「決め・分け論」と名付けて、一連のコメントというか、
ホントは日記のような雑感というかの雑文を書き連ねて来た訳ですが、
勿論、「論」とつける程の文章でも、言説でもなく、
それは、分かり切ってはいるけれど、一つの物の観方として、ヒントとして
受け取って、貰いたいなと思ってはいます。
「そんな中途半端なものなら書くべきではない」という「決めたい」系の
「批判」を想定してしまいますが、
「分かりたい」系の傾向のある人になら、「分かって」もらえるかなぁ~と
書いています。
32回目にして、「序説」というのは、如何なものかと・・・
思われる(評価を予想しすぎ?)かも知れませんが、
書いて行く内に、実は、傾向というか、現象・事例というかを
箇条書きにしているだけで、じゃあ、どうするの、どうすべきなの
という、「結論」めいたものが、欠落していることは、薄々、気付いてはいました。
というか、そういうものは、「決めたい」系の範疇なので、避けていたと
いうことなんだけど、
100回くらい書けば、自ずと、そういう方向性が、
立ち顕れて来るんではないかと・・・
そんな風にも、思えて、まだまだ、ここは「序」なんじゃないかと
最近の世の中を、この「決め・分け論」的、視点でみると
「決めたい」系の起こす、出来事、事件で、
「世の中全体」が、揺さぶられているという観方が出来るかなと思います。
まあ、代表選手は、プーチン選手です。
そして、このプーチン氏に対応して、立ち上がって来るのは、
やはり、反プーチンの方向性の「決めたい」系の対抗勢力です。
人間の判断は、基本、0か1のデジタル思考。
これが、基盤、底辺にあって、0と1の分類を細かくして行って、
ようやく、デジタルの凸凹が、滑らかになっていって、
曲線に見えて来る。
僕は、このロシアの侵攻が、始まる前から、
外国人YouTuberの動画は、観ていました。
ロシア人YouTuberは、一大勢力なので、当然、観ていましたが、
まあ、ロシア人という括りで、観ていたというよりは、
個々人の外国人YouTuberの一人として観ていたと思います。
でも、やはり、0か1の「デジタル思考」、しか出来ない
(この「しか出来ない」は、強調ポイントです。)
人は、いるもので、
彼らのページの感想に、プーチン=ロシア政府=ロシア人=悪
の観方「しか出来ない」人のコメントが書き込まれます。
あああ、それが、「戦争」の根っこなんだなぁ~
と、僕も、0と1のデジタル思考を始めそうになります。
でも、ある意味、言えますよね。
生物の進化には、この適者生存の「選択」という要素は、
抜き差しならぬものとしてあると思いますが、
「決めたい」系の暴走を、うまく、そのバイタリティというか
活力というか、力だけうまく利用して、
マイナスを絶対値化して、プラスに転じるような、
「分かりたい」系の制御で、コントロールして(コントロールをうまく制御して、と疊語)
いかないといけない、「人類の進化の曲がり角」に来ているのではないかと
僕には、ヒントを出すだけしかできないのかも知れないですが、
「決めたい」を「分かりたい」が、うまくオーバーラップするという
今までとは、逆の構図が、
この「論」の目指すところ(僕には到達できないと思いますが、・・・誰か・・・それを・・・)
と
いうところで、「序説」としました。
僕は、ずっと「序説」のままとは思いますが・・・