が、消えて行く。あとは、精進あるのみ。
教え伝えるってこういうことなんだ。
文字からの情報は、入りにくい私ではある。
「生の声で」と恋焦がれて今日の吟同大学に至ったわけです。
同じところで同じ空気を共有して、伝わってくる音の響きをキャッチするのが一番理想とする学びの形だと思う。
今日の、小坂先生の講習は、まさに口伝えで、伝えていただき、受け取った。
レコーダーは、生で伝えていただいたものをどうしようもなく薄れて行ってしまうところを、補うためのものだと思う。
そして、懐かしい岡山時代の後輩二人が参加していました。
地元あるいは近くで、精進なさってきたので、バッチは、お座布団付きです。
それでも、再会すると過去に引き戻されて、格上の方に向けて、ため口を聞いてしまう。
ごめんなさーい。
その上、鷺照先生のお引き合わせとしか思えない、出来事もあった。
それは、遅れてきてたまたま私の隣の席に座られた女性が、鷺照先生の教室で、私も卒業後すぐに練習を始めた時ご一緒していた方でした。
40年も経ったので、お互いにそれと認識しませんでしたが、二人の後輩から、そういう間柄だったと知らされて初めて知った次第。
その方は、最年長と思われる年齢で、鷺照先生と鷺照吟詠会をこよなく愛されている様子がはっきりと伝わってきます。
その隣に座ったご縁で、最後の感想を松尾先生が依頼に来られたのを、はるばる東京から来たのだからあなた感想を述べていらっしゃいと、押し出されました。
突然のことで、用意した言葉のないまま、壇上に立ち今日の感動を述べ、最後に心からの「ありがとうございました」が、自然に口をついて出ました。
後輩二人の話も出し今は格上になっていルにもかかわらず、つい偉そうにしている私の反省も述べました。
私の次に感想を述べたのは、その後輩二人のうちの一人で、広島の地で活躍している先生でした。
私の後輩に会ったとの話を受けて、今も、大切な先輩ですと言って頂きました。
その後に続く彼女の感想は、すべての講座についての感想と意見を理路整然と述べられて、鮮やかでした。
学びを堪能し、故鷺照先生との縁を再確認し、何も足りないもののない二日間でした。
そうそう、ホテルでは、名古屋の先生と同室でした。
高位の先生にもかかわらず、ざっくばらんで、いろんなことをお話していただきました。
かつて、東京の教室で共に練習をした方もご存じでした、今の様子をお聞きしたり、初対面の方とは思えないリラックスした一夜でした。
私のような気の利かない後輩との同室で、疲れさせたのではないかと気がかりです。
おかげ様、ありがとうございました。
会場の最寄りの駅からほど近くに住んでいる友人と連絡が取れて、終了後待ち合わせをしました。
京都駅まで、付き合ってくれて、えきなかを散歩しながら、おしゃべりをしてコーヒー屋さんで、思いがけなく長くおしゃべりをしました。
手作りの海苔巻を夕食にと藻て来てくれたので、新幹線で食べることとして、コーヒー屋さんを出た後も去りがたく、広々とした通路にしつらえてあるベンチに座って、ぺちゃくちゃ。
この、ゆったりとしたベンチは、おばちゃんには格好の場所だ。
せっかく来たのにと、どこにも案内せんとごめんなぁと言ってくれた友人も、この年になると、おいしいものや珍しいところもうれしいけれど、おしゃべりが一番のご馳走やねと言う。
増して、今日は、一仕事終えてからの中途半端な時間なのだから。
来てくれてありがとう。海苔巻、おいしかった。
お花の用事で、こちらに来て、泊まることになっていた娘が、12時少し前に帰宅した私を出迎えてくれて、そこから、またひとしきりおしゃべり。
娘もどちらかというと、感覚人間なので、今日の講習での収穫の報告話は、苦労せずに伝わって、更に、ダメ押しの締めになりました。
こんな、幸福感は、何かを続けてやってきたことのご褒美だねぇと、華道二十年選手の娘だからお互いに味わえるものかと、ひとしお。
盛りだくさんの内容に、充実した二日間でした。
三種類の大山の展開は、目を見張りました。
それぞれを吟じ分けることは、難しいのですが、しっかり受け止めました。
そして、それ以上に目を見張ったのは、和歌の講習。
小坂永舟先生の声は、張りがあって、高い。
先生は、おっしゃった。「1本あるいは2本下げて和歌を歌っていますが、高い音で声を張って吟じましょう。
