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みゅーじっくふうちゃんねる 

~show我が青春、涙からもらった元気~   

浦部雅美 / 雨に歩けば

2013年11月19日 | ふうちゃんオススメ曲



みなさん、泣いたことありますか?

こう聞かれれば誰もが当然のように「ある」と答えますよね。(笑)

それでは泣き疲れるほど泣いたことありますか?

って、こう聞かれると、勿論「ある」と答える人も多いでしょうが、(メ・ん・)?って首を傾げられる方もおられるかも知れません。

泣き疲れるまで泣く・・・

たしかに、赤ちゃんは別として、泣き疲れるまで泣くと言うのは、そうそうあることではありませんし、仮にあったとしても既に記憶の外、つまり忘れてしまって首を傾げられてしまうというのも頷けるところです。

また、一度もないと断言される方もおられるかも知れません。

生まれてからの人生が順風満帆、泣くことさえ殆んど体験することなく過ごされた方はそうかも知れません。

まさしく、人生いろいろ、泣き方もいろいろだと思います。(笑)

さて、人は悲しいから泣くのではない、泣くから悲しいのだ、という分かったような分からないようなこと言う有名な心理学者の先生もいますが、どんな理屈にせよ、いずれにしろ、悲しいのも、泣くのも、事実は事実です。

もちろん、悲しいときだけでなく、感動したときにも、人は泣きます。

そして、人は、自分のことや親しい人のことではなくとも、見ず知らずの赤の他人のことでも、あるいは作り話という嘘の話でさえも、感動すれば、泣くことができます。

さらに、「泣いたあとは、すっきりして、ストレスから解放される」という、医学的、生理学的な理論もあって、これらの作用を利用して、積極的に、泣ける話を読んだり、聞いたり、見たりして、大いに泣こうといういうことも流行っているようです。

もちろん、ふうちゃんみたいに、流行に関わらず、加齢とともに、涙もろくなったと実感する人も多いでしょう。

もっとも、加齢による涙腺機能の低下というよりは、加齢にいたる年月に積み重なった過去の体験や経験、学習から、人の話などにも、共感や同情がしやすく、つまりは感情移入することにより、情動的に涙が出る人もいます。

そして、泣き疲れて、静かに眠る・・・

睡眠薬を使うよりも、泣き疲れて、疲れ果てて、眠ることくらい強力な睡眠導入剤はありません。

そしてそれが一番良い良薬でしょう。
でも良薬は口に苦し・・・、でも苦い薬が、良薬であるとも限りませんけど。

しかし、涙が止まらないときには、無理に止めようとせず、また、傷口に塩を塗り付けるように、過去にこだわり、今を嘆き、未来に絶望するような処方だけは止めましょう。
サディスティックにすることがストレス解消になるような体質の方、泣いている自分が好きなナルシストのタイプの方は、一概に当てはまらないかも知れません。

今日は「泣く」ということをテーマに相変わらず取り留めのないお話をしてきましたが、泣いて溢れるのが、な・み・だ、そう、涙です。
そして涙は「雨」にも例えられます・・・・・

少し遠出をしてみませんか / 浦部雅美

2013年11月17日 | ふうちゃんオススメ曲



みなさんは、東京一極集中という言葉を聞かれたことがおありでしょうか。

もちろん、このサイトにお越しの方々ですから当然あるとは思いますが、ただ、この現象が世界に比してどの程度なのか、そしてこのことがもたらす弊害はどのようなことなのかについて正確に理解されてる方は少ないのではないでしょうか。

斯く言うふうちゃんも、漠然として「東京は多い」とか「なにか悪いこともあるのでは」と思いはしていても、具体的には余り考えたことはありませんでした。

政治・経済・文化・人口など、社会における資本・資源・活動が首都圏(特に東京都)に集中している状況、・・・

そこで、ちょっと調べてみたのですがビックリしました。

比較は都市的地域という括りでされるようですが、それによりますと、2013年、つまり今年の発表ですが、東京=横浜は世界1位で3723万人、2位はジャカルタで2674万人、3位はソウル=仁川で2286万人となっています。

ちなみに、主要都市地域で10位以内に入っているのは上海が2786万人で5位、ニューヨークが2067万人で8位でした。
ただ、意外に思えたのは、ヨーロッパ諸国が上位25位内には一カ国も入っていなかったことです。

東京一極集中という言葉があります・・・いや正確には、ありました、という方が正確なのかもしれません。
人みな東京へ、東京へ、いや人だけではなく、政治・経済・情報などの社会における資本・資源やその活動のすべてが、みな東京へ、東京へ、東京にだけ集中し、その弊害が社会問題化したことがたしかにあったのです。

そして、そのことが顕在化した1987年(昭和62年)には、その是正を盛り込んだ、「多極分散型国土の形成」を基本理念した第四次全国総合開発計画、いわゆる四全総が2000年(平成12年)を目標年次として策定されました。

