Re:SALOON & VBA

余談的経験談・・・「決め・分け論」㊱

オジさんの自慢話は、聞きたくない。
父親(老父)のそういう話を随分、聞いて育ったので、自分はそうなりたくないと思ってました。
なので、自分の経験も、子供に話したことはないです。
酒の席で、先輩の経験談を聞いて、盛り上がることがあったのですが、
後で、あれは自慢話だったのかなぁ~と思うと、興醒めしてしまうことがありました。
さて「経験談」と「自慢話」の境界は何でしょう。
本人は、「経験談」のつもりでも、受け取り手が、「自慢だな」と思って仕舞ったら
それは、「自慢話」なのかも知れません。
畢竟、受話者が決めることなのかも知れません。

と、ここまで、言い訳的前振りをしているのは、「自慢話」と受け取られかねないことを
これから書こうとしているからです。
僕の意図は、端的に言うと「分かりたい」派の陥り易い境遇なのですが、
「決めたい」系の解釈をする人には、結局、それって「自慢話ですよね」になりかねない気がします。

でも、まあ、そう思われても仕方ないかも知れないけど、そろそろ、書き始めます。

僕は、IT技術者です、通常SE(システムエンジニア)といいます。
これ「自慢話」ではないですけど(一応断っておきますが)、仕事は出来る方です。
何をもって「出来る」というかというと、それは「生産性」としておきます。
平均的な同業者が、月、3本、プログラムを作成できるとすると、僕は5本、6本作成できるということです。
難しさも、あるので、一概に本数で換算できないですが、
大雑把に、「できる」という言い方が、結構、端的だと思います。

そもそも、勉強が出来たか、というと、そうではありません、2流高校の、2流大学の出身です。
大学受験にも失敗しています。浪人して、2流大学です。
なので、仕事するまで、自分が「できる」とは、思ったことはなかった気がします。

実は、ここに、「分かりたい」派の特徴があります。
変な言い方ですが、受験に「分かりたい」は必要ありません。
今は、どうか知りませんが、受験は、暗記です。
勿論、原理的には「分かっている」が、「憶えている」の前提ですが、
「分かりたい」が過ぎると、暗記することに、拒否反応が出ます。
(憶えるより、理由が知りたい)。丸暗記は、結構辛い。味気ない。
で、浪人して、落ちまくり、やっと大学に入る訳です。
で、大学は、一応、興味のある学科なので、丸暗記しなくても、スイスイ入って来る
苦労しない訳です、なので、あれだけ、入れてやらないと言っていた大学が、
「分かりたい」で、どんどん行けたりする訳です。
実際、ほとんど「優」ばかり。(一部、教授が「決めたい」系の暗記信奉の単位は苦労しましたが・・・)

この構図は、就職でも、同じことが繰り返されます。
2流大学? 何? 使えんなぁ~ で落とされて、
この、SE(システムエンジニア)というその頃、まだ、聞き慣れない職種を選びました。
案外、幸運だったかも知れません。

思い起こせば、バイトもそうだったかも知れません。
2年続けたバイトを辞めて、何かのイベントか何かで、バイト先を再訪したとき、
バイト先の職員さんに「次のバイトが来て、君ができることが分かった、スーパーバイトマンになっているよ」
と言われました。僕が、普通にやっていたことが、当たり前とみていたけど、次のバイトにすると
そんなの出来る方がオカシイということらしいです。

SEになってからも、各々やっていること(分担)は、違うので、一概に比較はできないのですが、
「手(作業)が早い」とか、言われることはありました。
また、後になって、あの仕事(の収益)は、(4人のチームで)半分は、「君が稼いていた」と言われたことがありました。
「こっちが出来ないみたいに見えるから、そういうの(仕事を早く仕上げる)はやめて」と苦情を言われるのもありました。
3、4人くらいのチームで仕事すると、プログラム本数の半分は、僕がやっているというのは、(30年以上の)今も、あります。

SEのこの仕事、経験がものをいうと思われるかも知れませんが、
実は、そうではなく、
知識は、直ぐに、陳腐化するし、環境が違うと、プログラム言語も違うしと、
都度、その場、その場で覚えないといけないという側面もあります。
(経験でコツを掴むのが早くなるというのはあると思いますが)
勿論、ずっと同じ環境で、習熟が必要という分野(業界、システム・・・)もあるんですが、

