風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

痛い! その2

2010年06月22日 | こたろう語録
今日の家の温度は、30度 68%って、かあさんが言ってた。

エアコンはぼくはきらいだから、母さんが一日スイッチをいれなかったので、たすかった。

母さんは、暑い日に僕は毛皮を着ているからといって、エアコンをつけたまま仕事に言ったことがあるけど、僕は、エアコンの効いた部屋に居たためしがない。

それで、母さんは、電気代がもったいないからねといって、つけないで行くようになった。それでいいんだよ、かあさん。


母さんは、一日びっしょり汗をかいていた。
かおをしかめたり、うっといわなかったから、ひざが痛くないらしい。
やっぱり、エアコンが悪いんだねぇ、冷えるんだよ体が。

髪は白くしてるし、びっこを引いていたら、ほんもののおばあさんだからね。
中身は、しょぼくないってことは、僕は知ってるけど、知らない人のほうが多いからねぇ。

いずれにせよ、いたみがないってことは、ぼくも平和でいられるってもんだ。




僕のお気に入りのメ[ズ、足はこんなふうになってるから。
滑り落ちないように、しっかり足で支えて、手は大名気分。


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三叉中断す

2010年06月22日 | 詩吟
今日のお休みの日は、吟友の詩吟のテープをながして、「月夜三叉口に至る」の練習です。ちょっと動いただけで、汗びっしょりです。
それで、一休みでPCの前。

今朝、ひざの痛みのためお稽古を休会にしてくださいと、手紙を書きました。
大輪神刀流の小西如泉先生への、書面は、これで三度目。

引き伸ばしつつ欠席の連絡をするのが、申し訳なくなってのことです。
痛み止めを必要としなくなるほど、痛みが治まれば、却って舞を舞うことで足腰の筋肉の鍛錬になり痛みと訣別する可能性が出てきます。
整形外科のドクターも腿の筋肉を強くすることを勧められました。

今は、まだ、舞を始めるのは無理と思い、せっせと、腿上げの体操をしています。

それなのに、家で舞の練習を???意味不明ですよね。

つまり、それは、26日に詩吟の会から、ケアセンターにいろんな出し物を用意して出かけることになっているので、その練習です。

これは、どんなことがあっても参加したいのです。
舞の練習をお休みしていたので、付け焼刃は承知で、ひざが痛くても自主練習です。

まず、舞の流れをおもいだして、つなぎの所作を徹底してやりました。
これは、ひざに負担をかけないで、イメージを多用し、吟を良く聞いて、呼吸を合わせます。
といっても、当日の吟は別の人たちの合吟ですから、タイミングはかなり違ってくると思います。

そこで、重要になってくるのが、つなぎの動作をよく体に思い出させて、伸びたり縮んだりする詩吟のペースに合わせていくのが重要になってきます。

うん、私って、短時間にこういうコツを体得したものだと、自画自賛。
指導してくださった先生も、普段の練習とは違うエキスの部分も余計に教えてくださったからねぇ。ありがたいことでした。

自分をほめて、自信過剰ぐらいに舞わないと、お年寄りへのインパクトはないからねぇ。かといって、人生の達人の前には、ばれるときはばれる。
そんな浮ウがある。

その気が無くてもそこに運ばれている方もあるはずで、そんな方の内のたった一人にでも「ん?」と思ってもらいたいなぁ。

痛みに負けそうで、後ろ向きになりそうだったこの一ヶ月あまりなのに、お年寄りのことを考えるだけで、前向きになれるのは、おとしよりパワーかもしれない。

お年寄りにパワーをさし上げたいと思ったら、逆に貰うことが多いから。
きっと、これもそうだ。
そして、ついでのように、父と母にあらためて手を合わせる。
両親が年取ってから生まれた私に授けられたものかもしれない。

帰国して、無気力感にとらわれていたとき、力を貰ったのはお年寄りからだった。
お年寄りのことや母がいたらどうしてもらいたかったかをしきりに考えていたとき、詩吟復活しかないでしょうと、思い至ったわけだし。

集中力が高まったせいなんだろうか、朝からまだ痛み止めを飲んでない。
この調子なら、注射は打たなくてすむかもしれないなぁ。
前日にある「いなほ会懇親会」のとき、エアコンにやられないようにサメ[ターをしていこう。

「三叉中断す~~・・・」最初の振り付けから何度も変わって、今の、より詩舞らしい振り付けになったのは、お二人の先生のおおらかなお気持ちのおかげです。

詩吟でも、ねばならぬを振り回さず、こだわらず、出来たらいいなぁ。
初心者のうちから、そんなことは無理かなぁ。

基本を全うして、そして、こだわりを捨て、おおらかになれるのが順当な成長というものだ。
吟暦は長くても、先生としては生まれたてなのだから。
高望みはよそう。
先生として、これから、幾度失敗を繰り返すことか。早くも前途多難の気配あり。


痛みで上の空で過ごしていたこの一ヶ月あまり。
その半分は、主人の出張で、こたろうと二人の時間を過ごしています。

上の空ですごしていても、詩吟の声を出す部分と、仕事の伝票のチェックは、体で覚えたことだから、多分、大きな影響は無かったのではないかと思います。

それは、ほんとにありがたいことです。

ただ、苦手な部分や初心者の部分には、どんな影響があったのか、それを教えてくれる人は、いない。

夫という厳しい判断をする人がいないことで、自分の予想以上に上の空で、痛みにとらわれていたことをつい数日前に知り、おっと、危ないと思ったこと我に返ったのでした。

これで、ほんとに病気で、絶えず痛みにさらされている人のことを思うと、私の場合は階段を避けたり、体をひねることをしなければ、ほぼ痛みは起こらないのだから、軽いものだと思う。

今は、我慢のしどころなんだろう。
今のこの時期に、痛みが起きたのかということは、何かの思し召しと考えたらいいんだろうなぁ。
それって、何への思し召しなのか、確かにはわからないところがみそなのかも。

私は、それは何と考えたいのかな。


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