我が国において、東京地域一極にだけ、集中させるのではなく、第二の都市、大阪をはじめとして、他の地域の核となる都市を中心にして多極化させ、国土の均衡ある発展を目指す中長期に渡る国土計画としてまとめられたものでした。

しかし、その後の政治・経済の国際化の急速な進展、加えて1990年代前半のバブルの崩壊はそんな国土計画を押しつぶしてしまったのです。
グローバルな視点から日本も世界の一地域としてみれば、国際的な競争力を高める意味からも、日本を代表する首都東京に、政治・経済・情報などの中枢機能を集中させる方がやはり効率的と考えたのでしょうね。

結果、いまや東京都と、埼玉県、千葉県、神奈川県の一都三県への集中は、人口において30%を超えており、我が国人口の三分の一が東京圏にあるという、もはや他の圏域の追随を許さぬ状況になってしまいました。

もちろん、一度まとめられた国土計画、そのまま放置というわけにも行かず「平成の大合併」と称して、この間地方の活性化を計りはしたのですが・・・。

そこで思ったのですが、もし、東京=横浜の人口を半減し、それに併せて名古屋圏、大阪・京都・神戸圏も同様に半減させることが出来たら日本はどう変わるかということです。

真っ先に変化が出るのは政治・行政。

何せ日本人の30%以上、都市圏の半分の人が地方に分散するわけですから、政治家も「票の獲得」の上からも地方を無視には出来ないでしょうし、行政官僚も今までどおり中央集権という温々座布団の上に胡座をかいてることは恐らく出来なくなります。

そして、企業も文化も必然的に移動せざるを得ません。

たしかに、国力は落ちるでしょうが地方は今より必ず活性化はするはずです。

いま国力が落ちると書きましたが、どのみち、日本の国力はこれから落ちていく運命にあるのです。

だって、少子高齢化は労働人口を減らし生産性を落としていくわけですし、変わって、社会保障費という非生産性要因だけが膨らんでいくわけですから、そのことを避ける手立てが今無い以上仕方がないのですものね。

成長戦略などと政府がいくらお題目を唱えたところで、日本にはそもそも独自で成長できる素地・資源がないのと、すでに成長しようとする気力・体力さえも失っている現状では実現される可能性など殆んどないのです。

じつは政府も企業もそのことを十分理解していて、今は自分たちの領域を守ることで必死です。とても国や国民のことは考えるだけの余裕や気概は持っていないと思います。

打ち出す政策は、全て自分たちの利権隠しのパフゥオーマンス・・・・・

だからと言って、政治家・役人・企業経営者を責めても仕方の無いこと、わたし達だって未来への責任を放擲して自分たちの安住だけを求めてきたことは事実なんですから。

だったら、ここで気分転換、わたし達自身が少し遠出をしてみませんか?

其処がかっての故郷でもいいし、新天地でもいいのです。

余り気の進まない「遠出」になるかも知れませんが、いいじゃないですか、・・・そのことが未来のこども達にとって残してやれる贈り物と引き替えなら。

難破船

2013年11月16日 | ふうちゃんオススメ曲




たかが恋なんて忘れればいい
泣きたいだけ泣いたら
目の前に違う愛がみえてくるかもしれないと
そんな強がりを言ってみせるのは
あなたを忘れるため
さびしすぎてこわれそうなの
私は愛の難破船

折れた翼広げたまま
あなたの上に落ちて行きたい
海の底へ沈んだなら
泣きたいだけ抱いてほしい

ほかの誰かを愛したのなら
追いかけては行けない
みじみな恋つづけるより
別れの苦しさえらぶわ
そんなひとことでふりむきもせず
別れたあの朝には
この淋しさ知りもしない
私は愛の難破船

おろかだよと笑われても
あなたを追いかけ抱きしめたい
つむじ風に身にまかせて
あなたを海に沈めたい

あなたに逢えないこの街を
こん夜ひとり歩いた誰もかれも知らんぷりで
無口なまま通りすぎる
たかが恋人をなくしただけで
何もかもが消えたわ
ひとりぼっち誰もいない
私は愛の難破船



難破船・・・

難破船と言うのは、災害(戦闘行為を除く)にあって放棄された船全般を指します。
沈んでいようが、座礁して岸に乗り上げていようが、ひっくり返って漂流していようが、全て難破船です。
ただ、沈没船と言う言葉もありますので、普通は転覆・座礁・その他で行き場を失った船の意味で使われているようです。

その原因は

船員の操船技術によるもの

船員の操船判断によるもの

船舶の堪航能力によるもの

船舶の搭載機関・搭載機器の性能・整備・運用によるもの

・・・などが挙げられるわけですが、この「船員」・「船舶」を「恋人・夫婦」・「恋愛期間・結婚生活」などに置き換えると、どこか分かるような気がしませんか?。(笑)

