国産定番万年筆 最弱インプレ

実用上十分、ほとんど最強と考える実売1~2万円の国産万年筆をレポート。カスタムパーツ製作も左下BOOKMARKで紹介中。

[ 112 - ドナルドキーン氏文化講演・松江文化を象徴する贈り物 ]

2009年11月03日 | Weblog
●文化の日の本日14時からわが街の市民文化センターにて、著名な米国の日本文学研究者であるドナルド・キーン氏の講演会 「私と20世紀のクロニクルー日本文学に魅せられた人生」が開催されます。
●歴史上の偉人のような方が健在で、はるばる来松してくださり講演なさるということに、ちょっとした感慨があります。
●キーン氏に付き添って来られる日本の和歌の先生の弟子が松江におられて、その弟子の方は講演前にキーン氏に紹介され歓談するそうです。 その際に 『 松江文化の象徴としての贈り物 』 を渡すというので選ばれたのが、ペンを手に数多くの著作をものにしてきたキーン氏がちょっと筆を休める時に使っていただきたいという 『 八雲塗1本トレイ朱色バージョン( 上の写真の全体が朱色の1個 )』 なのだそうです。
●昨夜はじめてその話を耳にした私は、" 八雲塗とこの1本トレイの解説を、下手クソな英文に訳してみましょうか" と申し出ました。
返ってきた返事は、
『 あのね、日本の古典を原文でバリバリ読む先生だよ。下手な英訳なんぞ要りますかいな 』 でした。


★http://fish.miracle.ne.jp/mail4dl/yamamoto/Y-02.htm


★出席された方のブログ
://hikichin.blogspot.com/2009/11/blog-post.html

[ 110 - 1918年開業・創業100年目指してリフォーム ]

2009年10月24日 | Weblog
●来週前半に岩手県の愛好者の方が 『 出雲大社と中屋万年筆店を訪ねます 』 と山陰までお越しくださるそうです。
それに間に合うように店構えをリフォームしたい、と店主が言っていたのでそろそろ出来ているかと店を訪ねると、Before→After が済んでいました。

●店主も奥さまも、期待以上の仕上がりだと喜んでいました。
色合い、木の質感、立体的な横文字の看板、すべて大満足だそうです。リフォームのどこが気に入ったのかを話す店主夫婦の喜びようを聞いていると、うれしくなってきます。

●後継者のいない83歳のあるじが店をリフォームする理由は実際のところ何だったのかと問うと、「 先代が店を開いたのが1918年だからあと9年で創業100年になる。ワシは創業100年まではやる気マンマンだもんね。店もそれなりに整えておかなくちゃな 」 ということでした。
※ガラスに店主と奥様が映っています。店の前は公園です。

●とりあえず 「 創業100年には何か祝いのイベントをやりましょう 」 「そうだね。企画運営は頼むよ 」 と店主と約束を交わしました。

●上の写真が ( イメージ図ではなくて ) 実際にリフォームが済んだ、田舎万年筆店の写真です。
仕上がり具合には応援団員も大満足です。色合いも、一部の木材の風合いも、田舎万年筆店に合っていると思います。とりあえず作ったイメージ図よりも仕上がった実物の店の方が何割増しか、より好印象。
団員が恐縮してしまうことに基本的にあのイメージ図を再現してくださっています。 ラフな図で依頼せず、生々しいイメージ図を渡したので、いくら 「 これにとらわれずに自由に発想してくださいね 」 と伝えたとしても、施工するものづくり職人さんらを縛らないはずがなかった、ということはあるかもしれません。個人的な反省点です。

★要望と、それを聞き取りした上での対応の参考↓
http://fish.miracle.ne.jp/mail4dl/05-topic-news/AB8-6.htm

★パイロット社の軟調ペン先:SM( ソフトなM ) は 普通のMとどう違うか↓
http://blog.goo.ne.jp/fine-man_2007/c/b809df89e1fb27a3908ce0003b57ab1b

★海外万年筆サイトでの日本製万年筆の評判↓
http://blog.goo.ne.jp/fine-man_2007/e/910c9ba543e69bc2a23a883812e82d73
http://blog.goo.ne.jp/fine-man_2007/e/cbe02406dae4a4b6d75e847d0c567665

[ 099 - いきつけの田舎万年筆店リフォーム ]

