風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

山田先生

2015年05月08日 | 体を整える
整体を施してもらったり、井本整体の体操を指導していただくときに、私は、何の制約もなく喋りにしゃべることがある。
施術にプラスして、何のコントロールもなくたまった言葉を喋りにしゃべって、吐き出すことで体を軽くすることができています。
先生の施術の中には、このカウンセリングのようなものは、入っていないのですが、施術中に黙っていなくて良いので、こういう私にとってありがたい展開になりました。

そんな会話というより、一方的な私の喋りのなかから、山田先生が日頃感じていることと私が考えていること感じていることが、思いがけず一致附合することが多々あって、二人で驚き、喜びあい、笑い合う。

なんて幸せなこと。

心と体と教えたり教えられたり、すべてがつながり響きあい、助け合っていることを思う。

昨日の論語のあとのカラオケ特訓でのこと。

そこで息継ぎのひつようはありますか。
息継ぎをしても、揺るがないお腹をしてますか。
頭高の音をさりげなくだせませんか。
頭高の音を出すためには、おなかの準備が必要です。
そして、支えられた息に乗せて声を出せば、破裂しない柔らかな音が出せますね。
息を使いきることができたら、最後は快感ですね。
息が足りない足りない、どこで息を次ごうかと考えなくても、息は自然にすうことができますよ。
大きな間を置く必要のあるところ、そこは、大きな息を遠慮なく吸えますね。
そうではないところは、息を盗むか、息継ぎをしないで続けることを考えましょう。

絶句の結句に、弐段上げに続いて大山が出てくる箇所があります。
弐段上げを心おきなく声を伸ばして、そして大山に至るところで、息つぎをしないと、次の大山の最後まで息が続かないと恐れることはありません。

「そこで息継ぎをしなくてはいけませんか?」その一言で、弐段上げの後に無駄に息継ぎをしなくても最後の大山が息絶え絶えにならなくても吟じきることができました。

その中には、上記のたくさんの項目を体で表現する必要があるのです。
こまごまと説明のあとで、その吟法を吟じてみるのとでは、大きな手間暇がかかります。

一瞬で体が理解するのは、女性には良くありますが、男性では珍しいことでした。
いつもは、言葉を多くすればするほど、本当に伝えたいことから遠ざかっていくので、四苦八苦です。

吸わなくてもはいてくる息のこと、丹田に力がこもっていると、きっと横隔膜が柔軟に動いていて、呼吸は自在に操れるものなのだということ、山田先生は、すごくよくわかってくださった。





そして、固まったところをほぐしてくれる整体は、多いけれど、長年使い続けてゴムのように伸びきってしまったところをを引き締めてくれる整体は、あまりないようだと、おっしゃった。
山田先生の指導の下、体操をしながら、自分の体では、伸びきっていたことすら知らなかった体の部分が、引き締められたり、伸ばされていることを実感しつつあることです。
その感受性も、鍛えてもらっていると感じています。



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