苦しき夢

2013年11月15日 | ふうちゃんオススメ曲



(語り)
愛とは 春の日の花のように
美しく、香り高きものであろうか
愛とは 夏の日の太陽のように
誇り高く、きらめくものであろうか
愛とは、秋の日の落葉の下に泣く虫のように
せつないものであろうか
愛とは 冬の日の、その青空の

1)夕べの夢は 苦しき夢
 園に繁れる 満天紅

2)一夜のうちに 冬とかわり
 緑の枝に 花は散りぬ

3)黄金の瓶に 花を摘めば
 この手を滑り 花は枯れぬ

4)夕べの夢は 何を告ぐる
 愛しの君に 変りなきや



失敗する可能性のあるものは、失敗する。
(If anything can go wrong, it will.)

これは、全米でベストセラーとなり、1993年(平成5年)には、日本でも翻訳されて、ベストセラーになった、「マーフィーの法則 」(Murphy's law )という本の冒頭に出てくる有名な法則です。

この法則、自虐的悲観論を具現化したものと捉えることができますが、その一方で「常に最悪の状況を想定すべし」という観念と捉えることもできます。

愛とは 春の日の花のように美しく、香り高きものであろうか

愛とは 夏の日の太陽のように誇り高く、きらめくものであろうか

この語りもマーフィー流に表現すれば

時を越えて変わらないのが愛だよというときには、ほとんどの愛の場合、賞味期限は切れている

とか、

時を越えて変わらない愛というのがあれば、その多くは偽善であるか、そうでなければ、慈善だ

・・・なんて具合になるのかも知れません。(笑)

「そんなぁ~・・・」って思われる方もおられるかも知れませんが、「うんうん、成る程・・・」って、納得された方がおられたのも事実だと思います。

さらに言いますと、

生まれ変わっても愛し合いたい、生まれ変わったら、もう巡り会いたくない、一見、全く違ったかたちの愛のすがたのようにも見えますよね。

しかしここで考えて見てください。
生まれ変わっても愛し合いたいというのは、永遠の愛、理想的な愛ともいえますが、不完全燃焼のまま終わったものという捉え方もできます。
また、生まれ変わったら、もう巡り会いたくないというのは、なにか愛の変節だと捉えることもできますが、完全燃焼したからこそとも、考えることもできるのです。

つまり、マーフィーの法則もその捉え方次第では、全く相反するようなことでも別な真理にもなりうるということです。

「苦しき夢」も「楽しき夢」も、捉え方次第で・・・・・・ネ!

この物語、

経済的にも成功し、しあわせの典型ともみえる桐原家の家族。
構成は夫婦(二谷英明・久我美子)と三人の子どもたち(田村正和、仲雅美、大谷直子)、それにこの家族の歴史を知っているお手伝いさん(馬渕晴子)・・・・・

この一見恵まれた平和な家庭に、鋭く切り込んでくる気まぐれな運命とそれぞれの過去。
ちょっとしたいたずらが妹を不具にした兄の古傷、親が異なる子どもたちのしあわせに対する陰影、先妻が投げ込む波紋、さらに劇的な「過去」が、そして「現在」が家族の恥部をえぐって「家族とは、愛とは」と問いかけてくる・・・

そんな物語でしたよね。

苦しき夢、

曲の原曲はドイツの民謡、そして1971年のTBSドラマ「冬の雲」の主題歌でした。

もしも明日が / わらべ

2013年11月13日 | ふうちゃんオススメ曲




小泉元首相:「原発即ゼロがいい」安倍首相に決断促す

自民党の小泉純一郎元首相は12日、東京都内の日本記者クラブで記者会見し、東京電力福島第1原発事故を踏まえ、「安倍晋三首相が決断すれば『原発ゼロ』ができる。首相の判断力、洞察力の問題だ」と述べ、脱原発を政治決断すべきだとの考えを強調した。方針を打ち出す時期についても「即ゼロがいい。原発を再稼働すれば、また核のゴミが増えていく。最終処分場が見つからないなら、すぐに出直しした方がいい」と語り、原発政策を早期に見直すよう求めた・・・・・

過ちては改むるに憚ることなかれ、

出典は論語、孔子が君子たる者のあるべき姿を述べた言葉の中に登場する言葉で、最近の小泉さんの講演などでよく発言されてる慣用句です。

ふうちゃん、実はこのサイトに政治色を出すことは避けて来ていて、ここで意見を述べたことはありませんでしたが、結構、他では意見投稿して来ています。
2年前になりますが、原発事故に対しては次のような内容で投稿をしたことがあります。

1、全ての原発は即停止する
2、福島県を廃県国有化し、放射能汚染物・使用済み核燃料などの処理地域とする
3、福島県民は各人が希望する他の都道府県に移住してもらい、国は現在の生活レベルに近い形で保証する