2009年09月21日 | Weblog
●わがまちにある老店主の万年筆店。
80歳を超えてもネクタイを締めジャケットを着て姿勢よく店頭に立つ店主に会いに久しぶりに店へ出かけました。
話をしていると店主が 『 実はね、店のドア周りと外から見て左端のはめ殺しのガラスあたりを、リフォームすることにしたんだ 』 と言いました。
何でも、しばしば県外から、まるで観光地であるかのように万年筆愛好者の方がはるばる来てくださるので、あんまり安っぽい店構えであると落胆させるようで申し訳ない。交通の便が良いとはいえない山陰まで足を伸ばしてよかった、と思ってもらえる店構えにしたいのだそうです。
店主は毎年東京の文具店などへ足を運び、洗練された文具セレクトショップの店構えの写真を撮って帰ったりしているので、そういうファサードやインテリアを知っています。しかし店主と話をするうちに、『 この店には東京からもしばしばお客さまが来るので、そういうお客さまを、東京で見知っているような店構えで迎えても仕方ないのではないか。東京で見た店に憧れは感じるが、ウチは堂々と田舎の店でいいじゃないか。安っぽくは無いけれども、どこか昭和な野暮ったい店構えにしたいね 』 という風に考えていると分かりました。つまり上のイメージ図も店主の希望とは違う。もっと昭和日本なかんじ?

●80歳も半ばに近い店主が、まだまだやる気満々で、店をリフォームする。
軽く感動した私は、おせっかいを焼いて( 建築は全く専門外ですが )、写真のような叩き台イメージ図を作り、『業者さんに見積もりを取る際に使ってください』 と印刷した紙を店主に渡しました。 また、いつか新聞で若い職人さんが頑張っているという紹介記事を目にしたことがある下記の業者さんなども( 面識は無いが ) いいかも知れないですよ、と情報として紹介しました。
http://flat-style.seesaa.net/
いずれ写真をHPの方に掲載して、顛末をご報告します。

●というわけで、年末年始頃に松江の老店主の万年筆店を訪ねると、店名の看板が電飾でビカビカ点滅して光っていると思います( ウソ )。



■■見積もり届き 話まとまる■■
その後業者さんが見積書を持参して来店され、リフォーム内容と見積もり金額について店主も納得し、話がまとまったそうです。竣工時期はまたご報告します。

※創業1918年:松江・中屋万年筆店・勝手連による応援HP↓
http://fish.miracle.ne.jp/mail4dl/05-topic-news/AA3-09.htm

※ペン先11種類の拡大写真
http://fish.miracle.ne.jp/mail4dl/05-topic-news/AB9-06.htm

[ 069 - 小雨降る京都にて ]

2008年04月20日 | Weblog
■所用で出かけた平日の京都。
町屋を改装した 「蒼」 というパスタ屋さんで昼食をとりました。
たまたまペンケースに入れて携帯していたのは823と845でした。
雨が降っても「雨の京都もいいね」などと言わせることができる街は得です。
近くには風呂敷屋さんがあって、風呂敷布製のペンケースが置いてありました。

■昼の12時半ころに京都市内の万年筆店である 「文明商社」 さん
http://fish.miracle.ne.jp/mail4dl/05-topic-news/AB4-05.htm
の前を通りましたが、シャッターが下りていました。
帰路新幹線を途中下車して神戸の Pen & Message さん や ナガサワ文具センターさん にも立ち寄りたかったのですが、スケジュールの都合から今回は断念しました。

■伊勢丹京都の万年筆コーナーも充実していました。 通路を大きく取って配置されている什器のほとんどでは、フェルト貼りの平らな台の上に整然と万年筆が平置きされていました。シンプルに平面的で、工夫が満載の立体的な陳列ではありません。棚や空間に商品を詰め込まずに大きく余裕を持たせるのが伊勢丹流の陳列・VMDだと聞いたことがあります。中屋万年筆店に同じ什器があったなら、陳列する万年筆の本数は2倍にはなりそうでした。
黒いパンツスーツの女性販売員さんたちが皆格好よいことも印象に残りました。

[ 056 - ホシエスのシャープペンシル ]

2007年10月23日 | Weblog
●老店主の店では古いものを大事に取って置くことをされません。
だから、「田舎の店だから何かお宝が残っているのではないか」 と期待して訪ねると、現行品しか無いのでがっかりします。店に無いだけでなくて、店主の私物にも全く珍品や名品など残していません。 欲しいという方に頓着無くあげたり売ったりして、もう何も無い。

●そんな店のショーケースに、古そうなシャープペンシルが2本だけ残っているので、写真を撮らせてもらいました。 どうも、売り物では無いようです。

●hosiesu ホシエスと刻印があります。星印の中にSのロゴ。
私の祖父がまだ若かった大正後期か昭和初期頃には、相当メジャーな繰り出し鉛筆メーカーであったそうです。老店主によると。

