風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

東京芦孝会中央会7月

2013年07月28日 | 詩吟
7月の東京芦孝会中央会
朝、駅前のパン屋さんで、ランチを買っていくのが、恒例となっています。
たまに、そこで、コーヒーを召し上がっている方が、いて、日本の交通機関はすごいねぇ。
私の乗ってくる電車は、狂いなく同じ時刻に到着する、やがて、今というタイミングでパン屋さんの入り口から、私が入ってくるのが見えると。

今朝のご挨拶でした。

いつも、この電車に乗ろうと走っても、ゆとりを持ってのんびり歩いていても、ドアに滑り込みさえすれば、朝のじたばたはなかったかのように、詩吟だけで通用する肩書を顔に張り付けて、涼しい顔で、パン屋さんの入り口に立てるのです。

なんだか、おかしいねぇ。

東京芦孝会中央会となると、なんだか、体を固くしていることが多いのですが、この言葉で、リラックスしたのでした。

体操をして、リラックスしようと言っている本人が、緊張していてはねぇ。
あわてて、ミスをしたり、拘ったり、じたばたする私をみていて、こういう風な会話で、緩くしてくれる人もいたんだなぁ。




このところ、私のこだわりで、腹を立てることが多かったのが、なんだかつまらないこだわりに取りつかれていた。
詩吟とは全く関係のないことからのほうが、心の凝りがほぐれた。


学生時代に指導してくださったのは、もちろん先生とよんでいたものの、隣の四大の吟詩部の大先輩でした。「2年しかないと思うな、3年分は教えてやる。お前たちを女とは思わない」と心を込めて叱咤激励しつつ詩吟とはを体にしみこませるようにご指導いただきました。

『「女」とは思わない』という言葉を、今の今まで誤解していたのに気づくのでした。
あの時代には、まだ蔑視が色濃く残っていたのに、先生は、「人として」私たちを遇していてくれたのでした。
決して「女」を捨てろと言ったわけではなかったと。

今更に、先生のすごいところが、見えて驚いたのです。

「人としてある」ということは、ものすごいことだ。
「女なのだから○○すべき」に反発してきた私は、先生の教えの方向を間違っていたかもしれない。
その証拠に、卒業して、佐藤鷺照先生の教室へ通うようになったとき、凛とした吟をなさる本当にたおやかな女性だと、感動したのになぁ。

              人としてあること


「男子学生のごとく」と「人としてあること」は全然違うよね。
でも、古は、男は人であるが、女は違った生き物と考えられていたものねぇ。間違っているとおもいつつ、その中にどっぷりつかっていたのも女の私。
それなのに、つい声高に叫び怒るのは、子供のすること。大人にならねば。
~~宿題だ~~

コメント