昔、SE35歳定年説と言われたように、経験よりも適用能力の限界が35歳で来てしまう
という側面があったように思います。
実際、35歳定年かというと、適性がない場合、それ以前に見切りをつけるか、
それなりに適性があったとしても、35歳くらいから、
マネージャーと言われる管理する側に回ることで、
続けて行くことになります。所属している会社にも依るとは思いますが・・・

で、自分を「できる」という僕は、35歳過ぎても安泰かというと
中々、そうは「問屋が卸さない」。
壁が来ました。
経験がものをいう仕事ではない分、誰がやっても、そこそこ、同じということです。
でも、年功序列は、やはり、企業にはあるので、勤続年数が重なれば、それなりの給料を出さないといけない。

プログラム製造(コーディング、テスト)の上流に、設計という過程があります。
建築だと、大工さんと設計士は違いますが、
SEは、昔ほど(つまり今は)、製造と設計は垣根がありません。
設計もするし、製造もするという感じです。
違いがあるのは、マネージメント(プロジェクト管理や進捗管理)と
一般メンバーの違いくらいです。
マネージャーは、製造しません(しても、メンバーより生産性が落ちる)。

会社の方でも、僕をどういう方向で育てていくか模索してくれていたと思います。
新人の教育、総務的、横断的な支援活動、社内の効率化推進、等、
いろいろさせて貰いました。勿論、小さいチームのリーダーでシステム開発をさせてもらったことがあります。
で、うまく行かなかったかというと、そうではなく、
プロジェクトは、お客さんからも感謝状を貰い、社長からも社長賞を貰ったのですが、
ここでも、プレイングマネージャーをしてしまい、半分を、僕が仕上げてしまうという
ポカをしてしまった訳です。
で、以降、一人で、他社のプロジェクトに参画する(そこで自社に仕事を持ってくる働きを期待されて)
ことが多くなります。
かと言って、他社の方は、経費は抑えたい訳なので、「できる」僕が来たので、
膨らますことは、しない訳で・・・(何とか、僕が残業してこなすという構図)
といっても、貰えるのは、一人分のSE費用な訳で、会社としては、期待した働きではない訳です。
そして、あるとき、参画した仕事で、1カ月の見積もりの単発の仕事で、
「ああ、これなら、こうするだけで出来ますよ」で、3日の仕事にしてしまう。
で、契約は、なくなり(規模縮小)、僕は、その月、空き工数ということに・・・会社に損害。

僕としても、仕事がないと責められ、会社にも、必要のない人材と
(「できる」ことが、全然、優位に働かない構図がありました)。
もともと、企業内フリーランスSEだったのかも知れません。

で、この会社に居場所はないなと思ったので、
退職し、その後フリーランスとなりました。今から15年前です。
ネットで、IT技術者募集を探して、小さい派遣会社を経由して(ビンハネされて)
今までと同じように働く訳です。なんだ仕事あるやんというのが感想です。

次に遭遇したのは、50歳の壁でした。
面談に持ち込めない、面談しても、若手に負けてしまう。
SEは、経験がそれほど活きない仕事です、わざわざ高齢者を雇う意味がないのです。
例え人の2倍「できる」としても・・・、そういうのは、面談では見えませんし。

今は、都度、小さい会社と契約というより、小さい会社に「社員」として雇ってもらっています。
「社員」といっても、ボーナスとか、勤続年数に応じた福利厚生制度、退職金積み立て等はありませんが・・・

どうして、こういう文章を書こうかと思い立ったのかというと、
実は、今までいたプロジェクトが、終結し、別のプロジェクトに移るについて、
同じ会社の別のプロジェクトですが、次のマネージャーと面接で、
自分の経歴を説明することになって、ざっと、携わったプロジェクトの説明をして
まあ、そこまで説明はしなかったのですが、説明が終わって帰宅する帰り道すがら、
「できる」って、何だろうな・・・「できる」ことも、コースから外れたら、
活きないなぁ~と思ったので・・・

僕の高校時代の友人で、似たような経験をした奴がいます。
元々、出世コースからは外れていて(家の都合(破産、父親の失踪)で大学には行けなかったので)
叩き上げで、徐々に頭角を現し、工場の現場改革をやり、そして周りを改革しようとしたけど、
結局「自分という駒がいないとこれは実現できない、自分がいない方がこの組織にとっては有益なのか」と
気付いてしまい、身を引いたと・・・
結局、そこで稼いだ(高給)を元手に今では趣味の店で、生計を立てていますが・・・(勿論、繁盛?している)
こういう有能さは、組織では、活きないのだなぁと思います。

