ビーンの不定期日記

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 「思いつき
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般若心経(再)

2011-01-31 10:04:36 | 般若心経
お経の「般若心経」の現代語訳を載せてみました。興味がある方は読んでみてください。

何冊かの参考書を読んでみましたが、現代語訳が難しかったり、原文からかけ離れた意訳だったりで、原文を読みながらの理解が難しいと思いました。

そこで私なりに、出来るだけ原文に沿った形で訳し直してみました。参考にしていただければ幸いです。

参考図書:「般若心経二六二文字の宇宙」ひろ さちや著(小学館文庫)、「絵解き 般若心経」瀬戸内寂聴著(朝日出版社)、「寂聴 般若心経」瀬戸内寂聴著(中央公論社)



  -般若心経-


 摩訶般若波羅密多心経。
 
 觀自在菩薩。
 行深般若波羅密多時。
 照見五蘊皆空。
 度一切苦厄。

ほとけの智慧の大切なお経。

これは平安な心を得る為の偉大な仏の智慧の教えであり大切なお経です。
かつて観音さまは、
安らかな心の平安を得る為の智慧の修行をされていた時に、
物も心も、この世の全てのものは、永遠不滅で変わらないものなどない、と言うことをはっきりとお解りになりました。
そうして一切の苦しみを克服されたのです。



 舎利子。
 色不異空。
 空不異色。
 色即是空。
 空即是色。
 受想行識。
 亦復如是。

観音さまは10大弟子の1人、舎利子にこうおっしゃいました。
全ての物体や現象は、心がそれを認識すれば“ある”し、心がそれを認識しなければ“ない”と同じ、つまり実体はないのです。
そして、このことは物体や現象だけでなく、感じ方や考え方という心の働き、精神についても同じことが言えるのです。



 舎利子。
 是諸法空相。
 不生不滅。
 不垢不浄。
 不増不減。

舎利子よ、もっと分かり易く言うと、こう言うことです。
この世の物や事柄、現象など全ては心の認識次第であり、実体というものはないのです。
何もないところから突然に何かが生まれると言うこともないし、理由もなくいきなり物が消滅してしまうと言うこともありません。
汚いとか綺麗とか言うこともありません。
物が増えたり減ったり見えても、それは物が移動したり形を変えただけのことであって、実際には増えも減りもしていないのです。



 是故空中無色。
 無受想行識。
 無眼耳鼻舌身意。
 無色声香味触法。
 無限界乃至無意識界。

ですから、心が認識しなければ物は無いのと同じですし、
心の働きによるいろいろな想いも、また無いのと同じなのですよ。
眼、耳、鼻、舌、身体、意識、も無いのと同じです。
物、音、香り、味、感覚、思い、も無いのと同じです。
視覚から意識の世界に到るまで、認識する心がなければ、それは無いのと同じことなのです。



 無無明。
 亦無無明尽。
 乃至無老死。
 亦無老死尽。
 無苦集滅道。
 無智亦無得。
 以無所得故。

煩悩の源である心の闇もなければ、
その心の闇が尽きるということもありません。
老いや死などの苦悩もなければ、
それら苦悩が尽きるということもありません。
この世の四つの真理とされる、苦についての真理も実は無いのです。
智慧もなければ、得られる悟りも無いのです。
得るべきものが何も無いからなのです。



 菩提薩捶。
 依般若波羅蜜多故。
 心無罫礙。
 無罫礙故。
 無有恐怖。
 遠離一切顛倒夢想。
 究竟涅槃。

菩薩の行をする修行者は、
平安な心を得るための仏の智慧により、
心にはこだわりが無くなります。
こだわりが無くなるので、
不安や怖れも無くなります。
現実離れした一切の妄想から脱却することができ、
真に心が平安な世界へ辿りつくとが出来るのです。



 三世諸仏。
 依般若波羅蜜多故。
 得阿耨多羅三藐三菩提。

 故知般若波羅蜜多。
 是大神呪。
 是大明呪。
 是無上呪。
 是無等等呪。

 能除一切苦。
 真実不虚。

過去から未来に到るまであらゆる処に存在する諸々の仏は、
智慧の完成によって、
この上なく最高の悟りを得ることが出来たのです。

そうでありますから、人々は仏の智慧を知るべきなのです。
仏の智慧は、神聖な真実の言葉(真言)であり、
素晴らしい霊力を持つ真言であり、
この上ない真言です。
そして、比べようのない最上の真言なのです。

この真言を唱えることによって、一切の苦悩を取り除くことが出来ます。
何故なら、この真言は真実そのものであり、一片の嘘も無いからなのです。



 故説般若波羅蜜多呪。
 即説呪日。

 羯諦羯諦
 波羅羯諦
 波羅僧羯諦
 菩提薩婆訶

 般若心経。

それでは、仏の智慧の真言を唱えましょう。
さあ、このように唱えましょう。

ガテーガテー
パーラガテー
パーラサンガテー
ボーディスヴァーハー

往けよ、往け
彼岸の地へ
彼岸到達した者よ
幸いなるかな 悟りあり

これが般若心経、仏の智慧の教えです。

誤解の原因は

2011-01-30 20:33:47 | 日記
求めるものが誤解の原因


[話す側の誤解]

