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「わたしがあなたがたを導いて行く」

2021-11-05 05:07:22 | 日記
わたしに従ってきなさい
教義と聖約77-80章

「わたしがあなたがたを導いて行く」
ミルトン・カマルゴ兄弟

中央日曜学校会長会第一顧問
わたしたちは霊的には子供かもしれませんが,主を信頼するなら,主がわたしたちを導いてくださいます。



教義と聖約第78章17-18節で,救い主は次のように言っておられます。

「まことに,まことに,わたしはあなたがたに言う。あなたがたは幼い子供であり,父がどれほどの大いなる祝福を御手の中に持っていて,あなたがたのために備えておられるかをまだ理解していない。

あなたがたは,今はすべてのことに耐えることはできない。しかし,元気を出しなさい。わたしがあなたがたを導いて行くからである。王国はあなたがたのものであり,その祝福もあなたがたのものであり,また永遠の富もあなたがたのものである。」

わたしたちは皆,人生における経験について考えるとき,必ずや,主が自分を導いてくださったときのことを思い出すことでしょう。

ある宣教師の信仰

わたしは,主が何人かの人たちを導いてくださったときのことを覚えています。わたしはそのとき,ブラジル・ポルトアレグレ南伝道部で伝道部会長を務めていました。宣教師の一人に口蓋裂という疾患があり,彼はその治療を受けたことがありませんでした。彼が話をすると,空気が口の上から鼻に抜けていきました。ほかの人たちが彼の言葉を理解するのは困難でした。

この若い長老はわたしに,自分の問題について祈ったことを話してくれました。答えを見いだすのをわたしが助けてくれると御霊がささやいたのだと,彼は言いました。その純粋で確固とした信仰に,わたしは霊が鼓舞されました。わたしは神に頼り,解決策を見つけられるよう助けを求めました。

簡単な手術で問題を解決することができるのですが,手術を受けるまでのプロセスは簡単ではありません。もし私費で手術を受けるなら,この宣教師の家族にとってはあまりに高額になります。一方,公の医療制度を使えば,何度も予約が必要になり,彼の伝道の残りの期間を使い果たしてしまうことになりそうでした。


妻の信仰

成し遂げるのが難しい使命にぶつかる度に,わたしは妻の信仰と助けに頼ります。わたしはこの宣教師が置かれた難しい状況を妻に説明し,地元の公立病院に相談してほしいと頼みました。どうにかして費用をかけず,無理のない期間で手術ができる方法はないものだろうか。

助けを求めて祈った後,妻は病院へ行きました。妻は受付と話をするために長い列に並びました。列が進むにつれ,前に並んでいる人たちの相談がどのように処理されているかが聞こえてきました。たいていの人は,半年後,時にはそれ以上後に予約を取ってからもう一度来るように言われていました。

それではわたしたちの宣教師にとっては長すぎると,妻には分かっていました。妻は促しを感じ,列を離れて別のドアを入りました。そこで妻は,別の職員を見つけました。妻は自分が何者であるかを伝え,宣教師が必要としている内容を説明しました。




職員は妻に,その日病院の別の階で手術をしている外科医と直接話をするよう指示しました。妻は外科医に,宣教師がどのようなことをしているか,そしてもし口蓋裂の手術を受けることができたら,この宣教師にとってどのような祝福となるかを説明しました。

外科医は幾つか質問をしました。その後,こう言ったのです。「2週間後に手術の予定を入れるということでいいですか。」外科医は病院の用紙に必要事項を書き入れました。そこには,この手術は地域社会の利益になる,自分はこの手術に個人的に興味がある,という説明が書かれていました。医師はその用紙を助手に渡し,予定を入れておくよう言いました。

10日後,外科医は宣教師の手術を行いました。ほどなく伝道地に戻ったこの長老はとても元気で,はっきりとした声で話をしました。新たな熱意を胸に,主が自分を導いてくださったことを認めていました。