というような主旨の内容でした。

当時は随分乱暴な意見として、沢山の批判コメントをいただきましたが、現在は似たような意見を述べる学者・著名人が結構同じような内容で講演会などで発言されており、今では「あぁ、間違った考えでは無かったのだなぁ」と安心しています。

原発は即停止、・・・原発推進派の人達は、「化石燃料はいつか枯渇する、その代替としての原子力は夢のエネルギー」などと今もなお吹聴していますが、このまま世界各地で原発が増え続けますと、利用するウランは化石燃料以前に枯渇するとも言われていますから、推進派の人達の主張はそもそもが違っています。
また、「代替エネルギーはどうするんだ。太陽・風力などの自然エネルギーではとんでもなくコストが高くなるし、現実的でない」とも言われてますが、これはことさら自然エネルギーを太陽と風力しかないように誘導しているだけで、日本ではすでにいろいろな自然エネルギーの研究・開発がなされており、政府が少し手助けすれば、数年で代替エネルギーは生まれると思っています。


つぎに、福島県の廃県ですが、これが一番言いにくいことでした。しかし、太平洋側(浜通り)は勿論、人口が密集している中通り(福島・郡山・須賀川・白河など)も、現在、法で定めている放射線管理区域以上の汚染地域であること、さらに、使用済み核燃料の貯蔵地のことなどを考えるとなどの理由からです。
もちろん、今の状態だけを考えれば、福島県の一部を除いては、除染が進みさえすれば、ある程度生活は大丈夫かも知れませんから廃県なんていらぬ心配かもしれません。
ただ、福島原発事故処理がある程度終息するまでは数十年(30~40)かかると言われていることや、その間、また大きな地震などが起こればもはや・・・、そのリスクと隣り合わせで果たしてこれからかなりの年月、普通に生活を送り続けられるかという疑問。
そう考えたからです。

三番目ですが、原発による補償は今の日本の法のもとでは避難者にとって必ず不満な額になります。これは日本の損害賠償が民間でも国家でもそうなっているからです。
ですから、賠償ではなく国家補償、それも廃県に伴う移住補償として保証すべきという意見です。

福島県の皆様には怒られるようなことを、つらつらと書いて来ましたが、これは悪意があってのことでもなく、また国を擁護するものでも決して有りません。
ふうちゃんは、ただただ、福島のみなさんの「明日」が文字通り「明るい日」となることを祈って書いたつもりです。

しかし、若し、そう思われず気分を害された方がおられましたら、その方々には深くお詫び申し上げます。

ふるさとは春です/浦部雅美

2013年11月12日 | ふうちゃんオススメ曲



政府、希望者の移住支援へ=「全員帰還」の方針転換―原発事故

政府は5日、東京電力福島第1原発事故で避難した被災者の支援策として、希望する住民には他地域への移住も選択肢とする方針を固めた。2011年3月の東日本大震災から2年半を経ても第1原発周辺の一部地域は早期帰還が見通せない現実を踏まえ、避難住民が早期に通常の生活に戻ることを優先し、これまで原則としてきた「全員帰還」の方針を転換する。

新党改革の荒井広幸代表が5日の参院経済産業委員会で「住民が帰還しない権利も重んじるべきだ」と質問したのに対し、茂木敏充経済産業相は「できる限り住民の方々の気持ちに寄り添った支援策を充実しなければならない」と答弁し、帰還を断念した住民には移住も含めた新たな支援策を講じる意向を表明した。 

                           2013年11月5日(火)19:22 時事通信

この記事、一見見過ごされそうな短い記述で、しかも、このあと関連した報道が殆んどなされていませんから、大抵の方は気にも留っていないと思いますが、実は大変な意味を含んだニュースだと、ふうちゃんは思っています。

帰還を断念した住民には移住も含めた新たな支援策を講じる・・・

つまり、今まで、福島原発事故による避難者に対し、「多少時間はかかっても遠くない将来、必ず帰れるようになりますから、しばらくは我慢して辛抱して下さい」と言っていた政府のスタンスを、「帰るのは困難な状況ですので新天地でなんとかしてください、そのためにの支援はいたします」というようにそのスタンスを変更したという記事なのです。

この方針転換はおそらく2020年の東京オリンピック開催時までに、少なくとも福島原発事故の克服を世界にアピールするためという政府事情によるものでしょうが、避難者にとって近い将来厳しい現実を突きつけられるのは間違いないことだと想像します。