もうすでに何回か、7本で練習した後のことです。私は何の不都合もなく、7本で先生の先導のもとに、和歌を難なく吟じていました。
伝えたい気持ちと知りたい気持ちが相通じ合ったかのようでした。
5本でも吟じにくかったのに、今日は7本ですと言われて初めて、そうだ、いつもより高いと感じるくらい自然に和歌が口をついて出ていくのです。
口伝えとはまさにこのこと。一瞬で、伝えてしまった小坂先生の力を、ありがたくうれしく頂いた。
うれしい、和歌が、まがりなりに吟じている。ばんざーい。
苦手意識が、消えて行く。あとは、精進あるのみ。
教え伝えるってこういうことなんだ。
文字からの情報は、入りにくい私ではある。
「生の声で」と恋焦がれて今日の吟同大学に至ったわけです。
同じところで同じ空気を共有して、伝わってくる音の響きをキャッチするのが一番理想とする学びの形だと思う。
今日の、小坂先生の講習は、まさに口伝えで、伝えていただき、受け取った。
レコーダーは、生で伝えていただいたものをどうしようもなく薄れて行ってしまうところを、補うためのものだと思う。
そして、懐かしい岡山時代の後輩二人が参加していました。
地元あるいは近くで、精進なさってきたので、バッチは、お座布団付きです。
それでも、再会すると過去に引き戻されて、格上の方に向けて、ため口を聞いてしまう。
ごめんなさーい。
その上、鷺照先生のお引き合わせとしか思えない、出来事もあった。
それは、遅れてきてたまたま私の隣の席に座られた女性が、鷺照先生の教室で、私も卒業後すぐに練習を始めた時ご一緒していた方でした。
40年も経ったので、お互いにそれと認識しませんでしたが、二人の後輩から、そういう間柄だったと知らされて初めて知った次第。
その方は、最年長と思われる年齢で、鷺照先生と鷺照吟詠会をこよなく愛されている様子がはっきりと伝わってきます。
その隣に座ったご縁で、最後の感想を松尾先生が依頼に来られたのを、はるばる東京から来たのだからあなた感想を述べていらっしゃいと、押し出されました。
突然のことで、用意した言葉のないまま、壇上に立ち今日の感動を述べ、最後に心からの「ありがとうございました」が、自然に口をついて出ました。
後輩二人の話も出し今は格上になっていルにもかかわらず、つい偉そうにしている私の反省も述べました。
私の次に感想を述べたのは、その後輩二人のうちの一人で、広島の地で活躍している先生でした。
私の後輩に会ったとの話を受けて、今も、大切な先輩ですと言って頂きました。
その後に続く彼女の感想は、すべての講座についての感想と意見を理路整然と述べられて、鮮やかでした。
学びを堪能し、故鷺照先生との縁を再確認し、何も足りないもののない二日間でした。
そうそう、ホテルでは、名古屋の先生と同室でした。
高位の先生にもかかわらず、ざっくばらんで、いろんなことをお話していただきました。
かつて、東京の教室で共に練習をした方もご存じでした、今の様子をお聞きしたり、初対面の方とは思えないリラックスした一夜でした。
私のような気の利かない後輩との同室で、疲れさせたのではないかと気がかりです。
おかげ様、ありがとうございました。
会場の最寄りの駅からほど近くに住んでいる友人と連絡が取れて、終了後待ち合わせをしました。
京都駅まで、付き合ってくれて、えきなかを散歩しながら、おしゃべりをしてコーヒー屋さんで、思いがけなく長くおしゃべりをしました。
手作りの海苔巻を夕食にと藻て来てくれたので、新幹線で食べることとして、コーヒー屋さんを出た後も去りがたく、広々とした通路にしつらえてあるベンチに座って、ぺちゃくちゃ。
この、ゆったりとしたベンチは、おばちゃんには格好の場所だ。
せっかく来たのにと、どこにも案内せんとごめんなぁと言ってくれた友人も、この年になると、おいしいものや珍しいところもうれしいけれど、おしゃべりが一番のご馳走やねと言う。
増して、今日は、一仕事終えてからの中途半端な時間なのだから。
来てくれてありがとう。海苔巻、おいしかった。
お花の用事で、こちらに来て、泊まることになっていた娘が、12時少し前に帰宅した私を出迎えてくれて、そこから、またひとしきりおしゃべり。
娘もどちらかというと、感覚人間なので、今日の講習での収穫の報告話は、苦労せずに伝わって、更に、ダメ押しの締めになりました。
こんな、幸福感は、何かを続けてやってきたことのご褒美だねぇと、華道二十年選手の娘だからお互いに味わえるものかと、ひとしお。