例年秋に開かれる関東地区の高校同窓会は、震災のため取りやめになりました。
それは、とても残念で、一年も待てないという希望が多かったのでしょう、3月に開かれると緊急案内が来ました。
早速出席の返信を。
秋は、誰もが忙しい時期で、なかなか時間の取れない人もあったことでしょう。
3月も何かと気ぜわしいときではありますが、出席できる人も居て、新しい顔ぶれのあることを期待して、その日を待ちましょう。
その案内の中に、いつも新聞が同封されるのですが、年に一度のことですから、タイミングは前年度の新聞となるわけで、もう24年となってしまった今でも、平成22年の同窓会新聞の同封でした。
平成22年というと、ちょうど、関東地区同窓会に同窓会長が回って来られたので、出席者全員の写真と関東地区のトピックも記事になったのです。
22年は、同窓生2名を含む3名で、詩吟の会「夢青葉」が誕生しました。
詩吟の先生として、名前入りで紹介されましたから、故郷の人たちは、「あいつが、詩吟の先生!」と驚いたことでしょう。
あの頃、自分でも漢詩、まして詩吟など何処を叩いても、出てこない、自分ですら思っても居なかったことだからねぇ。
ビートルズやジョーンバエズ、PPMの時代だったもの。
私の詩吟への道は、その頃抱いていた夢が、第一志望の大学に不合格になることから始まっている。
幸か不幸か、学校の教師にはなれなかったけれど、今は、詩吟を教える身。
人生とは、何処かで符号が合うようになっているのかなぁ。
そんなことを、はがきを投函しながら、思ったのでした。
故郷で、その新聞はとっくの昔に届けられ、それを読んだ人はもうすっかり忘れていることでしょう。
昔人間の私には当たり前のはずのその落差を、ネットという即時性の生活に浸っていると、つい忘れてしまっている。
今生きているスピードは、本当は私が生きていくスピードではなく、借り物だと言うことを忘れると、あっと思ったときに、置いて行かれるぞ。
一通の封書が、イエローカードを、くれた。
まだ、かろうじて付いていっているスピードだけれど、時に、降りて呼吸を整え、興奮をなだめ平常心へ導く作業は、必至だな。
それは、とても残念で、一年も待てないという希望が多かったのでしょう、3月に開かれると緊急案内が来ました。
早速出席の返信を。
秋は、誰もが忙しい時期で、なかなか時間の取れない人もあったことでしょう。
3月も何かと気ぜわしいときではありますが、出席できる人も居て、新しい顔ぶれのあることを期待して、その日を待ちましょう。
その案内の中に、いつも新聞が同封されるのですが、年に一度のことですから、タイミングは前年度の新聞となるわけで、もう24年となってしまった今でも、平成22年の同窓会新聞の同封でした。
平成22年というと、ちょうど、関東地区同窓会に同窓会長が回って来られたので、出席者全員の写真と関東地区のトピックも記事になったのです。
22年は、同窓生2名を含む3名で、詩吟の会「夢青葉」が誕生しました。
詩吟の先生として、名前入りで紹介されましたから、故郷の人たちは、「あいつが、詩吟の先生!」と驚いたことでしょう。
あの頃、自分でも漢詩、まして詩吟など何処を叩いても、出てこない、自分ですら思っても居なかったことだからねぇ。
ビートルズやジョーンバエズ、PPMの時代だったもの。
私の詩吟への道は、その頃抱いていた夢が、第一志望の大学に不合格になることから始まっている。
幸か不幸か、学校の教師にはなれなかったけれど、今は、詩吟を教える身。
人生とは、何処かで符号が合うようになっているのかなぁ。
そんなことを、はがきを投函しながら、思ったのでした。
故郷で、その新聞はとっくの昔に届けられ、それを読んだ人はもうすっかり忘れていることでしょう。
昔人間の私には当たり前のはずのその落差を、ネットという即時性の生活に浸っていると、つい忘れてしまっている。
今生きているスピードは、本当は私が生きていくスピードではなく、借り物だと言うことを忘れると、あっと思ったときに、置いて行かれるぞ。
一通の封書が、イエローカードを、くれた。
まだ、かろうじて付いていっているスピードだけれど、時に、降りて呼吸を整え、興奮をなだめ平常心へ導く作業は、必至だな。