この宣教師の経験は,御父がわたしたちの祈りに耳を傾け,手を取ってわたしたちを導いてくださるという証です。

神がおられなければ,わたしたちは取るに足りないものである

霊的に言えば,わたしたちは幼い子供のようなものです。天の御父がわたしたちのために用意してくださっている大いなる祝福を,わたしたちは理解していません。肉体的に成長する中で,わたしたちは自分たちの生活に影響を及ぼしている地上のもろもろの法則を徐々に理解していきます。しかしわたしたちは決して地上の知識を,天の御父がわたしたちのために備えておられる大いなる祝福を理解することよりも大切にすべきではありません。

旧約聖書の偉大な預言者モーセは,ある経験を通じて,自分がほんとうに知っていることがどれほどわずかであるかを思い知りました。モーセは,「世界とその果てと,現在いる人の子らと,過去に創造された人の子らのすべてを見……,これらのことに……ひどく驚くとともに,不思議に思〔い〕」ました。それから,神は去って行かれました。モーセは一人残されると,地に倒れました。


「さて,多くの時間が過ぎて,モーセは人としての本来の力を再び取り戻し,独り言を言った。『今これで,わたしは,人は取るに足りないものであることが分かった。このことは,思ってもみないことだった。』」(モーセ1:8-10)

もし主が,わたしたちが主の力を受けて行えることをすべて見せてくださったとしたら,わたしたちは圧倒されてしまうことでしょう。モーセと同じように,神がおられなければ自分は取るに足りないものであることを思い知るでしょう。

一歩ずつ

しかし,主はわたしたちを圧倒するのではなく,一歩一歩導いてくださいます。そのおかげでわたしたちは,自分だけではできないことを成し遂げることができるのです。

「わが思いは,あなたがたの思いとは異なり,わが道は,あなたがたの道とは異なっていると主は言われる。

天が地よりも高いように,わが道は,あなたがたの道よりも高く,わが思いは,あなたがたの思いよりも高い。」(イザヤ55:8-9)

主が教義と聖約第78章18節で言っておられるとおり,わたしたちは「今はすべてのことに耐えることはでき」ません。わたしたちはまだ,主が理解しておられることをすべて理解することはできません。では,わたしたちは何をすべきなのでしょうか。主は次のようにこたえておられます。「元気を出しなさい!」

元気を出して聖約の道を歩むということには,幼子のように謙遜であることが含まれます。わたしたちは進んで御父から教えを受け,御父に導いていただかなければなりません(教義と聖約112:10参照)。人生は非常に複雑で,わたしたちには旅のあらゆる細部をコントロールすることはとうていできません。また,自分や自分の大切な人たちがこの地上で経験するすべてのことを理解することもできません。

しかし,主を信頼し,主に手を取って導いていただくとき,わたしたちは主の王国において,自分たちにはとうてい想像が及ばないほどのことを成し遂げることができます。天の御父の子供たちの人生に,さらに祝福をもたらせるようになります。自分たちの人生に現されている救い主の御手に,さらに気づけるようになります。主の無限の憐れみと愛に,さらに感謝の気持ちを感じられるようになります。

祝福は皆さんのものです

最後に,主は次のことを思い起こさせることにより,わたしたちを導いてくださいます。「王国はあなたがたのものであり,その祝福もあなたがたのものであり,また永遠の富もあなたがたのものである。」(教義と聖約78:18)

先ほどの宣教師の話に戻りましょう。彼は助けを求めるよう導かれ,祝福されて手術を受け,今でははっきりと意思の疎通ができるようになりました。そして彼は,バプテスマを含め,福音とその祝福を受ける準備ができている人々へと導かれました。わたしはまた,妻の模範についても考えます。主の導きを受けながら,妻の証は強くなっていきました。そして主は天の窓を開き,祝福を注いでくださいました。

わたしは純粋で力強い信仰に満ちたこの若い宣教師と一緒に働くことができたことを感謝しています。そしてわたしは,主に導いていただくことの模範を示してくれる妻と永遠にともに住めることを感謝しています。

ほんとうに王国と祝福はわたしたちのものです。

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※このお話は、末日聖徒イエス・キリスト教会リアホナ2021年7月号からご紹介しました。

創世記 2:18また主なる神は言われた、「人がひとりでいるのは良くない。彼のために、ふさわしい助け手を造ろう」。

伴侶が必要なことの、大切さが分かります。

今日も良い1日をお祈りします。