24年初の夢青葉お稽古
二回目の錬成会は、彼らは本番に強いと言うことを挨拶として、新年らしい何かは無しで、いつものように練習が始まりました。
体操・アイウエオの詩の朗読・「お」で発声練習といつもの手順。
詩の朗読は、先導をしたTさんが、ずいぶん早く読みました。そのスピードに、すんなり他のお二人も付いていって何事もなく終わる。
「早いね」と一言有るかと思ったのですが、なし。
そして、そんなに早い速度であったことを、指摘されるまで、誰も気がつかなかった。
始めた頃のよたよたとした朗読から、進歩を遂げたことが新年早々から確かめられました。
このことで、早く朗読をするのが良しとして、無理なスピードで朗読をすることのないように、抑制をかける必要を感じました。
ここに来て、「抑制」が必要となったことを驚く。
詩吟は、梁川星巌作 「芳野懐古」の復習。
Nさんが、最初に独吟を発表。
これまた、本人は何も自覚していなかったのですが、転句の高い音に力がこもってきました。
カラオケ上手のNさんは、詩吟も流してしまう傾向にあり、それがご自身は良しとしていました。
カラオケ上手から、楽に詩吟に入ったので、ちょっとした誤解があり、高い音の出し方にかなりの誤解と私の説明不足があって、何だか、気に入らない音だったのが、詩吟らしくなった発声でした。
そのことに、T参も気づいたようで、良くなったと褒めていました。
練成会効果かもしれません。Nさん曰く、懇親会で感想を述べた人の一言が、心に刺さるものがあったと言っていました。
それが、まさにキーワードは「カラオケ」だったのです。
そして、伴奏の最後の音は必ず三であること。詩吟は、必ずしもその高さで始まるものではないことが、今日の練習で、身をもってわかったのでした。
そして、自分の吟の高さは本当は何?と考え始めたのです。
Yさん、基礎に忠実に吟じる様子と、声にどんどん張りが出てくるのが、喜び。
変な癖を出さずこのまま、このまま伸びていったら、すごいことになる。
こんな吟をする人は、特別に指摘することがないので、ご本人はコメントが欲しいと思うのだろうなぁ。
でも、今は、このまま、このまま、裾野を広げましょう。
Tさんは、自分の吟をしている。
アクセントとわたりは、この人の個性だから、一応指摘はする。直しなさいとは言わない。
Nさんの発声について、つい長々と薀蓄めいたことをしゃべって時間をとってしまいました。
今日の吟題の藤井抽Oの「芳野懐古」は、一通りの発声をして、音取りをするに終わることになりました。少し、言葉が多すぎ、休憩も長すぎた。
つい熱が入ってしゃべりすぎてしまうのと、質問が出るようになったのとで、時間が足りない。
質問には、懇切に説明し、私の一方的なしゃべりは減らして、声をもう少し出すことに時間を当てねば、もったいないことになると反省。
時間の流れを体に覚えるために、30分、あるいは1時間置きにタイマーでも設定しようかと思う。
その上で、3時半で一応の締めをして、その後は、予定のない人の時間に当てることにしなければ。
テキストと副読本の問題も、悩ませることになってきた。
自分の都合の良い方をと言いつつ、私も指導のときは副読本にしがみ付いているのだから、説得力はないよね。
副読本にしがみつくのは、吟じこんでないからで、「教えるからには、正確にしたいから」とは、言い訳だなぁ。
副読本は、諸刃の剣だなぁ。
今日は錬成会の後の始めてのお稽古でした。
三人がそれぞれ、思いもかけず飛躍していたことに驚き、私ってこれほどのことを教えていたのだろうかと、いぶかる。
あまりにしゃべりすぎて教え込もうとするよりも、彼らの吸収力に敬意を表して、淡々と声を出す事の方がずっと、彼らにも私にも良いのではないかと真剣に思う。
最初の1年は、ずっと声を出していたなぁ。
中央会からの連絡事項も最小限に留め、理論より実際と、それに、慣れない彼らのために私は彼らの倍の時間声を出していた。
その、音が体にしみこんでいたということなのかなぁ。
体で覚えること覚えさせることと、言いながら、最近はどうしても言葉で教えようとしていたことを反省。
まだ彼らは、初段を取ったばかり。声出し、声出し。
彼らは少し効率よく声を出せるようになったし、詩吟になじんできたから、2時間の練習で休憩は必要なくなって来たと思う。
今以上のコミュニケーションは、また、別の形を考えればよい。
友達関係と言うのも有って、彼らは私が疲れるだろうとの配慮があるのだろうなぁ。
そんな配慮は、いらないのに。ありがたいことです。