僕とは、同様の経験(部類)なので、きっと仲良しかというと、??? さにあらず
分野が違う(僕は何故?派、彼はどうしたら?派)ので、ちっとも、話がかみ合わないのですが・・・(笑)

ああ、結局は、負け犬の遠吠えでしょうね。
「できる」と言っても、量的な話で、コツを早くつかむだけのことで、
経験の蓄積にもならず、経験一年目の新人・若手と今も、競争している爺さんということです。

でも、人生を顧みて、
こうなるより他の途はなかったんではないかと・・・

コメント一覧

frontflug
仕事が「できる」と書いたけれども、「できない」と言っているようなものだと思う。
チームでプレイするゲームで、「チームプレイ」できなければ致命的。
ITの仕事は、まあ、100%チームプレイである。
大工さんが、俺、釘打つの上手いと自慢しても、「それで?、だから?」となるようなもの。

ITの仕事で、「できる」人はどういう人だろうと考えてみる。
「課題解決能力」の高い人かなと思う。
勿論、それは、チームを巻き込んでの課題である。
皆んが、これが「決まらない」と進められないなと思う障害がある。
それを、「こうすべき」あるいは、「こういう手はどうでしょう」と提案し、
その後の展開まで、道筋を引いて誘導する。
「発想力」「説得力」「決断力」そして「実行力」。

僕があるとすると、「発想力」かなと思う。そして次の「説得力」はカラっキシ駄目。
「決断力」は全然だし、「実行力」は、自分の閉じた範囲でなら・・・、という感じ。

この「決め・分け論」が説明文だとすると、「説得力」の無さの証明になると思う。
自分の思いつき、閃きを、他者に説明する困難さを、ずっと感じて来た。
中高で3年連続、文化祭のクラステーマの発案が採用された。
クラス会での発案は、多い方で、それで、小学校ではクラス委員に選出されたと思う。
結構、アイディアマンだったと思う。が・・・
長じるにしたがって、発案が、周りから賛同されなくなる。
「決めたい」派の固定概念「こうあるべき」に撥ねつけられる。
周りが大人に成るにしたがって、取り残される幼児かも?

後から、「あれは正解だったけど、あのときはそうは思えなかった」と言われたことがあるけど、
あるいは、数年して、自分が思っていたことが、世の中でヒットしていることがあるけど(人から言われる)
思いついたときには、突拍子もない提案にしか見えないようなのだ。

世の中を、端から見ているから、見えることがある。
それを、端にいない人に、説明して、分かってもらう、賛同してもらうことの難しさ。

仕事で、チームリーダーを試しにやらせてもらった時、
メンバーに説明しても、ピンと来ないようで、
結局、自分がすることになったのだけど・・・
なので、チームでも、浮いてしまう、リーダーに向かない。
結局、僕は、飛び道具、あるいは一匹オオカミ(羊かな)なのだろうな・・・と
frontflug
書いていて、理解不能と思ったので記事にせず、コメントにしました。
以下↓

この「決め・分け論」は、他者の評価を受けたことがない。
誰か親しい人に、喋ったということもない。
そもそも、誰だったら理解者となってくれるのかさえ分からない。
「分かりたい」と言っているのに、人の「分かりたい」がどれ程なのかは、
とんと「分からない」。なんてことだ。

「決めたい」も、「分かりたい」も、読んで「分からない」言葉・用語ではない。
でも、その二つの方向性は、真逆だと言ったとしたら、
多分、「何」? と「分かって」もらえないと思う。
そもそも、価値観の「方向性」って? ・・・なのじゃないかと・・・
「分かって」もらえるとしたら、そもそもその人に、
同様の問題意識があって、人の価値観の違いは「何」だろう?
という疑問を持っているという前提があって、
かつ、その人が、「分かりたい」傾向が強い
必要がある気がする。スゴイ高いハードル?

