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ビーンの不定期日記

その日の事や思ったことを…

 「思いつき
   いかげん日記」

父の日

2019-06-16 21:46:29 | 日記
私には34歳になる息子がいます。
結婚していて小学校1年生の一人娘がいます。

息子は今日の父の日に娘(私にとっては孫)から何かプレゼントを貰ったのかな?

勿論、私には息子からプレゼントもメールもありませんでしたが。
毎年のことです。

私は父には何歳になっても誕生日と父の日にはプレゼントを渡していましたが。

私が父にそうしたように、息子が私にそうしてくれるとは限らないのですね。期待してはいけないんですね。

人生に見返りを求めてはいけないんですね。
「見返りを求める」こと自体がお釈迦様の教えに反するのですね。




損と得

2019-06-13 00:07:55 | 日記
昨日、釣り銭を取り忘れて気がついて戻ったときにはお金はありませんでした。 

昨日ファミマでスマホで撮った写真をコピー機でプリントアウトしました。

ファミマでプリントアウトするのは2回目で手順に不慣れでしたが何とか写真をプリントアウトする事ができました。
1枚だけのプリントでしたので料金80円。小銭がなく1000円を投入しました。でも不慣れな私は出てきた写真に気を取られお釣り920円を取るのを忘れてコピー機から離れそのまま買い物をしてしまいました。

買い物を済ませレジでお金を払うときにやっと写真のプリントアウトをした時のお釣りを取り忘れたことに気が付きました。 
急いでコピー機に戻り釣り銭口を見ましたがお金はもうありませんでした。
結局、写真1枚に1000円使ってしまいました! 

釣り銭を取っていった人間を恨むやら、自分が釣り銭を取り忘れてしまったことに自分自身に腹が立つやら!
何とも気分の悪い1日の始まりでした。
でも済んだことは仕方ありません。 
気持ちを切り替えなくてはいけないと考え直しました。
 
すると私の心の中にこんな想いが現れてきました。

「確かにお釣りの920円は損したけれど、それ以上にこれまで自分は多くのものを周りの人から貰っている(得ている)。
自分が苦しい時にどんなにたくさんの人に今日まで助けてもらってきたことか。
自分が周りの人達から頂いた、お金では代えることのできない思いやりや優しさに比べたら、取り忘れた釣り銭の920円の損なんて比べようもないくらい些細なことー」

そう考えると920円にこだわって腹を立てた自分がとても愚かに思えました。

「大切なものは目には見えない。
大切なものはお金でその価値を計れない。」

私がこの10年間、今日まで生きてこられたのは私を支えてくれた家族や友人のお陰です。

人の心の温かみを充分に噛み締めているはずのその私がお金に執着し拘(こだわ)っているようでは 

私はまだまだ人生の修行が足りません。

秋川雅史さん

2019-06-09 09:17:37 | 日記
昨日、妻と娘が眠る新宿のお寺「瑠璃光院」で開設5周年記念法要があり行ってきました。

法要の後に1時間程の奉賛コンサートがありました。 
秋川雅史さんのコンサートです。



会場はビアノが常設してある5F阿弥陀堂。60〜70名くらい入れば一杯になってしまう部屋です。 

私はそこで秋川さんと3メートルと離れていない前の席で聴くことができました。

目の前で歌う秋川さんのホンモノの歌声に感激したことは勿論ですが、歌と歌の合間のトークも親しみのある楽しいお話でした。
7曲ほど歌われました。

特に「Ave Maria(カッチーニ)」と「千の風になって」を歌った時は、私は自然と涙が出て涙が止まりませんでした。

最後の歌が終わって会場は大拍手となり、私は席から立って拍手したのですが、立って拍手したのは私だけでバツが悪かったです。
お客さんは檀家さんが中心で高齢者が比較的多かったからコンサートやライブ慣れしている人がいなかったのかな?

とても素敵な1日でした。
妻と娘の良い供養になったと思います。

ネコに占領されました

2019-06-06 05:12:06 | 日記
この2週間ほど前から我が家のネコはキッチンに居座ってしまった。

5月の半ばを過ぎ暑くなってきた頃からだ。
それまでは陽のあたる窓際が好きで一日中そこで日向ぼっこをして寝ていた。
今はこのキッチンで一日中ゴロゴロと寝ている。

20歳の老猫で、亡くなった妻と娘の置き土産だ。
精々大切にしたいと思っているが、如何せんこれでは食事の支度も出来ないし洗い物もできない。

ネコをまたぐ無理な姿勢でキッチンに立っている。
私の身体のほうがシンドクなってしまった。





娘の一周忌

2019-05-27 19:03:24 | 日記
昨日5月26日は、昨年自死した娘の一周忌でした。
日曜日ということもあり一周忌の法要を行いました。 
出席者は、私に息子家族、亡くなった妻の福島の弟、そして私の実家を継ぐ甥っ子。6名。

一昨年の11月に妻が亡くなり、その2ヶ月後に母が亡くなり、その4ヶ月後の昨年5月に愛娘が自ら命を断ったのでした。
半年の間に家族3人が亡くなりました。
妻のがん再発の余命宣告もショックでしたが、娘の自殺には心が打ちのめされました。
私は自分の精神状態がこれから先どうなってしまうのかわからなくなりました。

それでも、娘の一周忌を終えるまではとにかく頑張って生きようと、それだけを思いながらこの1年を、生きてきました。

娘の一周忌を終えて、私の生きる意味は達成できました。
もう、いつ死んでもいいと思っています。長生きするつもりも全くないのです。長生きしたいとも思っていません。 

もう、この世で生きていくのは
“潮時かな?”と思うのです。

それに、私は長生きする要素を備えていません。
高血圧、肝炎、胃潰瘍、1日2〜3時間しか眠れない睡眠障害。 
長生き出来ない条件が充分に揃っています。

自殺はしませんが、病気や不意の事故で死を迎えられるなら喜んで素直に受け入れたいと願っています。