風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

膝痛

2009年04月02日 | 風のこたろう裏日記
7月の友達との北海道トレッキングツァーを取りやめにする。

五似ん会の仲間のうち、二人は去年久しぶりに会ったときから、体調が整わなくてはじめから不参加表明をしていたのだが、私も不参加組みになるとはねぇ。

マラソンをするボスから、そろそろ日程をと言うメールでいろいろと相談したのだけれど、普通の旅行とは違うので、やめたほうがよさそうだと結論。

そして、運動療法士のいるスメ[ツセンターで筋トレを勧められる。

ネットで、検索して総合スメ[ツセンターに問い合わせて、ジムの登録をすることに決めました。

詩舞を舞いながら、体がなんとなく決まらないのを感じていたので、いろんな意味で筋トレは必要だと、納得したのです。

初回は、予約をして問診の後ストレッチと機械の使い方の指導を受けました。
二回目は、カレンダーの丸印の有る時間に残りの説明を受けた後、登録カードを受け取ると言う段取り。

そのあとは、いつでも好きな時間にジムを使うことが出来る。

一つの情報が入ると、次の情報が入ってきた。

総合スメ[ツセンターよりかなり近いところに、東京武道館があることを今頃になって思い出す。

そういえば、母の介護に入る前に、通っていたな。
何で、忘れていたのだろう。

問い合わせると、事務の管理は民間委託されているようだけれど、基本はかわらない。

そして、初回から予約の必要がなく、30分ほどの説明を受けて利用開始となるとのこと。

スメ[ツセンターは、入館料300円のみ。
武道館のジムは、2時間450円。
いずれも、民間のジムのことを考えると、超お買い得。(^^♪

スメ[ツセンターは、自転車で20分弱、武道館は歩いても15分くらい。
近いほうが、何かと通いやすいかなぁ。

先週の土曜日、スメ[ツセンターの2回目に行ってカードを受け取るつもりで出かけたのだけれど、余りの冷えに、なんだかきぶんが。。。
おまけに、前回と違う道を通ったらなんと反対方向に進んでいて、気が付いたらほぼ家の近くまで逆戻りしていた。

危機を感じて、そのまま自宅へ逆戻りした。

やはり、武道館かなぁ。

早々と帰宅した私を見て、様子を聞いて「取りやめる勇気だね」と。

そうだったのか、それとも、怠け虫なのかは、わからないなぁと、思う私でした。
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誕生日

2009年03月22日 | 風のこたろう裏日記
今日は、私の誕生日。
61才です。

今日は、関西吟詩文化協会 東京支部の月例会でした。
10周年大会に向けての準備がたけなわ。
実行委員会が発足し委員が決められたときは、まだ、モンゴルにいたので、委員に連なっていない私は、帰国後も皆さんの忙しいのを尻目に、さっさと練習が終わると帰宅していました。

今日は、なぜか委員会に招集されて端近の席に座ったのですが、もう、今となっては、オブザーバーとして座っていても、何もしなかったなぁの思いをかみ締めるだけで、座っているのは、少々苦痛。

しかし、食事をしながらの会ですから、そんな思いを気取られないでいるくらいのことは、年を重ねたお陰でお茶の子さいさい(笑)

関吟の古い仲間として、帰国直後からお手伝いさせてくださいと申し出て委員の末席で参加も出来たのです。
それをしなかったのは、ちょうど、母の介護で休眠状態に入った直後に東京支部昇格となり、その10年の歴史の中にいなかった私は、委員になるとは言えるはずもありません。

今日、初めてお誘いを受けて、オブザーバーとして参加をしたわけです。
今日になってなぜ、お誘いがあったのかしらねぇ。

皆さん、プライベートを犠牲にして大変な思いをして今日まで来たわけです、そして来月の中央会がリハーサルの運びになったのです。

私は、委員として参加できない分、会を盛り上げるのに何か出来ないかと考えたとき、詩舞を習って花を添えることを思いつき、野田先生に提案しました。

来月のリハーサルに舞ってみて、皆さんの判定を受けることになります。
それは、去年の11月に決心して習い始めたのですから、花を添えられるかどうかは、私にも未知数だからです。

それまで、懸命に習い、ゴーサインが出たら、又さらに精進するわけです。
さて、どうなりますやら。

詩舞は10回の練習をして、やっと全部の振り付けが通りました。
来週から、どのようなお稽古になるのでしょう。
先生は、昔詩舞を習い今は新舞踊の師匠ですから、詩舞の習熟度を、周りの人と比べることが出来ません。来月の、リハが楽しみやら、浮「やら。

