自分が学校に行っているとき、朝礼があり、そのとき校長がかならずなにかしゃべっていた。つまらなかった。
今もやってるのかと、自分の塾の高校生たちに聞いてみた。
「やってるよ」
聞いてるかい?
「ぜえんぜん」
と、これは異口同音。
「先生が見張ってて、友達としゃべると、殴られるのね」
と、ある男子生徒。中学の時の話だそうだ。
「校長が朝礼でしゃべったことを、書類にして教育委員会に送るんだって。それで、校長が評価されるんだって」
と、ある女子生徒。ふうん、さもありなん。だけど、これが事実であるかどうかの調査は難しい。
日本中の学校で、朝礼で全校生徒を並ばせ、校長が「思いやりが大切」というような訓話をする。生徒たちは、退屈をかみ殺し、聞いているふりをする。生徒たちがちゃんと聞いているふりをしているかどうか、教師たちが監視している。暑い日や、雨の日の体育館の中など、倒れる生徒が次々と出る。
権力者の訓話をありがたがらせること。
とんでもない不道徳ではないか。
朝礼の実際の教育目的は、苦痛を我慢して集団行動をとらせることであろう。しかし、集団行動の育成が目的なら、もっと理性的にやる方法はいくらでもあろう。
校長は、学校管理の現場責任者である。よきマネージメントをすれば教師にも生徒にも信頼されるのである。精神の高みにいるふりはしないほうがいい。
ついでの話だが、法律は、的確に権利や義務や禁止事項を書けばよい。法律が精神の高みを表現しようなどと思わないほうがいい。
(転載歓迎 古山明男)