[ 053 - 紺ブレ万年筆 ]

2007年10月12日 | Weblog
■セーラー社プロフィットの、ブルー色軸。
この色は、なかなか良い青色だと思います。好感を持っています。

■黒軸のプロフィットは "いわゆる万年筆" ですが、
この青軸は、もっとフレッシュで健康的な印象、
ハニカミ王子が着た紺色ブレザーのような若々しい印象があって、
個人的に 「紺ブレ万年筆」 と呼んでいます。

[ 052 - 渡されたプラチナ ]

2007年10月11日 | Weblog
■近いうちに初プラチナ社製万年筆を手に入れようと思っていましたが、今夜1本のプラチナ3776を渡されました。
ペン先には [ #3776 P 14k 中 ] の刻印があります。
キャップトップは平らで、尻軸は丸い。

■10日に祖父が永眠し、祖父宅での通夜を終えて戻ってきました。
病院ではなくて自宅で過ごし、静かに息を引き取りました。93歳。
4ヶ月前までは自転車で元気に出かけておりましたが。10月14日が誕生日で、1ヶ月前から、「思い残すことは無いのでボクは誕生日にいくから」 と宣言していて、すこしだけ早くいきました。

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●「祖父の父」 は松江市石橋町の薬屋を生家にし、明治37年の日露戦争時に軍属として満州に渡り、そのまま遼陽に留まって3軒の薬局を営んでいました。中国の人々の間では眼病等が流行っていて、日本製の薬が良く効いたので、店はたいそう繁盛したようです。
祖父は鞍山中学と薬学学校を卒業して薬局の1軒を任されて営んでいました。
私的には、この頃の祖父が、満鉄「あじあ」号のパシナ型
http://www.khi.co.jp/sharyo/since_final/since_1934.html
に何度も乗っていたというのが、~流線型でとても格好よく見える広軌の超特急蒸気機関車なので~、ちとうらやましい話でした。

●敗戦によって日本人の家屋財産その他は奪われます。
語りたがらないのを聞かせてもらうと、どうも、鞍山市の大空襲やら、盗賊やらロシア軍やらに襲われたり連行されたりして兄弟を失っている。
そんな中 Finemanの母 や叔母や叔父にあたる子供たちを連れて、激動と混乱のなか苦労して、80人乗りの上陸用舟艇を流用した引き揚げ船に詰め込まれる300人に潜り込んで、博多港に上陸。頭から真っ白にDDTをかけられる。祖父30歳の頃です。
しかし、父の代から暮らしの足場は満州であったので、日本にはまったく何の財産も故郷もなく、途方にくれます。

●知人の知人が松江駅の助役をやっているという記憶を頼って松江へ。しかし他人の家に家族5人で下宿するわけで資金も乏しいために長居はできません。

●1件だけ心当たりのある遠い親戚が富山の八尾町にいるというので、おそるおそるそちらで暮らせないかと手紙を出したそうです。かろうじて住所は分ったけれども電話番号は知らない。そもそもその親戚宅に電話があるのかも分らない。
当然 E-Mail なんてありません。だから連絡は手紙です。万年筆で書いたそうです。

●手紙を出して、1週間、10日、返事は来ません。
仕方ないので、祖父は子供たちを連れて松江:中屋万年筆店の前の神社白潟天満宮の境内で、腹も減るので、じっと座って時間が過ぎるのを待ったこともあったとか。中屋万年筆店は創業は 1918 年ですので、当時からそこにあったと思います。店主は先代であったかも知れませんが。
山陰松江は戦火に遭っていないし、周辺の農村で米もちゃんととれていたので、満州帰りの祖父たちから見ると、至極平穏であったとか。祖父や祖母は地平線に馴染んだ広大な大陸で育ったので、小さな平野の周りを山に囲まれた松江の風景は、山があんまり近すぎて、ちょっと歩くと山が おでこ にぶつかりそうに思えたそうです。 ( ↓満州に日本人がつくり上げた広々とした街並み )
http://mansyu.zz.tc/photo1   http://mansyu.zz.tc/photo2  http://mansyu.zz.tc/photo3

●そして、2週間目にようやく手紙の返事が来て、八尾町へ。
祖父は薬に詳しかったので保健所の職員として採用されます。八尾町では人々が親切で「大変でしたな」と野菜等の頂き物をいつも分けてくださり、敗戦以後緊張していたのがようやく、人間らしい心持と生活に戻れたとか。
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■そうして60年が経って、2007年。昭和は過ぎて、平成となっています。
祖父が満州から連れ帰った娘、の息子である筆者が、祖父宅にあったプラチナ製万年筆を渡されました。祖父がいつ手に入れたものかは分りません。
水洗いして新しいカートリッジを挿すと、インクが出ることは出るけれども、詰まっている感じで、かすれて仕方ない。
調整に出し直して使うか、祖父が持っていたそのままの状態でしばらく保管するか、まだ考えています。