飲んだ席の発案とはいえ、良くぞ野田先生も最後までノーといわなかったことだと感心。
野田先生は、「やると決めたらやるひとだから」と一言おっしゃってくださいました。

無謀なことを始めたものだと、今更に思っているまな板の鯉。
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心に響く言葉

2008年11月04日 | 風のこたろう裏日記
オルティンドーの先生のあやこんさんの10月25日の日記から、以下にコピーさせていただきました。
  (いとしのオルティンドー  http://blog.livedoor.jp/urtynduu/

           ☆☆☆☆☆

これ、私には心に響くんです。ことばだけだと説教くさい感じもするんだけど、切ないメロディーにのせると、いいんだな、これが。
私が2004年に第一子出産した直後、ちょうど来日していた留学時代のわが心の友、若手実力派オルティンドー歌手ホンゴルゾルがうちに遊びに来てくれて、歌ってくれた歌なのです。
訳だけのっけときます。

***

心平らかに(サナー・テクシヘン・ヤワーライ)

うまくいっている暮らしを
できることなら大事にしなさい
軽はずみなことをしでかさないように
気をつけて避けてゆきなさい

行い正しく
心平かにゆきなさい
月もあればまやかしもある世の中を
よく見極めて物事をのみこみなさい

永遠の伴侶はひとりだけ
いつも大事にしていなさい
仲間を支えて
行い平らかにゆきなさい

誰でも心は傷つきやすい
口にすることばに気をつけて
茶色い心臓の奥底から
人に敬意を払ってゆきなさい

           ☆☆☆☆☆

ありがとうございました。
「何者であろうとしているの?」と、自分で自分に問うたのは、つい昨日の事。

あせる気持ちをなだめてもらいました
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着物って 2

2008年09月30日 | 風のこたろう裏日記
来年は、錬成会ではなく、本部からの招待客に今の東京支部の実力のほどをお見せする(顕示する?)大きな目的がありますから、それなりの格式のある着物でなくてはならないことになるのでしょう。

今から気の張ることばかりが目に付いて、緊張を増すことばかり。
晴れの舞台ですから、そして、10年の歩みを知らしめる場で巣から、先生始め、理事の皆さんの気遣いは並大抵のことではないでしょう。

気楽にぽんと言うわけには、、、いかないなぁ。。。。。

私の着た着物は、母が縫い花嫁道具に入れてくれたものでした。
一度も手を通すことがなく、今回始めて、しつけを解いたのです。

母の縫う着物は着易いと評判でした。遠くから、人が反物を持って依頼に来ていたようです。
そういう母に、反抗していたのか、着物を着ることは5本の指でも余るほどしかなかったのです。

娘の手によって着せ付けられていると、むかーしむかし、着たときの紐の苦しさを思い出しました。
娘の着付けは、ちっとも苦しくなく心地よいのです。
好きで自分で着るようになり、母にも着せ付けられる孫の姿は、亡き母にとって心からうれしいことでしょう。
多聞、そのあたりで、見守ってくれていたことでしょう。

母ちゃん、着物着たよ。

これは、無理やり呉服屋さんに連れて行かれ、あれだったら着てもいいと指差したのを覚えています。
それは、母の予算をオーバーしていたのでしょう、それから、しばらくして忘れた頃に我が家に届けられました。
そして、あっという間に縫い上げられて、40年近く経ちました。

罰当たりなことに、生前一度も手を通すことなく、衣装缶の中にしまわれていました。
これだったら、詩吟の会に着て行きたいと思ったのです。

一つ紋の色無地は、会にふさわしい格のものとは、乏しい知識の中から知ってはいましたが、候補から降りました。

来年は、気に入らなくてもこの色無地を着ることになることでしょう。
悩まなくて済むのは、来年は、11月ですから、ひとえの着物はいくらなんでも着ることは出来ません。

正しい知識って何だろうね。
いまどき、暖房も効いているから11月でもひとえの着物でも寒くは無いし、ゆかたでなければ良いんじゃない?なんて考えは、ぶっ飛びすぎているのだね。

10周年大会は、錬成会ではないのだから、お祭りを盛り上げるのには、常識を重んじることが大切なのだろう。
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着物って 1

