欠席した20日の関吟東京芦孝会の秋の錬成会は滞りなく終わったことと思います。
山口先生を迎えての、研修は、会員の意識向上になったはず。
会員の気持ちをすいあげて、どのように進めていくのか、指針も出来上がることでしょう。
その場に居られなかった私は、感想が届くのを待っているしかない。
忌憚のない意見もお聞きしたいと思っています。
そして、今後の夢組の方針に、加えるものを早く知って対策を立てたいと思います。
20日は、父と兄の33回忌そして、母の13回忌の法事で、ふるさとの菩提寺におまいりをしてきました。
子どもの頃は、この丘を駆け巡っていたのに、今では、はぁはぁと息切れしながら、やっとのことでたどり着くという有様。
父が気に入って手に入れた墓地というだけ有って眺めは最高、涼しい風が10月にしては、気温の高い晴れた日の私たちの汗を、心地よく冷やしてくれました。
昔は、木製だった橋が、倍の幅になってコンクリートの頑丈な橋脚にかわり、野球のグランドと、商業高校の建物、国道の車の行きかい、そして、港へと流れこむ川のおわりの大きな水門、そして港、係留された漁船、近景では丘の斜面に、柿のたわわになって枝のしなっている様子、名も知らない野の花が風にそよいでいる。
どれも、美しくて、懐かしくて、安らぎました。
両親が居なくなり、住んでいた家も姿を変えてしまいました。ふるさとは、もうなくなったのかと思った時期も有りましたが、やはり、家族がそろって幸せに過ごしていた頃の空気は、今もそのまま残っていました。やわらかく包まれて、安心の出来るところです。
そして、もう、そこには生活の基盤の無くなった私には、温かく迎えてくれる人など居ないと思い込んでいましたが、たくさんの人が、暖かい声をかけてくれて、今も、私の居る場所は有るように感じました。
誰にも会わずに、お墓参りをだけをして、まっすぐに帰っていた私は、そんなに暖かい懐かしい気持ちを持ち続けていてくださったことを、知る機会がなかったのです。
もう少しゆとりを持って、ふるさとと向かい合う時間を出来る限りたいせつにしよう。
忘れないで居てくれて、ありがとう。
山口先生を迎えての、研修は、会員の意識向上になったはず。
会員の気持ちをすいあげて、どのように進めていくのか、指針も出来上がることでしょう。
その場に居られなかった私は、感想が届くのを待っているしかない。
忌憚のない意見もお聞きしたいと思っています。
そして、今後の夢組の方針に、加えるものを早く知って対策を立てたいと思います。
20日は、父と兄の33回忌そして、母の13回忌の法事で、ふるさとの菩提寺におまいりをしてきました。
子どもの頃は、この丘を駆け巡っていたのに、今では、はぁはぁと息切れしながら、やっとのことでたどり着くという有様。
父が気に入って手に入れた墓地というだけ有って眺めは最高、涼しい風が10月にしては、気温の高い晴れた日の私たちの汗を、心地よく冷やしてくれました。
昔は、木製だった橋が、倍の幅になってコンクリートの頑丈な橋脚にかわり、野球のグランドと、商業高校の建物、国道の車の行きかい、そして、港へと流れこむ川のおわりの大きな水門、そして港、係留された漁船、近景では丘の斜面に、柿のたわわになって枝のしなっている様子、名も知らない野の花が風にそよいでいる。
どれも、美しくて、懐かしくて、安らぎました。
両親が居なくなり、住んでいた家も姿を変えてしまいました。ふるさとは、もうなくなったのかと思った時期も有りましたが、やはり、家族がそろって幸せに過ごしていた頃の空気は、今もそのまま残っていました。やわらかく包まれて、安心の出来るところです。
そして、もう、そこには生活の基盤の無くなった私には、温かく迎えてくれる人など居ないと思い込んでいましたが、たくさんの人が、暖かい声をかけてくれて、今も、私の居る場所は有るように感じました。
誰にも会わずに、お墓参りをだけをして、まっすぐに帰っていた私は、そんなに暖かい懐かしい気持ちを持ち続けていてくださったことを、知る機会がなかったのです。
もう少しゆとりを持って、ふるさとと向かい合う時間を出来る限りたいせつにしよう。
忘れないで居てくれて、ありがとう。