風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

日本語教師

2006年04月14日 | ことば
 日本語教師の専門家のM 先生の帰国報告会でした。
日本語の授業開始が1975年モンゴル国立大学で始まりました。
1990年には副専攻だったのが主専攻になり、学ぶ人が66人になりました。その頃学んだ人が、今モンゴルの日本語教育を担っている人たちです。そのころは、人口1万人に対して日本語を学ぶ人が66人。
2003年には、9080人にもなっているそうです。
2005年には、その人数が韓国を抜いて世界1位になりました。


日本語教育の始まりは、学術的、文化交流が主なものでしたが、今では経済交流に変わってきています。
たとえば、ITエンジニアなどの専門家が日本語を学び始めています。
そして、首都UBだけでなく全土に向けた、ラジオ講座、あるいは、地方への日本語教師の進出が始まっています。

そんな中で大きな課題は、日本人の日本語教師が少ない。
モンゴル人の日本語教師の待遇が悪い(小中学校の日本語教師の月給は60ドル)ため人材の流出が続きしたがって勤続年数が短いということです。
そして、教条主義的な教授法がいまだに続けられている。

日本人の日本語教師が一人でも増えることが望まれています。
団塊の世代のボランティアを希望する中高年富裕層に期待を寄せるところです。
そして、モンゴル人教師への給与助成の充実が望まれています。

教条的ではない教育とは。
鮮烈・緻密・自由と言う目標を掲げておられました。
視聴覚教材を使い学習に結びつけること。
一人一人の学生のデータを収集し分析する、クラス全員の名前を覚える。
コニュニカティブな授業を目指す。
と言うことです。

その他、日本モンゴルセンターで行なわれている各年齢層にあわせたたくさんの講座や、去年始まったラジオ講座について、話されました。
ラジオ講座の本は、4,000冊も売れたそうです。
現在モンゴル語を習っている人のほぼ半数に昇ります。
ラジオ講座も、地方へ向けて再放送が始まり、インターネットですでに放送されたものを聴くことが出来ます。
若い人向けに、アイャbトのような装置で繰り返し聞けたり更新したり出来るように思案中だそうです。

最後に、SAVE THE CHILDRENへのボランティアについて、とても感謝されているので、これからも考えて行きたいとおっしゃっていました。
細々と続いているボランティアですが、教師陣が充実したら、このような末端部分にもちゃんとした教師が派遣され、私はその教師のお手伝いを心楽しく続けられたらほんとに良いのにと心から思います。

日本人の日本語教師がたくさんモンゴルに来ること、そして、モンゴル人の教師が日本語教育検定試験に合格する人を一人でも増やす(現在ゼロ)ことが急務です。

建国800年のイベントにたくさんの日本人が来ることになるでしょう。
その中の一人でも、モンゴルの現状を知り、ボランティアをしたい人が生まれてくれるといいなぁ。

専門家のこのような報告会を傍聴するのは、初めてです。
SAVE THE CHILDRENのご縁で、出席しても失礼ではないだろうと判断し、来週手助けにきてくださることになった、友だちの留学生を伴って行きました。
とてもよい話に、彼女は「私たちって団塊の世代よね」と言っていました。彼女のような人が日本語教師になったら良いのにと思うのですが、少しは気持ちが動いたのかしら?それは、私の勝手な考えです。
コメント    この記事についてブログを書く
« 凍ります | トップ | 腰の痛みが取れました。 »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。