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新約聖書の位置づけについて:【国体文化】掲載記事への返答

2021年05月21日 | カトリック
【国体文化】に掲載された連載への返答記事、ポール・ド・ラクビビエ氏の原文全文をご紹介します
新約聖書の位置づけについて /ポール・ド・ラクビビエ
里見日本文化学研究所特別研究員 ポール・ド・ラクビビエ


「新約聖書の位置づけについて」

始めに
いつも相澤先生の連載を興味深く拝読しており、ここに改めて感謝の意を表したいと思う。
さて、今回の原稿は英国公教会のバウカム神学者の『イエス(ただしくはイエズス)入門』を手掛かりにして、新約聖書の位置付けを巡る原稿であった。バウカム氏自身がカトリック教徒ではないことから、その言説にはカトリックの教義と異なる可能性があるなかで、相澤先生からかなり重要な点を取り上げてくださったので、カトリックの教義からくる多少の理解の違いにつき共有できれば本稿の目的は達せられると信ずる。

予備的な知識。新約聖書と福音書の関係。訳語の意味。
新約聖書の内に福音書が入っていることは事実であるが、新約聖書は福音書のみからなるわけではない。新約聖書はそれに加え、多くの書簡(主に使徒たちの書簡で、聖パウロ、聖ペトロ、聖フィリップ、聖ヨハネ、聖ジャックなど)、使徒行録(イエズスの昇天のあとの使徒たちの活動を記録する歴史書)黙示録からなっている。

キリストとは確かに「油を注がれたもの」だという意味であり、創造主なる天主から択び出された者、王であることを意味する。「注油」という旧約聖書の儀礼から転じて、フランスの歴代国王の即位の際、「聖化祭(聖別式)」の中心が「注油式」であったわけであるが、その意味で、フランスの歴代国王は「キリスト」であったともいえる。ただ、イエズス・キリストは王の王として、この上ないキリストであるということを指摘しておきたい。ちなみにイエズスとは「救い主」という意味であり、「福音」とは「喜ばしき知らせ」であるという意味である。
そして、メシア(ヘブライ語)とは「キリスト(ギリシャ語)」と全く同じ意味である。

福音書は矛盾しているのか?
相澤先生が指摘されるように、福音書はまさに成文化された証言である。但し、福音書に記されている証言はイエズス・キリストの言動の一部に過ぎない。例えば、福音書はイエズス・キリストのご降誕周辺の出来事を除いたら、30歳ごろからの公生活以前の場面は一つのみしか記されていない。
つまり、一番肝心な場面や教えを記すが、網羅的ではない。本来ならば、イエズス・キリストより直接に与った口述で残されている伝承も考慮しなければならない。これは「聖伝」といい、カトリック信仰の二つ目の柱である。聖書と聖伝は補足的な立ち位置にあり、お互いに支え合っている関係にある。

要約すると、福音書は聖霊によって息吹きされた証言であり、歴史的な資料として一番信用できる資料である。「各福音書簡の齟齬」と書かれているが、このような「齟齬」は教えの中では本質的なものではない(例えば、復活後にお墓にいった最初の女性はマリア・マグダレナだけであるのか、あるいは、彼女と一緒に数人の女性であるか、あるいは二回行ってみたかなど)。むしろ、マリア・マグダレナを中心に、使徒ではなく敬虔な女性たちが空いたお墓を見つけ、復活が知らされて、使徒たちに伝えたという共通する証言は逆に証言の信ぴょう性を強化するのである。

というのも、イエズス・キリストを見た人々は、同じ出来事を見ても、微妙に記憶は違っており、前後の関係などは必ずしもすべてにおいて一致していないのが普通であり、それゆえに福音書というものは、人為的に計画された文書ではなく、ありのまま見たことを真摯に証言しようとして、成文化された文書であることの証左だといえよう。ここで大切なのは、すべての粗筋や教えの根本や主な出来事の間には矛盾が一つもないということなのである。

