帰属の教義
D・トッド・クリストファーソン長老
十二使徒定員会
わたしたち各個人にとって帰属の教義は次のことに集約されます。わたしは福音の聖約において主と一つです。
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コリント人への第一の手紙の中で,パウロは,教会でバプテスマを受ける人は皆,キリストのからだにあって一つであると宣言しています。
「からだが一つであっても肢体は多くあり,また,からだのすべての肢体が多くあっても,からだは一つであるように,キリストの場合も同様である。
なぜなら,わたしたちは皆,ユダヤ人もギリシヤ人も,奴隷も自由人も,一つの御霊によって,一つのからだとなるようにバプテスマを受け,そして皆一つの御霊を飲んだからである。……
それは,からだの中に分裂がなく,それぞれの肢体が互にいたわり合うためなのである。
もし一つの肢体が悩めば,ほかの肢体もみな共に悩み,一つの肢体が尊ばれると,ほかの肢体もみな共に喜ぶ。」
帰属意識は,わたしたちの肉体的,精神的,霊的な幸福にとって重要です。しかし,それでも時として,なじめないと感じることもあるかもしれません。落胆するとき,主の高い標準やほかの人々の期待に沿うことなど決してできないと感じるかもしれません。わたしたちは無意識のうちに,主の期待とは異なる期待を他人に,あるいは自分自身にさえ課すことがあり得ます。わたしたちは,それとなく,人の価値が特定の成果や受けている召しに基づいているというメッセージを送ってしまうことがあるかもしれません。しかし,わたしたちの立場は主の目から見てそのような尺度では測られません。「主は心を見〔られます〕。」主は,わたしたちの望みや切望,そしてわたしたちがどのような者になろうとしているかということを気にかけておられます。
(省略)
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第1コリント
12:12からだが一つであっても肢体は多くあり、また、からだのすべての肢体が多くあっても、からだは一つであるように、キリストの場合も同様である。 12:13なぜなら、わたしたちは皆、ユダヤ人もギリシヤ人も、奴隷も自由人も、一つの御霊によって、一つのからだとなるようにバプテスマを受け、そして皆一つの御霊を飲んだからである。 12:14実際、からだは一つの肢体だけではなく、多くのものからできている。 12:15もし足が、わたしは手ではないから、からだに属していないと言っても、それで、からだに属さないわけではない。 12:16また、もし耳が、わたしは目ではないから、からだに属していないと言っても、それで、からだに属さないわけではない。 12:17もしからだ全体が目だとすれば、どこで聞くのか。もし、からだ全体が耳だとすれば、どこでかぐのか。 12:18そこで神は御旨のままに、肢体をそれぞれ、からだに備えられたのである。 12:19もし、すべてのものが一つの肢体なら、どこにからだがあるのか。 12:20ところが実際、肢体は多くあるが、からだは一つなのである。 12:21目は手にむかって、「おまえはいらない」とは言えず、また頭は足にむかって、「おまえはいらない」とも言えない。 12:22そうではなく、むしろ、からだのうちで他よりも弱く見える肢体が、かえって必要なのであり、 12:23からだのうちで、他よりも見劣りがすると思えるところに、ものを着せていっそう見よくする。麗しくない部分はいっそう麗しくするが、 12:24麗しい部分はそうする必要がない。神は劣っている部分をいっそう見よくして、からだに調和をお与えになったのである。 12:25それは、からだの中に分裂がなく、それぞれの肢体が互にいたわり合うためなのである。 12:26もし一つの肢体が悩めば、ほかの肢体もみな共に悩み、一つの肢体が尊ばれると、ほかの肢体もみな共に喜ぶ。 12:27あなたがたはキリストのからだであり、ひとりびとりはその肢体である。
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サムエル上
16:7しかし主はサムエルに言われた、「顔かたちや身のたけを見てはならない。わたしはすでにその人を捨てた。わたしが見るところは人とは異なる。人は外の顔かたちを見、主は心を見る」。
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今回、長かったので、途中だけご紹介しました。
このお話は、末日聖徒イエス・キリスト教会2022年10月の総大会からご紹介しました。
お読みいただいて、ありがとうございます。
青字赤字は、個人的に付け加えています。
良い土曜日を、お祈りします。