思い出してあなたの好きな
故郷の春を・・・

雪がとけて垣根の上に
雀がやってきます
ひざをかかえ すわる縁側
うたたねしそうですね

冬のあいだにかじかんだ心暖めたら
遠い街で暮らすあなたに
私は会いに行きたい

草の匂い空の青さも
みんなあの日のまま
思い出してあなたの好きな
故郷の春を

こよみめくるたびに陽ざしは
暖かさを増します
福寿草が花を咲かせて
春はこれからですね

あなたのいないさびしさに書いた手紙だけど
できるならばそばにすわって
あなたに話しかけたい

風の流れ雲のかたちも
みんなあの日のまま
思い出してあなたの好きな
故郷の春を

風の流れ雲のかたちも
みんなあの日のまま
思い出してあなたの好きな
故郷の春を


しかし、そんな国の仕打ちを恨んでも、東電を呪っても、暦を事故前に戻すことは無理ですし、仮に除染により帰れる地域が出てこようと、あの「ふるさと」が帰ることは最早ないのです。

ならば、厳しくても気持ちを切り替え、新しい土地で新しい生活に夢を託し、強く生きられたらと・・・。

それにしても、こんな悲惨な状況を起こした原発を、まだ再稼働させたいと思っている人達って何なんでしょうね。

荒木一郎/妖精の詩 .

2013年10月30日 | ふうちゃんオススメ曲




オレよりたくさんの出会いと別れを
経験してきたと言うオマエ

そして今も尚経験してるって?

そんなオレの知らないオマエのことを
時おり恨んでみたくなる

その電話の相手はだれ?
メールの相手は?
今日はだれと逢っていた?

オマエのふとした仕草の中に
他の「だれか」の影を垣間見た気がして・・・

by  ふうちゃん





「好きアピール」はするけど『好き』とは言わない(*・∀・)
相手の男性がするっと入ってこれちゃうような「隙」を作ることができる・・・

目上の男性に向かって最初は敬語なのに、絶妙なタイミングでタメ語をmix・・・

いつもはテキパキなんでもやってるのに、ふとしたタイミングで甘え上手を出してくる・・・

「明日ごはん食べに行こうよ!・・・あ、でも、急に誘っても予定あるよね。ごめんね、ムリなしでいいから。」みたいな・・・

妖精と言うのは、神々の零落した姿。「堕天したが、悪魔となるには至らない天使」と定義されています。
悪戯大好き天使?



.荒木一郎 - 空に星があるように

2013年10月30日 | ふうちゃんオススメ曲




空に星があるように
浜辺に砂があるように
ボクの心にたった一つの
小さな夢がありました

風が東に吹くように
川が流れて行くように
時の流れにたった一つの
小さな夢は消えました

淋しく淋しく 星を見つめ
ひとりでひとりで 涙にぬれる
何もかもすべては
終わってしまったけれど
何もかもまわりは
消えてしまったけれど

春に小雨が降るように
秋に枯葉が散るように
それは誰にもあるような
ただの季節のかわりめの頃


この曲がラジオの深夜放送から流れだし、深夜作業や受験勉強の休憩中に耳にされたみなさんを一瞬の時間とはいえ釘付けにしたのは1966年、日本の総人口が一億人を突破し、高度経済成長に拍車がかかり世界にその存在を知らしめた頃でした。

イケイケどんどん世相の中、ふと立ち止まって自分を見つめ直す、そんな気分を与えてくれた曲だったような気がします。

この曲はもともとは荒木さん自身がパーソナリティを務めた東海ラジオの番組『星に唄おう』のテーマ曲でした。

ところが、この番組、東海ラジオにとっては開局以来初となるNRN全国ネット番組、曲は全国に流れ、これがキッカケで知られるようになったのです。

♪~空に星があるように
浜辺に砂があるように
ボクの心にたった一つの
小さな夢がありました・・・

当たり前の事象のようなこの4行の詩に込められた想いと、やさしく語りかけるようなメロディーは、夜の静寂を意識しながらの彼氏・彼女の声かけに思った方もおられたかも知れません。

そして、加藤登記子さんの「赤い風船」と並び、その年のレコード大賞新人賞となります。




梶芽衣子  淋しき夕べ

2013年10月28日 | ふうちゃんオススメ曲




声が聞けないだけで
帰りが遅いだけで
そわそわしてしまう

わたしは他の誰でもない
あなたを求めている・・・

今夜も闇の中

あなたとの新しい記憶を探して
先に旅を始めるしかないの?

by  ふうちゃん



人生も白秋付近になると、多少の「焦り」からでしょうか、できないことばかりに心奪われたり、目に付いたり、・・・そして併せて、なんとなくのあきらめ気分が漂い始めるものです。