また、それぞれの福音書はそれぞれの事情あって成文化されたのであって、それぞれが必ずしもイエズス・キリストの同じ場面を記すわけでもない。例えば、一番遅い時期に書かれた、また一番若い使徒で長く生きた聖ヨハネの福音書は他の三つの福音書に記されていない場面を主に記すという意味あいで書かれた福音書であった。



福音書とその著者の簡単な紹介。
では、簡単に「福音書」を紹介しよう。年代順でいうと、マテオ、マルコ、ルカとヨハネである。マテオとヨハネは十二使徒のうちの二人である。一方、マルコは初代教皇、使徒聖ペトロの秘書のような立場の人間で、ルカは、聖パウロの秘書や通訳をしていた人間であった。つまり、いずれもイエズス・キリストによって選び出された十二使徒の一員であったり、(プラス聖パウロ)、そのゆかりの人間であり、特に十二使徒はカトリック教会の指導者として、イエズス・キリストの昇天の後に福音の布教を初めており、十二使徒は聖ヨハネ以外全員、殉教死を遂げている。

聖マテオの福音書は一番早く書かれた福音書であり、イエズスの昇天後、10年ぐらいたってから書かれたとされている。当初の弟子たちはエルサレムにいたが、使徒たちがいよいよエルサレムを出て、世界中に福音を運ぶことになった時、エルサレムの弟子たちは使徒たちが不在になることを補うため、イエズス・キリストの教えを纏めるように、使徒の内でも一番素養があり、もの書きができたマテオ(元取税吏)に対して、それぞれの弟子の証言を集めてイエズス・キリストの言動を書き残すように頼んだのである。
マテオの福音書はつまり、エルサレムの弟子たちからの依頼だったが故に、ユダヤ人向けで、最初はアラメアン語(ヘブライ語の方言)で書かれており、旧約聖書の強い知識を有するユダヤ人ならよくわかる予言の成就などを強調しているという特徴がある。冒頭にイエズス・キリストの系統図が載っていることから転じて「人」を象徴する福音書とも呼ばれている

聖マルコの福音書は最も短い福音書であるが、イエズス・キリストによって任命された初代教皇、聖ペトロの福音書とも呼ばれている。というのも、聖マルコは聖ペトロに従い、聖ペトロの秘書や通訳をやりつつ、聖ペトロの証言を書き下した福音書であるからである。イエズスの昇天後15年くらいたってから、ローマにおいてギリシャ語で書かれた回心した元の異教徒向けの福音書である。

このため、異教徒なら馴染みのない旧約聖書の預言やイエズスがダヴィド王の子孫にあたるといったような側面は強調されていない。この福音書が、冒頭、当時ライオンが住んでいた砂漠での洗礼者聖ヨハネの教えから始まることから転じて、「ライオン」で象徴される福音書である。ちなみに、聖ペトロはイエズス・キリストに従う前は洗礼者聖ヨハネに従い、洗礼者聖ヨハネの命令で、イエズス・キリストに従うようになった。

聖ルカの福音書はイエズスの昇天後30年ぐらいたってから書かれたとされている。聖ルカは教養のある元異教徒で、医者であり、優秀な作家でもあった。回心後、聖パウロの医者(医者の守護聖人でもある)や秘書のような役割を担う。聖ルカは直接にイエズス・キリストの言動を見ていないので、聖パウロとともに聖地での調査を行い、聖母マリアをはじめとするイエズス・キリストの多くの弟子の証言を収集、整理して、また聖マテオと聖マルコの福音書をも参照しながら書かれた。

現代風にいうと、最も「歴史家」が満足する福音書であろう。また、聖ルカは使徒行録の著者でもある。特に、聖ルカは医者でもあったことから、イエズス・キリストの十字架刑などの受難の描写は現代医学の見地からも十分耐えられるものであるといわれており、例えば、受難の始まりにルカ福音書にしか記されていない次の節がある。「イエズスは悶えて、いよいよ切に祈られたので、御汗は血のしずくのように地に落ちた」(ルカ、22,44)とある。これは、まさに非常に精神的なショック、恐怖などを受けた結果、汗に血が混じるシンドロームであるが、殆どの場合、このようなシンドロームで即死することが多いという。これは医者である聖ルカが気づいた点であり、現代でも確認できる病症である。つまり、このことから、受難がまだ始まらない段階で、すでにイエズス・キリストの精神的な受難は非常につらかったことが偲ばれるのである。
ちなみに聖ルカの福音書は、冒頭で神殿が登場することから、神殿に生贄として捧げられる牛から転じて「牛」で象徴される。