そして、その前提があったとしても、それでも、きっと
「決めたい」と「分かりたい」が、対立項とは思わないけど・・・
(こじ付けの空論なのでは?)と
言われそうな気がする。

例えば、知らない国の、見たこともない(対戦型)ゲームの説明をされたような感じかも知れない。
あるいは、薬学の自分にはない症状に効く薬の副作用の解説?
言葉としては「分かる」けど、それを言う意図は「分からない」
自分に関係ないこと、体験したことのないこと、の知識を聞いた場合、
あるいは、知らない国の方言の違い・・・
自分には、関係ないなぁ~

誰に向けて書いているのか、実は、僕には、分かっていない。
それでも、分からずに書いている。
多分、もう一人の自分へ(勿論、そういう具体的な人物はいない)。
将来、自分が、この文章を読み返した時、
おおお、いいこと書いているなぁ俺
というか、
あああ、こんなこと考えていたんだよな・・・懐かしいけど・・・世迷言だよなぁ
青いなぁ・・・
というか

他の人はどうなのだろうか
自分のマニアックな趣味をSNS等に書いている人は、
同じ思いをしながら、どこかに、同類がいないかと書いているのかも知れない。
「変人」の誹り(そしり)を受けないようにビクビクしながら、ひっそりと・・・

果たして、この「決め・分け論」の分かり難さは何んなのだろうか?

僕自身、
「理解」と「決断・選択」を対立概念として論じているような文章を他にどこかで見たことがない。
(この言葉に敏感なので、出て来ると、方向性を探ってしまう)
「価値観」の方向性、も、類する表現を見たことがない。
勿論、不勉強という壁がその前に立ちはだかっているのだけど(すみません)

ユングのタイプ論が、「思考」と「感情」を分けていたように思うけど、
(僕は、このタイプ論にすごく影響を受けたのだけど)
「思考」と「感情」は、「理解」と「決断・選択」とはやはり違う気がする。

「共存」と「排除」は、近いかも知れない。
これだと、理解してもらえるかも知れない。
が、それが「分かりたい」と「決めたい」に、なった途端、
そうかなぁ~、そうは思わない。あるいは、どっちでもいい、何か無駄と
言われそうな気がする。

まったく理解してもらえそうもないという人物に、
出会ったことが、何度もある。
(最近は、分かってもらおうと試すことすらしなくなったので、こういう人の存在を検出できないけど)
ひとつには、その人が、知らないことへの興味を拒絶しているか
想像力の欠如があるのかなと思う。
そういう、思考に余地のない(拡がる可能性のない)人の前では
途方にくれてしまう。
どういう説明をしても無理と思って仕舞う。

とはいえ、その人の能力(理解力の無さ)に理由を求めるのは、ホントは筋違いなので
そういう人がいるのは事実だと思うけど、
本質的には、こちらの説明能力の欠如だと思う。すみません。(謝るのなら努力せい!)

そもそも、構造的な難しさ(複雑ではなく、ズレだと思うけど)はあると思う。

すみません、ここまで前振りです。(やれやれ)

価値観の対立というと、
AとBの選択肢があるとすると、
A派とB派の対立が目に行く。それ以外に対立があるの?
と思われると思う。
これは、Aと「決めたい」派とBと「決めたい」派の対立になる。
「決め・分け論」の対立は、
AかBかどちらかに「決めたい」派と
AとBの違いを「知りたい」派の対立(違いは何なのか)を「知りたい」なのだから
説明が難しい。「知りたい」は、AもBも必要(要ります)なのだから、
A派、B派との直接の対立は見えて来ない。
この説明、下手たなぁ・・・書いていて、分かってもらえなく思えて
めまいがしてくる。

そもそもの「問題意識」が違う訳だから・・・

政治で、右翼、左翼の対立は分かり易いが、
「専制・独裁」と「民主主義」との対比は、言われればそうだけど、
ぐらい見えて来ない。
右の独裁と、左の独裁の対立以前に、
独裁と、非独裁の対立。

ああ、表現が下手だなぁ~、書いていて理解してもらえないと、どんどん思えて来た。

僕は、まず、問題意識の共有に失敗している。
自分自身が、かなり中心から外れた位置にいるということを
感じ過ぎている所為か、すでに説明する伝手をもっていない気がする。
「分かりたい」を「分かってもらえる」気がしない。
人は、「分かりたい」よりは、「決めたい」で、行動しているのだと思い込んでいる。

またまた、「本来は」というと、
正しく「理解」し、正しく「選択・決断」するのが本筋で、
どちらかだけの状態を、抗弁? 強調しているのが、間違っているのだけど・・・

ここまで書いて、理解してもらうことは、遠いと絶望感に陥ってしまう。

そう言えば、この人、理解力スゴイと思った人に、
出会ったことがあったのか、と・・・思って仕舞った。
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