大きな夢も持てず、新しい出会いも期待できず、もう、新鮮な感覚なんて、持てないんじゃないかと思ったりもします。

しかも体の小さな故障がときどき発生したり、内外ともにいろいろな変化に気がついたりもすると、心身共にブルーということに・・・・・・・。

でも、そこで考えてみてください。

長く生きていれば、経験した事がたくさんあります。
しかし、どんなに長く生きていても、未経験な事もたくさんあるはずです。

そこで、豊富な経験を生かしての、未経験を楽しむ時間を作る事に挑戦してみたら如何でしょう。

若い時は、周りの動向に振り回され、楽しそうな事はやってきたけれど、心から楽しんではいなかった事もあったのではないでしょうか。

これからは、経験を通して、基準は自分です。自分がいいと思ったものはいいし、好きなものは好き、嫌いなものは嫌い、つまらないものはつまらないと思ってもいいのではないでしょうか。・・・・・・ネ!^^









晩夏 /梶芽衣子

2013年10月28日 | ふうちゃんオススメ曲



夏の日の幻 指先で弾けば
さらさらと砂の上に
くずれ墜ちて 日暮れ
紅の渚に 秋風のくちぶえ
ヒューヒューと躰の中 逆さに撫でる
風よ 起こさないで
眠りかけた 愛の記憶を
風よ うたわないで さむい名残り唄は
アデューアデュー・・・夏よ

海猫の悲鳴に 褪せてゆく太陽
ゆらゆらと波に消えて
海は夜の とばり
月影に目を伏せ うずくまる心に
ひたひたと寄せてかえす 海はやさしい
波よ どこか遠く
抱いて行って 流れのままに
波よ 騒がないで 夜が終わるまでは
アデュー アデュー・・・夏よ


夏、海、恋・・・・・

なにか、引き返す波のように、す~と、どこまでもつながっていきそうな言葉たちです。

あの日の夏、あの日の海、そしてあの日の・・・

そして、す~と、つながっていく想い出たち。

「あぁ、私にもそんなアノ頃があったわ」

と笑顔でうなずかれてる奥様、あなたはきっと、幸せな青春時代を過ごされてこられた方と存じます。

「あはは、なにソレ、ドラマか何かの観すぎじゃない?!」

と笑い飛ばされてる奥様、あなたはきっと、ごくごく平均的な青春時代を過ごされてこられた方と推察申し上げます。(笑)

水平線の彼方にある崩れかけた入道雲。

そこに、一筋の閃光が走り、そして、すでに荒い波が押し寄せるようになった人影まばらな砂浜に、どどどん、どどどんと、天地を振動させるような雷鳴が響き渡ります。

そして、晴れ渡った空が、一転、にわかに曇って、まもなく、ばらばら、ばらばらと音を立てて、人影の消えた海に、激しい雨が、まるで夏の日に幕を降ろすように、降ってきます。

夏の終わりは、ときとして、秋よりも切ないものです。

やがて、雨がやむ頃には、水平線にあった名残の積乱雲はかき消えて、夏の夕日に照らし出されたすじ雲が、まるで赤くにじんだ身体の爪あとのように、天空高くに引かれていきます。

そして、誰もいない浜辺に、打ち上げられた貝殻。 アデューアデュー・・・夏よ





加山雄三 - 母よ

2013年10月28日 | ふうちゃんオススメ曲




♪幸せは ここにあるが
 ♪あなたは ここにはいない
♪心のどこかで いつも
 ♪ぼくを支えた あなたよ

♪この世にある日は いつも
 ♪ほほえみと 愛を与え
♪涙にぬれた 月日を
 ♪置いて行った 母よ

♪あなたの愛 今花咲く
 ♪枝から 枝へと

♪母よ 長い闇の道
 ♪黙って歩いた 妻と
♪幼児(おさなご)に かこまれた
 ♪ぼくが 見えますか 



十月十日(とつきとうか)・・・勿論、このサイトにお越しの方ですから、これを「体育の日」と間違える方はおられませんよね。(笑)

そうです、これは女性の妊娠期間のことです。

ただ、こちらのほうは誤解されてる方もおられるかも知れませんので説明いたしますが、これはエッチをした日から10ヶ月10日の妊娠期間ということではなく、最終生理日を妊娠0日目として、さらに、1ヶ月を28日として計算しての妊娠期間のことなのです。

さて、この妊娠期間の十月十日、女性の方にとってはすでに胎児との間で、母子としての関係が、厳然と存在していることになります。

そういう意味では、「天空の星のいのちが、母のもとへ降り立ちて、不思議にも、いのちとして宿る」というのが、母性としての実感なのかもしれません。

もちろん、母性というものは、女性に必ず備わっているというのは一般論に過ぎなく、最近の愚かな母親たちは、母性のかけらも無いように、自己中心的に走り、子どもを虐待したり、死に至らしめたりすることがあるようです。

そういえば、子授け、安産、子育ての仏教の守護神である鬼子母神も、はじめは、子の母でありながら、常に他人の子を捕えて食べてしまい、釈迦が、彼女が最も愛していた子を隠して、子を失う母親の苦しみを悟らせて、仏教に帰依させたと言いますからね。