聖ヨハネの福音書はイエズスの昇天から70年たった後、つまり西暦100年前後に書かれた。聖ヨハネはイエズス・キリストの公生活の時、一番若い使徒で、「最も愛された」弟子だった。聖ヨハネは十字架上のイエズスからの直々の指示により、聖母マリアを母と仰ぎ、彼女の被昇天に至るまで居を同じゅうし、これを護られたほどである。

西暦100年ごろになって、イエズス・キリストの神性と人間性に関する多くの異端が発生し始めたことを鑑みて、多くの司教や弟子たちなどは使徒たちの内で唯一生存していた聖ヨハネに対しイエズス・キリストの御教えを纏めるように頼んだ。聖ヨハネは最初、拒んでいたが、しつこく頼まれたため、聖ヨハネは三日間の断食と祈祷を弟子と一緒に行い、その結果、福音書を書くことが天主のみ旨であることを悟り、福音書を書いたのである。

聖ヨハネは他の三つの福音書の特徴とは違い、より本質的にイエズス・キリストが真の天主、真の人であること、イエズス・キリストは三位一体の第二位格の御言葉であること、天主は愛であることなどがより強調されている。異端を念頭に置きながら、他の福音書が記していない場面と教えを中心に補足する形で書かれた福音書である。

また、彼もイエズス・キリストによって一番愛された使徒として、聖母マリアと一緒にずっと暮らしてイエズス・キリストの幼児期のことをも聞くことができ、そして、十二弟子の中にあって唯一、逃げずに聖母マリアたちとともに十字架の下でイエズス・キリストを仰ぎ見たのが、聖ヨハネであったという意味でも、独自の地位を占める福音書であるといえよう。ちなみに聖ヨハネは鷲のようにイエズス・キリストの教えの本質を一番よく理解していたことから転じて「鷲」で象徴される。

以上に見られるように、福音書は非常に信憑性の高い、お互いに支え合っている資料であり、と同時に、それらはすべて、聖伝と合わせて、信仰に欠かせない根本的な文献であるといえる。


科学と信仰は矛盾しない。
カトリックでは信仰と科学の成果は相矛盾するものではない。むしろ、科学の成果はどうしても信仰の中身を支えている。浅薄な科学なら、信仰が揺るがされるに見えるかもしれないが、カトリック信仰は現代でも一番攻撃されようとも、結局強化されている。

好例として取り上げられるのは、「聖骸布」というイエズス・キリストが死んだ後の死体を包むための聖遺物に関する科学的な調査であろう(注・聖骸布についての講話を参考に )。奇跡なども一緒である。例えば、フランス歴代国王の聖化祭の後に、歴代国王は瘰癧(るいれき)という皮膚の病気を手で触れることによって奇跡的に直していたが、それは歴史的に科学的に証明されていることである。というのも、18世紀になって、啓蒙思想である懐疑主義が流行ると、このような奇跡を否定するため、医者は瘰癧(るいれき)の治療儀礼の際に儀礼以前の病者の病症などを確認して(病者ではない者を除くためという意味でも)、儀礼後の病者をもみ続けた。この結果、「奇跡的に」、つまり「科学的に説明できない」病の治療は数多く確認されたのである。。。つまり、啓蒙思想派の人々が目論んだ逆効果となった。
歴史的にも科学的にこのような証明された奇跡は数えきれないほどある。調べていただければ明白になるかと思う。