自分の考えや意見を聞いてもらうことを第一の目的としているはずなのに、聞いてもらって反論がなかったら全て自分に賛成、同意見だと思ってしまう。

これは大きな誤解です。

聞く人は「あなたの言いたいことはわかりましたよ」「わかる、わかる。」と聞いているのです。
自分の意見は別に持っているのです。賛同している訳ではありません。


[聞く側の誤解]

相手の言うことを親身に聞くのですが、だからこそ自分の考えと違うととことん話し手に自分の反対意見を主張します。
そうすることが話を聞く側の義務・責任だと思ってしまっているからです。

でも、話す側の目的は先ずは聞いてもらうことにあるのです。意見を求めているのではありません。
このことを誤解してはいけません。

話し手のことを思いやるなら、まずは聞き役に徹することです。聞くだけで話し手の大半は満足し、内なる悩みもほとんどが解消するのです。
聞いてもらうこと自体が目的だからです。

意見を求められるまでは、あなたの考えが話し手の考えと違っていても、話し手に意見するようなことはすべきではありません。


[ま と め]

“話し上手は、聞き上手”

簡単そうに聞こえますが、現実の生活においては、この実行はなかなか難しいものです。

“聞き上手”は本当に難しいですよ。
世の中、言いたがり屋・主張したがり屋の人間が多いですから-

市民駅伝大会

2011-01-30 12:14:21 | 日記
夜中までサッカーのTVを見てしまったので寝不足でいたところ、朝から外が何だか騒がしい。歓声のような声援のような。

そうだ、今日は市民駅伝大会のある日でした。

     

私の住むアパートから100m先にある小学校がスタート地点になっているのです。
その沿道の声援が聞こえてきたのでした。

昨年9月にこの街に来たのでこの街のことがまだよくわかりません。
物珍しさも手伝って駅伝大会を見てみようと思いました。
ブログのネタも出来た!と早速写真を撮りに部屋を出ました。

市民マラソン大会はよく聞きますが、「市民駅伝大会」っていうのもあるんですね。知らなかった!(反省)
今年が55回目! そんなに昔からやってるの!?
(ちょっとビック)

老若男女、襷を掛けてみな真剣な表情で一生懸命に走っていました。

   

でも駅伝て、チームで走るんですよね。
いったいどんなチームの人が走っているの?

そんなことを考えながら部屋に戻ってこのブログを書いていると、何と、ラジオからこの大会の実況中継が聞こえてきました。地元のFM局でした。

ラジオによれば、学校のクラブや地域の野球チーム、職場仲間や町会代表などなど、多種多彩、様々なチームが参加していました。

因みに、少年の部は、サッカーJ1のFC東京の少年クラブチームが優勝したとラジオで成績を伝えています。(やっぱりサッカーは足が速くないとね、優勝チームに納得。)


寒い時期になるとマラソンや駅伝が盛んです。

でもさすがに雪の中では無理ですよね?
それとも、やっぱりこの時期、こういう大会あるのですか?

難しいものです

2011-01-29 07:18:36 | 日記
こうしてブログを書いたりコメントを書くことは、自分の考えを表現する上でよい勉強になっています。

いつも、解りやすくて短い文章になるように意識しています。
ところがこれがなかなか難しい。
苦戦ばかりしています。

思っていることをいざ文章にしょうとすると、良い文章が頭に浮かんできません。それどころか文章を考えているうちに

「あれっ! 自分は何を言いたいんだっけ?」

と実は考えのまとまっていない自分に気付き、書いている途中で改めて考え直してみたり…

折角長時間かけて打った文章を全部削除することもよくあるんです。

時にはもどかしくなって
「話せるもんなら話したほうが正確に意味を伝えられるのになぁ~」と思ったりもします。

でもね、私と妻のことを考えるとそうも言えません。
“どうせ話しても解ってくれない、無駄だ”と思うと日常会話も“当たり障りのない”ことだけしか話さなくなります。何か言うと文句を言われ反対され、自分の意見をいつも嗜(たしな)められているとそうなるのです。

文章を書くにしても話をするにしても、自分の思いを伝えたいという強い気持ちがないと相手に真意を伝えるのは難しいものです。

このブログが“当たり障りのない”ブログにならないようにして続けていきたいと思います。(自戒)

続 お隣りさん

2011-01-28 07:18:34 | 日記
以前書きましたが、私の隣の部屋、202号と201号は新聞配達所が従業員の寮として借りています。

新聞配達の仕事はキツイせいか住む従業員の入れ代わりが結構頻繁にあります。直ぐに辞めてしまうのです。

昨年11月に202号に入居した従業員は12月30日に出て行きました。
そのかわり、今月中頃に新しい従業員が202号に入ってきました。

すると今度は、201号の従業員が先週出て行きました。


出て行ったあとに、後日、郵便ポストに電話や電気の請求書が溜まったままに放置されているのをよく見かけます。

公共料金は本人もちですが、辞めてアパートを出ていく人は未払いのままで出て行ってしまうようです。

新聞配達の仕事が長く続かないのは、仕事のキツサよりも、そもそもそういう仕事を選ばざるを得なかったその人の事情や性格に起因するところが大きいような気がします。

偏見でしょうか?