ラブラドレッセンスの瞳

暗がりの、猫の瞳の煌めき。
地中深く、眠る石の輝き。

個室へ

2010年08月17日 | 父の事全般
今だけだから、父の事を書かなければと思うんですが、どうしてもテンションが下がって悲しくなるので、なかなか書きたくなりません。


今日は、父が4人部屋から個室に移った話を。





7月の三連休辺りから咳き込みと、食べ物が飲み込みにくくなる状態になった父は、その後の検査でがん細胞が運動と呼吸器を司る中脳付近に転移している事がわかりました。

おそらくそもそものがん細胞は海綿静脈瘤の中にあったと思われるので、実質三度目の転移となります。

最初が発見の元となったおでこの傷、脳膜の上で、次に転移したのが左目の裏、そして中脳です。





病院を転院して最初のがん細胞にガンマナイフを当てに行きましたが、その癌はしおれてきたものの、結局転移した後だったので実質ムダとなりました。

確かにガンマナイフの機械は最新の物で、先生方も権威と呼ばれる人がいましたが。
ならばせめて寿命が少しでも延びれば良かったのに、他のがん細胞に苦しめられたので、結局関係なかったです。





咳き込みは日々激しくなり、私が病院に行った時も顔を真っ赤にして苦しそうに咳き込んでいました。

熱が出て病院に戻ってから点滴のみで何も口にしていないのに、呼吸器に支障が出ていたんでしょう。





あまりに激しい状態が続くと、他の患者さんにもうるさくて迷惑がかかるから、個室に移れないだろうかと思っていたところ、ようやくこの日に個室へ移動になりました。

呼吸もままならない時があったのでしょう、酸素マスクをしていたので、相当状態が悪いように感じました。





他の患者さんに気を使わなくていい分、こちらとしてはちょっと楽になった気がしましたが、個室というのは病状が悪い人が入る場所、つまり死に近付いたという事です。

でも父も狭い4人部屋より精神的には楽でしょうし、この後酸素マスクは取れて、暫くは悪いながらも安定した状態が続きました。


でももう、次の化学療法は出来ない。

治す方法はもうなく、死を待つしかない。

それはきっと父もわかっていたんでしょうが、いつも次の化学療法はいつになるかと聞いてくるので、母は大分辛かったようです。


「もう少し良くなったらね」

と、毎回同じ繰り返しの会話。

父が納得していたかはわかりません。

咳のしすぎでしょうか、声が掠れて力も出せなく、殆ど何を喋っているかわからなくなってきていたからです。


父はあまり言葉を発しなくなりました。

自分でも声が思うように出ていないのが、わかるからでしょう。


私も病室に行ったからといって何を話したらいいのかわからないし、下手な慰めとか、辛いのが「わかるよ」なんてとても言えないし、会話には何となくいつも困っていました。


今にして思えば、もっと色々話したかったけれど、多分私の話す話題なんて父にとってはどれもどうでもいい事で、もう興味ある事とか楽しい話題など1つもないから、聞くだけでしんどいかな、と考えてしまいます。

せめて銀河の事だけでもと思いましたが、それも段々興味がなくなってきているようでした。





父の興味はただ「生きる」事、「治る」事だけだと思います。


他の話題は例え母の話でも、聞いていても仕方ないような感覚しか感じられませんでした。



痛み止めであるモルヒネを使っていたのだから、仕方ない事かもしれません。



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