2008年09月30日 | 風のこたろう裏日記
21日に関西吟の詩吟錬成会が終わりました。
着物を着て、詩吟をするのは、初めてでした。
帯を締めるときりっと気持ちが引き締まり、背筋が伸びて姿勢がよくなるのでした。

着物好きの娘にひとえの着物だったら大丈夫だよと着付けをしてもらうほど、着物に縁の無い生活をしてきた私でした。
着物を着ることに決心したことについて、娘に「良く決めたね」と言ってもらって、かなりうれしかったのです。

詩吟は、日本の伝統券\ですから、オルティンドーにはデールを着るごとく普通のことです。

ただ、今の環境では着物を着るということが派手で贅沢であるイメージが強いように思えて、抵抗があったのでした。

洋服については、思い思いに身につけてふさわしいものと言うより好みに有ったものを身につけている人でも、いざ着物となると、格が問題になりました。

来年の10周年と言う冠の付く会には、格式のある着物が望まれます。
似合う色の場を和ませ明るくする着物では、その目のある人からは、おかしいと言われます。

さて、それを踏まえて、私は、どんな着物を着て10周年の詩吟をうたうことになるのかなぁ。

ちなみに、先日の会には、私の相棒は、髪をアップに結い、薄紫色の無地の着物でした。
私は、オレンジ系の色の普段着に近い着物でした。

その色は、周りを明るくし、私を若く見せ、先生たち殿方を喜ばせました。
女性からは、着付けが良いと誉められました。

着物の格とかしきたりとかを考えない方たちからは絶賛(たぶん)され、着物の知識のある方たちからは、普段着と言われました。
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東京支部 10周年大会へのこころづもり

2008年09月16日 | 風のこたろう裏日記
やっと、詩吟への参加を決心して、ここ2ヶ月中央会へ出席しました。

長い、閉じこもりを終了したのかなぁ。

しかし、始まったが最後、先生の次に長いお付き合いをしている東京支部では、10年のブランクは消滅してしまう。

今はとっくに追い抜いているはずの元お弟子さんが、いつまでも先生と言ってくださることにとても違和感を覚えているのです。

東京連絡所が、東京支部に昇格して来年が10周年。
その間、お休みしていた私は、10周年に繋がる活動は一切していなかったことになります。
だから、ここは、先生とたてていただくことに甘えないで、初心者のつもりで、何かの形で貢献したいと思うのでした。

決して無理をしないで、私にあった詩吟って何かなぁ。
この2ヶ月間は、詩吟に関してはそればかり考えてきました。
幸い、声は、練習をすればするほどどんどん出るようになってきて、野田先生の心配を一つだけなくすことが出来ました。

構成吟の中の連合吟は、永田さんと言う良いお相手を得て、練習を重ねると意気もぴったり合ってきました。
それで、今まで抵抗していた着物を着ると言うことにも、挑戦することになったのです。

コレからずっとと言うことではなく、とりあえず10周年に向けてということで。

着物の好きな娘を相談相手に、21日は、手持ちの花嫁道具の中の単の着物を着ることになりました。
長じゅばんは、汗染みが出て去年処分したので、とりあえずャ潟Gステルのものを購入。
小物は、ちょうど色が合うので、娘のものを借りることにしました。

秋の錬成会は、10周年の予行演習のようなものだから、その出来によって、これからの1年の活動の方向が決まっていくことでしょう。

そして、13日の練習のあとの飲み会で、詩舞を習うと公言、元習っていた方が心当たりを探してくださると言うことに、なりました。

先生は、ちょっと、いや、かなり心配している。
私が、吟に復活したと言うことだけで評価してくださっているのに、その上詩舞を習うとは!
君は、やるといったら必ずやる人だからと、半分了承してくれたようでした。

具体的には、21日の錬成会が終わってから、舞いの先生に会って練習が可能かどうかの話をすることになるから、本番までにちょうど1年あることになります。

あーぁ、言ってしまった。

やる気と同じだけの不安感。
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?出国

2008年08月18日 | 風のこたろう裏日記
夫は午後の直行便にて、モンゴルへ。

体調は完全復帰、最寄の成田行き電車の駅まで、娘に送ってもらい、私は玄関で送る予定が、駅まで一緒に乗って送る。

元気に、出鰍ッました。

仕事のことしか考えてないけれど、明るく元気な様子に、未来への期待を込めて、成就を祈願。

送っていく車の中で、昨日の面接の結果が電話で知らされました。
9月から、仕事に入ってくださいとのこと。

早速隣に座る夫と運転している娘に報告。
暇すぎるのも体に毒だから、週に3日くらいの仕事はちょうどいいでしょうと、みんな賛成し喜んでくれます。

仕事を始めることを知らされ、夫は安心したのか心配を増やしたのか、どうでしょう?