■以上は、
政治家や偉人の作る「歴史」ではない、
普通の人々の体験した「昭和の記憶」 は、高齢者が鬼籍に入ることでどんどん失われ、一旦うしなわれるともう取り返せないというので、
「高齢者から聞き書きをしよう、それが世代間交流にもなり先人への尊敬のもとにもなる」 という主旨の
『昭和の記憶』 http://www.memory-of-showa.jp/
という活動があることを知った数年前に、この団体とは関係なく自分で独自に祖父と祖母から3ヶ月ほどかけて聞き取りをしてワープロ打ちをした長文の、そのほんの一部の要約抜粋でした。

[ 050 - ニッポンの万年筆店 ]

2007年10月06日 | Weblog
●任務だと思って映画 「クローズド・ノート」 を見てきました。

●イマヰ万年筆店は、
インテリアは 伊勢丹メンズ館みたいで、
外観は 三丁目の夕日 的昭和風情だ、と思いました。
にっぽんには昔、数千といわれる、沢山の万年筆店があったんですよね。

●「万年筆って、万年筆で書く伊吹先生( 竹内結子さん ) の姿って、
  万年筆で書かれた伊吹先生の文字って、なぜあんなにあたたかいんだろう、
  やばい、万年筆ってけっこういいかも」
と思ってくださった観客が、きっと沢山いると思います。


■登場人物たちが、インク瓶にペン先をつけては試す、「試し書き」
をするシーンが何度か出てきました。

■でも、インクボトルを開け、コンバータにインクを吸入して、
満タンになったことを確認してからペン先を拭く、というようなシーンは、
一度もありませんでした。映画としてそんなシーンが必要ないのは分ります。

■でも万年筆を持ったことの無い若い観客の少なくない割合の方は、
「万年筆という道具は、時々ペン先をインク瓶につけては書き、
 つけては書く、不便なモノらしい」 と思い込んだのではないかと思います。
少し前の邦画『舞妓Haaaan!!!』は2週間で観客動員100万人突破だそうです。
もしクローズドノートを100万人が見て、若者が3割で、その3割が万年筆
は漬けペンなんだ、と思い込んだなら9万人。DVDレンタルも始まる。
誤解させた9万人に、認識を正してもらうのはけっこう大変かも。

もちろん、万年筆界?にとって
プラス効果の方が圧倒的に大きい、ありがたい映画であるのは確かです。


●とまあ、そんなポイントばかりに注目してしまうのでした。

※上に掲載した絵の著作権は 創作なので大丈夫です。

[ 033 - 新しい軸&キャップに、古い14kニブ ]

2007年08月14日 | Weblog
■最近は、
パイロット社のカスタム74と742、
セーラー社のプロフィットとプロフィット21、
の4本を集中的に使っていますが、
これらを手に入れるずっと前から
セーラーのプロフェッショナル・ギアを使って
いました。

■14Kで金色1色のペン先は、
最新のプロ・ギアの金銀2色で彩られたペン先に
較べると地味ですが、書き味は手に馴染んで不満
の無いものです。

■胴軸とキャップが、ちょっとした実験の犠牲に
なったので、古いペン先を新しいプロ・ギアの
軸/キャップに取り付けてあります。

■なんというか、ニブの、滑らかに書ける平らな
面が広くて、筆記角度をやんわりとそこに指定
されるような感覚があります。
使い続けて慣れると凄く良いですが、
他のペンから持ち替えて10分くらいは、
そのことをかすかに意識させられる感じです。

[ 028 - 貸与された国産万年筆 ]

2007年07月31日 | Weblog
■更新が遅れているのを心配した、県外の万年筆愛好者の方が、よかったらこの万年筆のインプレを書いてみないかと
プラチナ万年筆の古いモデルを送ってくださいました。
ありがたいことです。

■書き味については、私の手に合わないようで、かすれがしばしば発生してしまい、気難しいものでした。
この町の老店主の店に調整に出してから返却させていただこうかと思います。

■でもこの万年筆のルックスはなかなか良いですね。
中園宏氏の「世界の万年筆」などを眺めると、このモデルが販売されていた当時には、よくある基本デザインの一つであったようですが、長いキャップ表面に描かれた飾り線が、ちょっとだけ締まった印象を与えているようです。