風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

足立論語

2015年05月07日 | 論語と
今日のこの会は、何というタイトルなんだろうなぁ。
呼び名が二転三転したので、ついうっかりする。
第一木曜日が足立論語 第三木曜日は、菜根譚と詩吟の会だったよね。

ぼんやりしている私は、その場所にその時間に須藤先生のお話が聞けるんだ、楽しいなぁ。
と、出かけるのである。

名前とかタイトルとか、あまり気にしていないので、説明する時にいつも困ることがある。
それでも、何とかやってきたけど、今の立場になると困ることが増えてくるのは、やはり、伝えるためのツールとして、呼び名は、大事なのだねぇ。

母の晩年を思う。母は何もかもなくしたのではなく、その呼び名を忘れたから、意思の伝達ができなくなっただけだったのだ。
その、思いや一番大事な心は、みずみずしく感受性豊かであったのではないかと、今にして気づく。

以心伝心を超えたテレパシーとか超能力的な心を読む能力があったら、よかったなぁ。。。





今日の先生の警告  
「論語」を万能の薬だと安易に解釈せず、その言葉、その一文字が示す教えの真意を、自ら熟慮することで、よろしく活用頂きたいと

さて、私は、その熟慮するところまで到達していないから、ただただ、先生の言葉を正しく受け取ることに心がけよう。

五月のテーマは,泰伯第八を読む(論語185)
泰伯は孔子の言う究極、理想の徳を備えた人だった。
孔子の言う至徳とは。

私にはとても及びの付かないことだ、だって、ちょっと頑張っただけのことでも、みんなとは言わないまでも、ャCントの人には知ってほしいとあからさまするのだから。

しかし、なぜ泰伯は父の意を汲み弟に王位を譲ったのか。そしてその善行が人目につかないようにあえて、王位継承の資格なしとまで言われる形に動けたのか。

その表の形よりも、泰伯の真意は?
   それはね、「徳を超越した至徳」ですよ。
              う~~ん、至徳

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