ラブラドレッセンスの瞳

暗がりの、猫の瞳の煌めき。
地中深く、眠る石の輝き。

最後の会話

2010年09月01日 | 父の事全般
なかなか書く気が起きなくて、日にち操作してやっと更新です。


去年のこの日、父と最後の会話をしました。

最後のつもりは全くなかったけど、結果的に最後となってしまいました。





それまでも日毎に具合が悪くなり、会話もどんどん出来なくなっていっていたけど、この日の父は結構元気でした。

先生方と担当看護師さんとホスピスに移る話をして、では向こうの担当の方と正式にお話する日を決めましょうと、話がまとまったところでした。





話を終えてまた病室に戻ると、父が寝た状態からパジャマを脱ごうとして前の方を全開してました。

指もそんなに動かなかったのに、よくボタンが外せたものだと思います。

「家に帰る」
と、ハッキリ言っていました。





家が広ければ、大き目の介護用ベッドを借りて、点滴と薬も太ももから入れるように処置してあったので、痰を上手く取れれば可能だったかもしれません。


しかしそれでは母が一秒たりとも気が抜けず、夜も神経を張り詰めて眠れないという常態になるのは、目に見えています。


私も仕事に行けなくなるし、何かあれば結局看護師さんか先生を呼ばなければいけないので、色々考えても連れて帰れないなあ・・・という状態でした。





水が飲みたいという願いも叶えてあげられず、カレーが食べたいという願いも叶えてあげられず、家に帰りたいという願いも叶えてあげられない。

正直、とても辛かったです。

でも1番辛いのは、父に決まっています。





「そんなお腹出してたら、風邪引いちゃうよ」
と、慌ててパジャマの前を閉めました。

そして、「ホスピスに移ろう」って話をしました。


父は「行かない」と言うかもしれないと思っていましたが、あっさり「うん」と頷きました。
家から近い場所がいいかと思っていたのは、私達だけだったのかもしれません。





きっとただただ、天井ばかり見つめているのは辛いのでしょう。

たまにモルヒネにより意識がなくなったり、思考が止まったりしているとはいえ、もう自分は治らない、死ぬだけだと、そればかり考えていたのかもしれません。


せめて窓の外の景色が見えたり、他の風景が見えたりしたら、少しはマシかもしれない。


いつもいつも目を覚ませば同じ天井であるよりは、遥かにいいような気がしたのです。





父との最後の会話は、正確にはどの部分に当るか覚えていません。

最後になると思っていなかったので、きちんと記憶していないのかもしれません。

ただ、ホスピスの場所は「どこ?」と父が声を絞り出したのが、最後であったと思います。

私は
「熱田区だよ、私の仕事場の近くだから、仕事帰りとか寄れるからいいね~」
と精一杯の笑顔で話しました。

父は声を出さず、納得したように大きく頷きました。





私はいつも父のベッドの右側に立ち、母は左側に立ち、その時も父の右手を握っていました。

父は殆ど声を出せない代わりに、私の手をギュッと、多分精一杯の力を込めて握ってくれました。

「これが最後になるかもしれない」と、お互い確認するように。






結果的には、それが最後になりました。


その後、いつ頃父が意識を失くしたかは、わかりません。


翌日、いつものように母が病院に行った時は意識がなく、しかし、母が行く時は大体意識がなかったり眠っていたりしたので、いつも通りだと思ったようです。


その日の夜、父の血圧と脈拍が急に下がり、危篤状態となりました。





死ぬ少し前にちょっとだけ元気になるという話がありますが、本当なんだなと思います。


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