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みたり*よんだり*きいたり*ぼぉっとしたり

映画のこと、本のこと、おもったこと。

東京の良いところ

2008-05-12 01:20:35 | みる
昨日ふと、「能を観たい」と思った。
観たいと思った時がみ時。
聴きたいと思った時がきき時。
それじゃそのうちに・・・なんていうのは、
いただけない。
逃しちゃいけない。
と内なる声がしきりにささやく。
といっても、観たいもの、聴きたいものが
その時に上演されているとは限らない。
調べてみると、演目を限定しなければあるはあるは能舞台。
鑑賞欲に応えてくれる東京って、良いね。
おかげで何年ぶりだろう、もう前回はいつ能舞台を観たのか記憶も戻らないほど、
久しぶりに足を運ぶことができた。
今回、質素な自分の能体験を思い出そうとしたけど、演目はもちろん思い出せないし、能独特の演劇様式すら今までちゃんと認識できていなかったことに、今になった気づいた。じゃあ、わたしは何をみていたんだろう、と不思議な気持ちになったが、能楽堂だったり、野外の舞台だったりしたけど、その舞台空間の空気の中に居ただけだったんだ。子育ての中で得た実感の一つに、”刷り込み”の力の大きさがある。それはローレンツのいうところのとはまた違うけど、一人の人間の幼少期からの点在する体験がある大きな面となって人格(というか、趣味とか職業選択とか、人生観とか、対人能力とかそういうことだけど)に顕われることに感動することがある、ということだけれど、わたしのただ空気の中に居ただけな質素な体験も刷り込まれていて、ある時ふと、ささやかに能気分になったりするのだろう。

2008年5月11日(日)13:00開演
宝生能楽堂
宝生会 五月 月並能

能:芦刈(あしかり)
狂言:茶壷(ちゃつぼ)
能:三山(みつやま)
能:是界(ぜがい)

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感じたのは、なんといっても時間感覚の強烈な違い。
現代の時の流れの中に身を置いてる身にしてみれば、
あまりに悠長な時間感覚はとうてい理解できない。
その理解できなさが、とっても興味をそそる。

一番、面白かったのが『是界』
天狗の赤髪はインパクトある。

『三山』はスキーマ鑑賞でだいぶ内容理解が助けられた。

『芦刈』の面白みが今のわたしにはまだわからなかった。

以上、久しぶりの第一歩は、

う~ん、「能」ねむたくなるぅ~のに、なぜかエキサイティングです。
この誘惑はなんなんだろう。

て感じでした。

こりゃ惚れてるなぁ

2008-01-06 02:26:40 | みる
なんとか会期に間に合い『ムンク展』(国立西洋美術館)を観てきた。
入館までの待ち時間20分弱。
有名画家の展覧会での長蛇の列はもう慣れてしまったので、
この待ち時間ではさほどストレスはないけれど、
鑑賞の際の長蛇の列にはいつもながら滅入ってしまう。
集客力があってこその展覧会、自分のわがままペースで観ることが叶わないのは仕方のないことなのかな。

ムンクの建築装飾をコンセプトにしていたこの展覧会は、第1章から第7章までの展示作品と各パートのテーマとに整合性が高く、また時間軸に沿って変化して行く創作対象から画家の内的な成熟をも感じられて、観衆のムンク観に広がりを与えることに功を奏していると思う。

一番、好きだった絵は『声/夏の夜』
絵が視界に入った瞬間、
「あ、こりゃ惚れてるなぁ」と思ってしまった。
とにかくそう思ってしまう絵だった。

次の展示作品が『吸血鬼』というのは、
くすっ、としてしまう。
それにしても吸血鬼はいただけないにしても
首筋にくちづけているだけだ、だけでは済まない
ただならぬ雰囲気が濃い絵であることは確か。
あぁ、やっぱりただならぬ空気を吸わなければならないのね、
と何だかわけのわからない物語を勝手に作って楽しむ。

