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学校の不道徳 校長訓話

2006年06月05日 | 学校の不道徳

 自分が学校に行っているとき、朝礼があり、そのとき校長がかならずなにかしゃべっていた。つまらなかった。

 今もやってるのかと、自分の塾の高校生たちに聞いてみた。
 「やってるよ」
 聞いてるかい?
 「ぜえんぜん」
 と、これは異口同音。
 「先生が見張ってて、友達としゃべると、殴られるのね」
 と、ある男子生徒。中学の時の話だそうだ。
 「校長が朝礼でしゃべったことを、書類にして教育委員会に送るんだって。それで、校長が評価されるんだって」
 と、ある女子生徒。ふうん、さもありなん。だけど、これが事実であるかどうかの調査は難しい。

 日本中の学校で、朝礼で全校生徒を並ばせ、校長が「思いやりが大切」というような訓話をする。生徒たちは、退屈をかみ殺し、聞いているふりをする。生徒たちがちゃんと聞いているふりをしているかどうか、教師たちが監視している。暑い日や、雨の日の体育館の中など、倒れる生徒が次々と出る。

 権力者の訓話をありがたがらせること。
 とんでもない不道徳ではないか。

 朝礼の実際の教育目的は、苦痛を我慢して集団行動をとらせることであろう。しかし、集団行動の育成が目的なら、もっと理性的にやる方法はいくらでもあろう。
 校長は、学校管理の現場責任者である。よきマネージメントをすれば教師にも生徒にも信頼されるのである。精神の高みにいるふりはしないほうがいい。

 ついでの話だが、法律は、的確に権利や義務や禁止事項を書けばよい。法律が精神の高みを表現しようなどと思わないほうがいい。
(転載歓迎 古山明男)


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1 コメント

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校長って大嫌い (匿名)
2006-06-24 10:38:49
私は、校長の話なんて聞いていませんでした。聞いても無駄なので。特に中学のときの校長が大嫌いでしたので。中学のとき部活動が強制だったと前に書きましたがその校長が決めたかどうか知りませんが部活動をやる時間を増やしたので腹が立っています。あの校長は部活を見学に来ていろいろと指図をするので腹が立ちました。校長訓話なんて精神論根性論の最たるもので私は大嫌いですね。聞きたくもありません。あの校長が言った通りにしたら無味乾燥な面白くない人間になるだけだと思います。まあ権力側には都合がいいでしょうが。日本の学校って北朝鮮ですからね。
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