風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

夢青葉1月

2015年01月23日 | 詩吟
今年初めての夢青葉。
今月は第4週金曜日。1週間伸びたら、ずいぶん長く間が空いたと感じ、待ち遠しかった。

二人は来たのだけれど、あと一人が来ない。

その間、話に花が咲く。伝えたいこと、伝えねばならないこと、しゃべりたいことが、次々と出てくる。
練習の時間い食い込んでしまう。
ま、それも良し。

三人目は、メールで連絡が来た。体調が悪くてお休みだ。
来月を楽しみにしているとのメールに、ほっとしている。


待っている間に例のごとく話が弾みすぎた。
おかげで、気持ちがいつになく念入りにほぐされたので、ちょっと思い切った告知やお願い事もすんなり告げることができ、受け入れられた。


昨年は、参段の昇段試験に合格し、さらに今年の秋は、1年が過ぎるので、四段の受験資格がある。
今年から、昇段のタイミングがずいぶんと早くなったのです。

夢青葉のメンバーは、弐段に合格して二年を待って参段の受験資格を得たのが去年のこと。
今までなら、二年の経過後四段の受験となるが、今年からは、1年の経過後に四段の受験が可能となる。
果たして、1年で四段相当の力が付くものだろうか。

また、秋に一緒に四段受験をする人の中には、三段を受けて二年間みっちり研鑽を積んで、人間的にも学んでこられた人が居る。

月に一回の練習で、一年の後に受ける夢青葉の会員と、改定前の決まり通り、三段合格ののち、二年間可能な限り他教室にも通って練習を積んでこられた方とが、並んで受験するなんて、きっと、穏やかならざるものがあることでしょう。


今年の秋の四段の受験については、四段相当の力が付いたと確信できなければ受験はみおくらねばと思う。
本人には、自信をもって受験してもらいたい。
「そのために、あとから来た人に追い越される可能性が有るとしたらどうですか?」と質問したら、全然平気と答える。

よっし!それなら、覚悟を決めて、今までイメージしていた通りの練習で、続けていくことにしよう。


そして、夢青葉の三人は、今年の1月1日付で、三段に昇格しましたから、お名前を頂くことになります。
芦孝先生の「芦」の字が上について、「芦○」となります。

心血注いで、ここまで育ってくれて、いざ産声を上げる名前を私は付けてあげることができない。
私は、いわば姉の立場でしかない。
親は、あくまで「芦孝先生」なのだ。

今は、私は師範。今年その上の高師範の申請をすることになっているが、それでも、まだ、届かない。
上の上の資格である「総師範」を頂かなければ、名前を付けてあげられないのだ。

ブランクがなければ、などという「もし、たら。。。」は、言っても仕方がない。

たぶんこのお名前については、初めてゼロから指導させていただいた会員さんたちだから、その思いは、格別に強いものだと思う。

私自身は、今は、芦孝先生のもとに居ながら、最初にご指導を受けた佐藤鷺照先生に頂いたお名前のままなのです。

大好きな先生の「照」の字を頂いて、私の好きな字と組み合わさったお名前は、大事な大事な宝。

お名前とは、会のトップにいらっしゃる方の字を頂くのが、習わしだからね。
良い字と巡り合って、一生涯大好きで満足するお名前になってくださいね。
先生に選んでいただきますか、それとも、相談しながら、自分で探しますか?


さて、今日の律詩吟題は、「鳳凰䑓」
私にとって、この「鳳凰䑓」は、学生の時同級生と連合吟を鷺照会の練成会で発表させていただきました。そして、会の講評に、鷺照先生の師匠であられる伊豆丸鷺州先生にが、若者らしい元気な吟詠だったとおほめいただき、うれしくて鼻高々だったという、栄光の想い出がある。

今から考えると、もしかしたら、最晩年の鷺州先生が岡山まで来てくださったことと、鷺照会発祥のタイミングとを考えると、鷺照会の創立の会だったのかもしれないと、今頃うかつにも思い至った次第。

その時、会い方と歴然たる実力の差があったにもかかわらず、平気で連合吟ができたのは、自分の姿が見えていなかったことだ。
当時、レコーダーなど持ち歩ける時代ではなかったから、外で行った吟詠を録音していた人は皆無のはず。

おかげで、自分の姿を鏡に映して見返すこともなく、想像の世界で、私は合い方に伍して戦っていたと勘違いができていたのだ。

自画自賛、自己満足の可愛い十代の私だったこと!

あの、懸命に駆け巡っていた私は、撫でさすりたいくらいに懐かしくいとおしい。



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