天主の王国の実現はこの世にはない

実は、王国を地上での実現とみるか否かというポイントこそが、日蓮を初めとする異教とカトリックの違いである。ユダヤ人たちは確かに地上の王国の実現を渇望していたが、イエズス・キリストのいうところの王国とは地上的な王国の実現ではなかった。使徒たちですら復活までにこの意味をよく分からなかったのである。復活なども何度も予告されていたのに、信じようともしなかった。受難が始まると、使徒や弟子たちの皆が逃げて引き籠った。聖ヨハネと少数の女性たちのみがイエズスの近くに残ったのである。

復活して、イエズス・キリストは女性たちの前に現れても、まだ使徒たちが信じないで引き籠っていた。実際、イエズス・キリストは使徒たちと一緒に食べたり話したりしたときだけ、復活を確認していたが、まだまだ迫害者が怖くて表に出なかった。40日間、イエズス・キリストは多くの人々と出会い、子の復活の具体性が強く示され、証明されて、その上、ご昇天されるが、そのあとの聖霊降臨に至って、使徒たちは聖霊に導かれ、ようやく布教を始めることができた。福音書を読んでも、どれほど使徒たちがイエズス・キリストの教えを理解していなかったことがよくわかる。皆、現世的な救済主を待っていたから、だれも天主なるイエズス・キリストの教えを理解できなかったのである 。

この復活は歴史的にも証明されているし、科学的にも復活という過程しか成り立たない。そして、この復活が歴史的な出来事であるからこそ、カトリックには意味がある。信じがたくても、現実は現実である。数年前、目に見えない菌を懼れて、社会全体がおかしくなっていくと言われたら「ふざけている」と言われただろうが、信じがたかったものの、結局、目の前に現実的に起きているのである。そして、このような復活こそが歴史的な出来事であるからこそ、信仰がうまれたのである。

つまり、イエズス・キリストは真の天主であることを根拠づける復活を見て初めて、イエズス・キリストの教えを信じることができたのである。科学は信仰を支えている。真理は現実に背かないので、現実の一側面を見ている科学は本物の信仰と矛盾することはないのである。

要は、イエズス・キリストはユダヤ人たちによって迫害されたのは、期待された地上の王国を実現してくれる解放者ではなかったからである。永遠の命をもたらしに来たイエズス・キリストであるが故、十字架上の生贄によって原罪を贖うことにより、天国の門を開けられたが、あとはその救済を受け入れるかどうかにより、天国にいくか、地獄に行くかが、死の時に定まるのである。

もちろん、だからといって、これは、地上のことを無視することを意味しない。むしろ、地上を無視することは異端でもある。すなわち、この身体も、この地上も天主によって用意された現実である上、非常に大切にしなければならないということである。ただし、人類の究極の目的は天の王国であり、地上の王国などはかりそめの姿であり、常に相対的であり、亡びてゆくものに過ぎないことを忘れてはいけない。

また「絶対平和」、「八紘一宇」といったような理想は人間の本性を無視した思弁的、観念的なものであり、人間の目的、本地である天国からずれている。これこそが恐らくカトリックと諸異教との間の根本的な違いであろう。またカトリック教会の教えとは、まともに故郷を愛し、国を愛し、天に選ばれた天皇、王、君主に従い愛するのは当然だというものである。しかし、この世に理想的な国家を作ろうとは思っても無理であり非現実であるだけではなく、無駄である。というのも、我らの本当の目的地は天国であるからである。

結びに代えて
プロテスタントとドイツ系の学問の影響が強いせいで、西洋を一枚岩、キリスト教を一枚岩にする弊はいまだに大きいだろう。それを克服するためにはまだ相当に時間がかかるかもしれない。
グロバーリズムという新しいバベルの塔が蔓延しており、愛国主義、尊王主義をややもすると否定しがちな現代では、なおさら現実を直視する必要はあるのではないだろうか?そして、自分の故郷、愛しているわびしい大和心、皇室を守り抜くため、イエズス・キリストの教えを真に受ける必要はないだろうか?
また、キリスト教の本地なるカトリック信仰を知るため、例えば入手しやすい岩下神父の『カトリック信仰』を読んでいただいたら、今度の検討のためになるだろう。このような書評を書いていただければ、今度の議論のためにもより役立つだろう。




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