しかも冷たい大雨。
今日は休みなのに早起きして病院へ。
5年と6ヶ月前に手術した精巣ガンが、転移していないかどうかの結果判定を聞きに言った。
結果は、腫瘍マーカーも映像も異常なし。腎臓の下のリンパ節に4㎜~5㎜のふくらみがあるが以前の映像にもあるので大丈夫だろうとのお話だった。
平気な振りはしてたけど、内心はひやひやしていた。うつの他に抗ガン治療を受けるのは正直きつかったと思う。抗ガン治療をされている方は本当に大変だと思う。他人が軽々しく口にすること事さえ失礼なほどの苦労だろう。
今までは3ヶ月に一度MRIかCTそれにレントゲン・血液検査・検尿を受けていたのが、これからは半年に一度の検査でよくなる。今後全く心配いらないというわけではないが、なにか解放されたような気がする。
私は入院前、もしガンだった場合その告知を希望した。結局ガンだったのだが、あの摘出手術を受けた日がつい先日に思える。
私が手術のため入院していた時、同室だった方の中にとても仲良くして頂いた方がいた。その方は元、学校の校長先生をされていて私より一日早く入院したらしいのだが、入院した時はただ「おしっこの出が悪いから前立腺肥大かな。」程度で入院されてきたというお話だった。いつも奥様がそばにつきそわれ編み物をされていたような気がする。その元校長先生は何度かの精密検査の結果、膀胱・小腸・大腸と下腹部がガンにおかされている事が分かった。手遅れと言われたようだった。
私と同じように本人の希望で、本人もガンを告知されたらしい。
入院した翌日だったか、その元校長先生と奥さんとの会話の中で「退職された後は、奥さんと二人であちらこちらを旅行するのが楽しみなんです」などと笑顔でおっしゃっていた。本人がいない時に奥さんと二人で話す機会があったのだが、「もっといろんな所へ旅行に行きたかった。主人には心配するなと言われた。どうして主人は自分で告知を受けたのだろう。」と奥さんは涙を流しながらおっしゃっていた。
「きっと奥さんに嘘をつかせたくなかったんですよ。奥さんがご主人のガンを知りながら、知らないふりをして旅行の計画を立てるなんて、悲しすぎるじゃないですか。だからきっとご主人は、自分でガンの告知を希望されたんじゃないんでしょうか。」結局この言葉は奥さんに伝えることはできなかったが、それで良かったのかもしれない。
私は元校長先生よりも後から来て先に退院することになった。「ありがとうございました。」としか言えなかった。私が精巣摘出の手術を受ける前日だったろうか、まだ本人も自分がガンにおかされている事を知らされていない時に、その元校長先生が直腸検査の後で病室に戻ってくるなり「大変だったよ。おしりから空気を入れられて」って言いながら部屋に戻ってきた時のあの笑顔を今でも覚えている。
あれから5年と6ヶ月が経つのか・・・。
自分もガンではあったがとりあえず「大丈夫」と言われた。片方の睾丸はもう戻らない。生きているといろいろな事がある。重たい事もある。けれど生きている。また明日が来る。新しい一日だ。