二回目の錬成会は、彼らは本番に強いと言うことを挨拶として、新年らしい何かは無しで、いつものように練習が始まりました。
体操・アイウエオの詩の朗読・「お」で発声練習といつもの手順。
詩の朗読は、先導をしたTさんが、ずいぶん早く読みました。そのスピードに、すんなり他のお二人も付いていって何事もなく終わる。
「早いね」と一言有るかと思ったのですが、なし。
そして、そんなに早い速度であったことを、指摘されるまで、誰も気がつかなかった。
始めた頃のよたよたとした朗読から、進歩を遂げたことが新年早々から確かめられました。
このことで、早く朗読をするのが良しとして、無理なスピードで朗読をすることのないように、抑制をかける必要を感じました。
ここに来て、「抑制」が必要となったことを驚く。
詩吟は、梁川星巌作 「芳野懐古」の復習。
Nさんが、最初に独吟を発表。
これまた、本人は何も自覚していなかったのですが、転句の高い音に力がこもってきました。
カラオケ上手のNさんは、詩吟も流してしまう傾向にあり、それがご自身は良しとしていました。
カラオケ上手から、楽に詩吟に入ったので、ちょっとした誤解があり、高い音の出し方にかなりの誤解と私の説明不足があって、何だか、気に入らない音だったのが、詩吟らしくなった発声でした。
そのことに、T参も気づいたようで、良くなったと褒めていました。
練成会効果かもしれません。Nさん曰く、懇親会で感想を述べた人の一言が、心に刺さるものがあったと言っていました。
それが、まさにキーワードは「カラオケ」だったのです。
そして、伴奏の最後の音は必ず三であること。詩吟は、必ずしもその高さで始まるものではないことが、今日の練習で、身をもってわかったのでした。
そして、自分の吟の高さは本当は何?と考え始めたのです。
Yさん、基礎に忠実に吟じる様子と、声にどんどん張りが出てくるのが、喜び。
変な癖を出さずこのまま、このまま伸びていったら、すごいことになる。
こんな吟をする人は、特別に指摘することがないので、ご本人はコメントが欲しいと思うのだろうなぁ。
でも、今は、このまま、このまま、裾野を広げましょう。
Tさんは、自分の吟をしている。
アクセントとわたりは、この人の個性だから、一応指摘はする。直しなさいとは言わない。
Nさんの発声について、つい長々と薀蓄めいたことをしゃべって時間をとってしまいました。
今日の吟題の藤井抽Oの「芳野懐古」は、一通りの発声をして、音取りをするに終わることになりました。少し、言葉が多すぎ、休憩も長すぎた。
つい熱が入ってしゃべりすぎてしまうのと、質問が出るようになったのとで、時間が足りない。
質問には、懇切に説明し、私の一方的なしゃべりは減らして、声をもう少し出すことに時間を当てねば、もったいないことになると反省。
時間の流れを体に覚えるために、30分、あるいは1時間置きにタイマーでも設定しようかと思う。
その上で、3時半で一応の締めをして、その後は、予定のない人の時間に当てることにしなければ。
テキストと副読本の問題も、悩ませることになってきた。
自分の都合の良い方をと言いつつ、私も指導のときは副読本にしがみ付いているのだから、説得力はないよね。
副読本にしがみつくのは、吟じこんでないからで、「教えるからには、正確にしたいから」とは、言い訳だなぁ。
副読本は、諸刃の剣だなぁ。
今日は錬成会の後の始めてのお稽古でした。
三人がそれぞれ、思いもかけず飛躍していたことに驚き、私ってこれほどのことを教えていたのだろうかと、いぶかる。
あまりにしゃべりすぎて教え込もうとするよりも、彼らの吸収力に敬意を表して、淡々と声を出す事の方がずっと、彼らにも私にも良いのではないかと真剣に思う。
最初の1年は、ずっと声を出していたなぁ。
中央会からの連絡事項も最小限に留め、理論より実際と、それに、慣れない彼らのために私は彼らの倍の時間声を出していた。
その、音が体にしみこんでいたということなのかなぁ。
体で覚えること覚えさせることと、言いながら、最近はどうしても言葉で教えようとしていたことを反省。
まだ彼らは、初段を取ったばかり。声出し、声出し。
彼らは少し効率よく声を出せるようになったし、詩吟になじんできたから、2時間の練習で休憩は必要なくなって来たと思う。
今以上のコミュニケーションは、また、別の形を考えればよい。
友達関係と言うのも有って、彼らは私が疲れるだろうとの配慮があるのだろうなぁ。
そんな配慮は、いらないのに。ありがたいことです。