風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

松戸教室

2012年01月28日 | 詩吟
24日の松戸の詩吟教室は、看病中の娘の家から出かけました。
まだ、本調子ではない娘を置いて、出て行くのは、かわいそうだったけど、教室を休むわけにはいかないという思いで、ぶっちぎりで出かけました。


電車が進むに連れて、後ろから引っ張られる感じが強くなって、失敗だったかな、潔くお休みすればよかったか、留守のうちに、症状が悪くなっていないかと、心配が渦巻いていました。

以前は、決めたら、一切迷わず突き進んだのですが、孫のことなどを思うと心乱れるのでありました。
そういえば、幸いにも娘たちは、健康でたいした病気もせず、心配をかけなかったよねぇ。
それだけでも、感謝だなぁ。

常磐線に乗り換える頃になったら、何とか気持ちを切り替え、さてと、考えました。
今日は、1時間の練習にしていただこうと決めたのでした。

快く承諾していただき、練習をはじめました。
前回、「九月十三夜」の練習が始まり、説明部分は終わっていたので、声を出しに出しました。

繰り返し繰り返し、男性のみ、女性のみ、両方とも、高さを変えてと、様々試みて、いろんな手ごたえがありました。

Oさん、よほど練習をしたか、録音を聞いてくださったか、音が安定してきました。
そして、音の高さも、少し高めがよいとおっしゃるので、一つ高くしました。

コンダクター無しでも、吟じてもらいましたが、思ったより安定していて、細かい部分の音の安定を図り、一緒に吟じて音の変化を良く聴いてもらうことをするという課題を発見。

こんなに早く、コンダクター無しを試してみるのは、夢青葉での経験があったからです。
手放すことで、安定した音が出せるのがわかり、音感の良い人たちだと、わかったのでした。

これで、中音にもどるときに、きっちりと正しい高さを保つようにするには、どうすればよいかと課題をもらいました。

1時間でも、これだけ集中して行うと、満足感が得られたと、思うのは、私だけだったかしら。

何もかも忘れて、集中して声を出したことで、すっきりさわやかになり、身のうちが充実して来たのには、うれしい驚き。
今日の練習は、私のためにあったかのように、感じました。






娘と孫の世話はちっとも大変ではなく、むしろ、病人には申し訳ないくらい楽しんでいたはずでしたが、知らず知らずのうちに何だか溜まっていたものがあったようです。
足取り軽く娘と孫の元へと帰って言ったのです。

ここまで、心身が軽くなると、娘のことをあれだけ心配しながら出かけたときのことが嘘のように、楽天的な気分になり、飛んで帰るところを、途中のスーパーへ寄り道するほどでした。

娘も、様子が良くなっていて、出かけるときの「置いていかれる」と言う顔をすっかり忘れて、帰りを喜んで迎えてくれました。

あー、出かけたことを悔いるようなことになってなくて、ほんとに良かった。

思いっきり声を出して、発散して、フットワークが軽くなって、おかげさまでした。
              
              詩吟の効用ここにあり



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