風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

レディ ホーク

2010年07月13日 | 風のこたろう裏日記
ナバールとイザベール。イザベールは、レディ ホーク、ナバールは、ウルフ。
ナバールは、夜になるとウルフに、イザベールは昼になるとホークに。夜と昼、昼と夜の狭間のほんの一瞬に,二人は人間として会うことが出来る。悲恋である。こんな苦しいことはないだろう。映画は、ハッピーエンドに終わるけれど、人間の男と女、夫と妻は、どれだけの人がすれ違わずに、同じ種として見えることができているのだろう。幸せに向かう人と、何時までも交わらずに苦しんでいる人たちも居るのかもしれない。出来ることなら、映画のようにハッピーエンドに、なると良い。 ----- --------

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僕はテレビを見る

2010年07月13日 | こたろう語録
僕は、テレビを見る。

草原を飛ぶ鷹を目でおいかける。
草原の草の揺れる中を飛ぶ、チッチッという鳴き声に、興味を惹かれる。
それから、また、鳥が出てこないかと、眺める。










かあさんは、映画を見る。
今日は「レディー ホーク」

ナバールとイザベール。
のろいにかかった二人は、否応なく狼と鷹に変身する。
夜は、ナバールが狼に、昼はイザベールが鷹に。

夜と朝が、夕暮れと夜とが入れ替わるとき、ほんの一瞬だけお互いを人の形で認めることが出来る。悲しい悲しい、苦しい苦しい悲恋物語。

映画は、ハッピーエンドに終わって、ほっとした。

だけど、かあさんはおもうところがあったようだ。

現世のおとことおんなは、本当に同じ種として交わっているのだろうか。
永遠に、すれ違いのままのふたりもいるだろうし、違っているのに気がついてないとか、ハッピーエンドを絵に描いたような二人も居るんだろうなあ。。。とね。

男は、俺様一人という感覚が強いだろうし、女は子供を生む性として、何事も同化するものという感覚だからなぁ。
友達関係、家族関係でも同じことがいえるなぁ。


ぼくには、パートナーと呼べる人が居ないし、はじめから母さんとは猫と人間とだったから、苦しみなんてなかったね。

はじめから、違う種が同じ場所を共有していると知っていたんだから。
そこからのスタートは、わからないのが当たり前、分かり合えた気分になったときに単純に喜べばいいのだから。

僕は、かあさんといっしょで、しあわせだよ。
そばにいるとうれしくて、ごろごろと喉がなる。

かあさんのように、むずかしく、否定的な考えはおもいうかばない。

にんげんっていうのはねぇ、考えすぎてるよね。

にんげんっているのはねぇ、思い悩みすぎてるよね。




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