風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

電話

2005年01月28日 | チンゲル亭過去日記

「ヒョウジケンガイ」と電話のディスプレイに表示されるときは、オーストラリアの夫からの電話である。

電話代が多分高いと思うのです。
先週末からの現地は、携帯の電波の届かないところに移動したので、ホテルの電話でしか、通信手段はありません。

その、電話もバーの中にあるため電話での話がしにくいようで、プリペイドカードを買ってパートナーに迷惑のかからないときに外の公衆電話からかけてきているようです。

ウランバートルよりも条件の悪いところです。
ファックスも、無いわけではないがあてにならない、しかも、ネットは不通という状態の僻地に居るわけです。

’73年に結婚したのですが、そのころは、日本国内でも直通でかからない場所がありました。
しかも、男社会の会社ですから、出張先から、家に電話をするのは、一番の若造だった事もあってかなりはばかられるのでした。

そのため、出張に出かけたら、音信不通が当たり前でした。
通信手段が無いのですから、私もあきらめていたのです。

今では、007の映画に出てくるような、通信機器が夢物語ではなくて、普通に使える世の中になってくると、だんだんに「待つ」「がまん」「あした」という言葉が消えていって、今すぐ確かめる野が当たり前で、却って、不安を増幅させてしまうようになっています。

仕事中であろうが、外出中の移動中であろうが、その場所に声を届かせる事が出来るのは便利なようで、不便なのではないだろうか。

今すぐ、瞬間に考えて答えを出さねばならなくて、「ちょっと待ってね」のちょっとが限りなく短くなっているのです。

心が同調しているときは、同じことを考えているから、すぐに答えは出るでしょうが、もし、そうでないときは、じっくり考えてから答えを出さねば、間違った返事になるのですから。

出した手紙が2ヵ月後に届き、そのまた返事が3ヶ月かかってという時代を経験している私たちは、幸福だったのかもしれない。

小さい娘を抱えて、不安もかなりあったはずなのですが、今となっては、離れてあれこれ想像したり、帰って来たとき娘たちが泣かないようにいろいろと工夫したり、とても、豊かに楽しい時間の事しか思い出さないのです。
心のスペースがひろかったな、という気がします。
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