私は、幸先がよいと喜ぶ。
もう一人の娘からも、ちょうど、駅に着いたときに電話が届いた。
それぞれの娘に気にかけてもらい、幸せな出発でした。

これからは、私の生活に充実感を持たせて、日記に書くことができるようなときをすごすことにしましょう。

がんばれ夫!!  がんばれわたし!!!!!
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詩吟のおけいこ

2008年07月27日 | 風のこたろう裏日記
東京支部中央会の練習に行きました。
ひさーしぶりです。

6月には、師範の推薦を受け、めでたく受理されました。
お免状はまだ届いてないのですが、9月にある秋の錬成会で授与されることになります。

先生に推薦状を書いてもらったり、いろいろとお世話になったので、練習に行かねばならないと決心したのでした。
詩吟を習い始めて以来始めて、「行かねば」と思って練習に参加したのはほんとに初めてのこと。

師範をとると決めたからには、やる気があったはずなのだけれど、どこかに行ってしまった。
9月の秋の錬成会に向けて幹事さんたちが、忙しく立ち働き、相談を持ちかけられるのだけれど、それでもぜんぜん気が乗ってこない。

申し訳ないと思う。
思うけど、気持ちがのらない。
こんな気持ちになるのは、初めてで、自分の気持ちの持って行き場が、分からないのでした。

すっかり疲れ果てて、帰路に着く私って、どんな不細工な顔をしているのだろう。

はぁ~~~。

これって、何?
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鹿児島の母

2008年06月18日 | 風のこたろう裏日記
痛みにはめっぽう強い義母が、なんだか正体の分からない不調に音をあげて、SOSをよこした。

翌日のチケットを取り、1週間の休みをもらって、駆けつけたら、思ったよりずっと元気。

90を目前に、食を大事にした規則正しい生活を崩さない母は、一日3回の快便とのことだった。
それが、さすがにとしをかさね、背骨が曲がっているため、便秘という生まれてはじめての症状に出会い、わけの分からない不安にとらわれ、心臓がばくばくするようになった。

24時間のモニターを付け、心電図をとったけれど、結果は若い主治医に、「僕の心臓より若いです。だから、東京からお嫁さんが帰ってくることはなかった」とお墨付きを頂きました。

一人暮らしゆえの、出来事でした。

寂しいなら私たちの所へ行きましょう。と、言うと都会へ行ったら、私は生きていけないと答え。

確かに、足元がおぼつかなくなり、段差には緊張するのだけれど、畑に出るとしゃきっとして、別人のように元気になる。
その様子を見て、まだまだ、最愛の息子のそばには来ない、絶対来ないと確信するのでした。

それにしても、ご近所やご親戚の好意に頼ってばかりはいけないので、介護認定を受け、せめて週1回でもデイケアに通えるといいのにと思い、恐る恐る話を切り出してみると、待ってましたとのはんのう。

その日のうちに、市役所、民生委員さんと連絡を取り、書類提出の運びとなりました。

あんなに抵抗していたのに、ちょうど機が熟したってことなのだろう。

入院、長期看病を覚悟で飛んで行った鹿児島ですが、夫も義妹も望んでいた方向に進み、まずは一安心。

ずっと前に、もって行っておいてあったアロマに、不安感がなくなってリラックスすると分かり、喜んでシュッシュッとつかってくれるようになり。
歯磨きには、口内炎を抑える効果と、いればの口腔がさっぱりするとわかり、クリームにはちょっとした傷にも良いとわかり、一挙に3つもグッズを得てご満悦だった。

生活の質を上げるため、予防のために適切に物の手助けを受けるってこと、口をすっぱくして言い続けてきたのに、今始めて聞いたように驚き喜んでいます。

頑固だけれど、変わるときは一瞬だから、可愛いといえば可愛い。

何はともあれ、一段落。
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推薦師範講習会

2008年06月15日 | 風のこたろう裏日記
推薦師範講習会
関西吟詩文化協会総本部にて、受講。

講義は、曽根鷺夕先生です。

帰りの駅までご一緒していただいて、うろ覚えの道を、考えずに行けたことがうれしかった。

とても優しい、先生でした。

芦孝会からは、一人さんかでした。
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