つまり、母が母たる源である母性というものは、もちろん女性の生理的、身体的な機能に基づく先天的な特性であるにしても、その母性を真に豊かなものに形成させていくかどうかは、後天的に得るさまざまな知識や経験、環境によるところの影響に大きく依存するものと言えます。

子を産めば、母となるのではなく、母になろうとしなければ母にはならないのです。

それは父性も同じことだと思います。
子を成して、父となるのではなく、父になろうとしなければ、父たりえないのです。

子育て、育児を通じて、親である自覚のもとで、親として自らを育てないといけないのです。
育児が育自ともいわれる所以ですよね・・・。

ところで、若大将加山雄三さんは知っていても、この曲は知らなかったと言われる方も多いでしょうが、この曲「母よ」は、加山雄三さんの母であり、女優でもあった亡き小桜葉子さんを歌ったもので、彼女の死後7年目、1977年発売されています。




長い髪の少女/ザ・ゴールデン・カップス

2013年10月27日 | ふうちゃんオススメ曲




もし あなたの大切な人が私なら
私の大切な人も あなたになる

だけどそれは

夢の中だけ

あなたには私よりも
大切な物がある
大切な人がいる

だから私も あなた以上の
大切な物がある
大切な人がいる

見つめる先が違っても
あなたが自分らしく生きていてくれるなら
あなたが 幸せだと笑ってくれるなら
それでいい

あなたに恋した事は
辛く苦しい日々だった
けど
悲しいなんて思わない
切ないなんて思わない

あなたに恋した私は
ただ…幸せだった

             by ふうちゃん




昔。ザ・ゴールデンカップスが歌ってたのかしら・・・懐かしいわ~

あらあら、こんなこと書いちゃうと歳がバレちゃうかしら、もちろん秘蔵VTRで見たのよ!

大丈夫。3ケタは這いってないから。


そうですね、この曲「長い髪の少女」が発売されたのは1968年4月1日です。ですから、当時長い髪に憧れていた年代としても、・・・たしかに3ケタには這いっていません。(笑)

しかし、いいじゃないですか、3ケタでも2ケタでも。
この曲を懐かしく感じられる感性を未だお持ちの方であれば、間違いなくアナタの精神年齢はまだ40代。

きっと長い髪だった美少女の面影が残っている、・・・いやいや長い髪の美少女そのままと推察します。(笑)

さて、ザ・ゴールデンカップスと言いますと、当時、乱立気味だったグループサウンズの中にあっては変わり種だったような気がします。
自然派といいますか、我が道をゆく派で・・・

あらら、こんなこと書くとふうちゃんも、歳がバレちゃう?・・・(^-^)/はい大丈夫、ふうちゃんも3ケタは這いっていませんから。(笑)





まごころ

2013年10月27日 | ふうちゃんオススメ曲




ずっと一緒にいたいよなんて

やさしく語ったあの夜の

あなたの言葉は遠い過去

あの頃は

世界も未来も輝いて

虹の架け橋渡ってた

いつまでも終わることない

夢物語


でも今は

二人で描いたキャンバスも

いつの間にか破れ去り

揺れる心を黄昏に

あずけたままで歩いてる

夢物語も

遠い過去

by ふうちゃん




「ずっと一緒にいようよね」
なんて、言った経験、言われた経験ありませんでしたか?

「う~ん」って・・・

はいはい、無理に思い出さなくってもいいんですよ。(笑)

でも、別れる際、「もう泣かないで」なんてこと言われ、よけいに悲しくなって、そして、悲しくなって泣いている自分の姿に、さらに、悲しくなったことを経験した人は多いかも知れません。

しかし、また、そんなに悲しいときなのに、なぜかおなかが空いてしまって、涙と鼻水を垂れながら、ラーメンを食べた経験した人も多いでしょう・・・か。(笑)

でも、ただはっきりと、言い切ることができるのは、どんなに死ぬような思いで、悲しんだところで、あの日あの時には、けっして戻れないということです。

つまりは、昨日に戻る、明日はないということです。
過去はけっして変えられません。

タイムマシンがあれば、あの日に戻ってやりなおしたい・・・なんて、思うものですが、でも過去の想い出は、やはり想い出として、心の中の小箱に、そっとしまっておくよりほかはありません。

しかし、・・・です。

過去はけっして変えられませんが、来るべき未来を迎えるための土台となる経験としてそれを活かすことができれば、過去の持つ意味が変わることだってあるはずです。

受験に失敗して志望校に入学できなかったという思い出したくもない過去があったとしても、それを次の受験のための糧として活かせば、臥薪嘗胆、粉骨砕身、切磋琢磨、捲土重来、一陽来復となるのです。

この四字熟語の意味が分からない人は、国語が苦手だった過去にとらわれずに、頑張ってください。(笑)

恋人に振られた思い出したくもない過去があったとしても、それを次の人にめぐりあうための糧として活かせば、眉目秀麗、容姿端整、才色兼備、頭脳明晰、温厚博識、品行方正となる・・・なんて。
まあ、もって生まれた天性、先天的なものがありますから、なかなか、それは無理なんでしょうけどね。(笑)

でも、八方美人、優柔不断、付和雷同、有名無実、悪口雑言、傲岸不遜、傍若無人、唯我独尊のような過去の性格は少し矯正した方がいい・・・って、あんたに言われとうないって?(笑)

ともかく、過去は変えがたいものですが、これからの未来は、まだ自分の手の届くところにあるということは、事実なのです。

もちろん、ただ待っていては、それもすぐに足早に去ってしまって、単なる過去になってしまいます。

そして、過去になる直前の現在(いま)は、たしかに、居心地のいい場所なのかもしれません。

その場所には、自分に体温にあったぬくもりと、なじみ、なごむような匂いが残っているのですから。

でも、もう気がついているはずです。
そこが永遠の安住の場所ではないことに。

いまの場所に、恋々としているうちに、明日の自分を見失っていくことがあります。

私たちの身体を構成する細胞は、約60兆あるといわれ、これらの細胞は、古いものから次々に生まれ変わっていると言われています。

いわゆる新陳代謝と呼ばれるもので、およそ、一日に7000億個が生まれ変わっていると言います。

肌などの皮膚は、一か月足らずの28日で生まれ変わっていると言われ、身体全体でも、三か月で生まれ変わっていると言います。

ならば、三か月前のあなたと、いまのあなたは、細胞レベルでは、まったく違う人間であり、もう生まれ変わってるとも言えます。

そうなんです、わざわざ死ぬことを選ばなくても、すでに生まれ変わっているのです。

だから、このことに気がつけば、睡眠薬もかみそりもロープも練炭も節約できますね。(笑)

いや~、なんかふうちゃんは、こんなことをしら~と言いのけて、優しいだか、怖いんだか、我ながら、すっかり分からなくなりました。(笑)

ともあれ、新しい酒は、新しい革袋に盛れ、です。

生まれ変わったとしたら、当然、新しい環境にも、順応できるはずです。
いや、新しい環境にこそ、活かす道があります。

はじめのうちは、新しい革袋に馴染めずに戸惑い、古い革袋が、懐かしくて、さびしくなって、切なくなるかもしれません。

でも、感傷のなかに埋没して、埋もれ木のように朽ち果てるのを待つよりも、いまはほんの小さな若葉のようなのぞみでも、大切に育てれば、いずれは大きく育っていくものです。

いままでの過去の経験を、豊かな土に変え、さらに大きく、今まで以上の花も実も成らせることができます。

出逢いがあれば別れがあるのは必定です。

それがさだめというものならば、いつまでも、さだめに打ちひしがれているのではなく、勇気をもって、一歩を踏み出すことが大切なのです・・・よ。(笑)



九月の色   久保田早紀 .

2013年10月26日 | ふうちゃんオススメ曲




この道より我を生かす道なし
     この道を歩く
                    武者小路実篤

これは日本近代文学における大正期の文壇の中心的な存在であった白樺派の代表的な作家である、武者小路実篤の言葉です。

この言葉からは、青春時代の夢に忠実で、一途な不器用な生き方を想像してしまいます。

しかし、「お目出たき人」、「友情」、「愛と死」など彼の代表的な文学作品を読んだことのない人でも、独特の画風と書体で書かれた「仲良きことは美しき哉」「君は君我は我也されど仲良き」「天に星地に花人に愛」という、野菜や花などの絵に書き添えた「画讃」の複製画色紙を、見かけた人も多いでしょう。

大阪などでは、お好み焼き屋か串カツ屋で、ソースまみれで、あるいは場末の飲み屋で、店主の無粋な文字で書かれた「貸して不仲になるよりもいつもニコニコ現金払い」の張り紙の横で散見されることも多いようです。(笑)

ところで、武者小路実篤は、「尊敬すべき幸福な人は、逆境にいても、つまらぬことはくよくよせず、心配しても始まらないことは心配せず、自分の力のないことは天に任せて、自分の心がけをよくし、根本から再生の努力をする人である。」とも言っています。

我は我、我が道を行くと、頑固なこだわりをみせながらも、一方では運命にしたがって、周囲にも柔軟に対応することを求めているようにも思えます。

矛盾しているのでしょうか。

いいえ、そういう生き方しかできない自分にこだわり、非力な自分、不運な自分をなげきつづけても、そうそうに生き方を変えられないものであるのも真実です。

ならば、ともかく、くよくよして、立ち止まっていないで、いまはその道を、歩いていくしかないと思い切ることが大切なのだと思います。

それが唯一の一本道。

やはり、武者小路実篤、享年90歳の人生からの言葉だと思います。