『病める子供』も好き。
自分の力ではどうすることもできない中での祈りにも通じる他者への強い思い、
というような純粋性を感じたから。

今回、ムンク展だけではなく西洋美術館に行きたかったもう一つの目的があり、
それはこれ




チョコレート

ゴッホの絵で作られた箱もきれいです。





チョコレートのお知らせがある西洋美術館のページ







そういえば日本画

2008-01-04 03:44:51 | みる
1月2日は国立近代美術館の無料観覧日だった。
ちょうど、どうしても『奇景』(三瀬夏之介)を観たかったので出かけた。
カテゴライズするとすれば日本画というものになるのだという『奇景』は、おおまかな時代で分けられた各コーナーの中で最も若い時代の入り口すぐの壁一面を使って展示されていた。数年前に現代の日本画展というようなものを観た時は、いわゆる花鳥風月やつるりんてろんとした女性といったものが描かれる松伯美術館にある絵という漠然とした日本画イメージが打ち崩されて、日本画という枠はこんなにも自由になったのかと驚いたのだが、今回の「奇景」は、そのとき以上のというよりもおよそ美術館という場所では味わったことのない開放感を覚えた。とはいえ、絵画のことをなにもわからないわたしに、この絵がすんなりとわかるかといえば、わかるはずもなく、ただ、ただ、ガードなしの展示の絵にまじまじと近寄り、漫画に出てくる女の子の瞳の中に描かれるあの星のようなものは何だろう、とか、この桜花が、とか、ここの十字架はどのような意味があるのだろう、とか、大仏の左目に涙が浮かんでいるように見える気がするが違うのか、とか、大仏の右手の薬指と小指を探したり、とか、対面の壁まで離れて浮かび上がってくる大仏のお顔を眺めたりしていた。そうこうしているだけでかなりの時間が流れたため、スタミナ切れになりつつ展示会全体を駆け足で見渡す。
「近代日本の美術」は大正以降の作品がそれぞれのテーマに沿って展示されていて、時代の流れによる日本の絵画の特徴がわかるようになっていたので、もっとじっくり観たいという気持ちになれた。



『4分間のピアニスト』

2007-12-27 13:49:44 | みる
113分、上映時間中わたしがみていたものは、この映画に登場する人たちの秘められた苦悩にはなかなか揺れない自分の気持ちのありようでした。ラストシーンとそこに行き着くまでの演奏の見事さは、充分に観て良かったと思えるものがあります。でも、ピアノ教師と生徒である女囚が出会った意味を支えるはずの、二人それぞれの生きる苦悩の要素を自分の心の痛みとして受け取るには、描かれ方が弱い、と感じてしまいました。歴史的背景の知識不足といってしまえばそれまでですが、登場人物の不幸が記号のように配置されている気がしてしまっては、一瞬だけ深く広大な海を見せられて実は立ち入って良いのはほんの浅瀬だけだった、というようなものではないでしょうか。

映画『マーラー』

2007-05-04 03:07:28 | みる
納まりきらない得体の知れなさ、をマーラーの演奏を聴くと感じる。この音が、果たして、人間の持ち得る神経から生み出されることが可能なのだろうかと不思議になる。破綻しつつ統合されていくような特異な心地良さをつくり出したグスタフ・マーラーという人はどのような生涯を送ったのだろう。世に広く名を知られた人への関心と好奇心がある以上、作品とその作者のエピソードとが安易に結び付けられるようなある種のずさんさの上に評伝は成立せざる得ないと思いながらも、評伝本を数冊と映画『マーラー』を借りてきた。

監督ケン・ラッセル、決して軽やかな映像ではないのに、マーラーという人物像を借りて、作り手が映像表現を楽しんでいるのが伝わってくる楽しめる映画だった。芸術家としての繊細さはそれを支える妻に対してはいかに自己中心的な無神経さとして現れるか、といった芸術家映画にはありがちの少々陳腐さを感じる演出が多いものの、自己を表現することに尋常ならざる執念を持つ芸術家とその傍にいては自己を抑圧することから逃れられない苦悩を持つ妻の関係性が深くもなく浅くもなく描かれているところが一つの見どころ。でも、やっぱりこの映画はマーラーという、アルマというキャラクターを使った大いなる遊び、として見るのが楽しい。

パフューム~ある人殺しの物語~

2007-04-18 02:03:19 | みる
時間を経ても鮮烈に記憶に残るであろう映画、でした。もちろんそれが大事なストーリーとかテーマには映画に限らずどんなものにも、大事なだけにわたしはあまり期待しなくなりましたので、この映画も映像と音楽が、ひれ伏したくなるほど(映画ではシュールなひれ伏しシーンがある)まではいかないまでもかなりの牽引力を持っています。予告映像を観たときから、これは!と心に響くものがあったのに、気がつくと上映館も残り少なくなっていて、見逃さなくて良かった。原作は読んでいない。松岡正剛さんが『千夜千冊』で取り上げていらっしゃいました。

ここは新橋演舞場・・なんだけどMETライブビューイング『始皇帝』

2007-01-17 03:31:41 | みる
瑣末なことかもしれないけど、ここは新橋演舞場、ましてホールには提灯。それと配信映像とはいえオペラは取り合わせが妙な気がする。安全対策上なのか、2階席の照明は上映中消えることなく点いている。明るい。明るすぎる。東劇の予告で「うわぁー!」となった映像の迫力がこの演舞場のスクリーンでは感じられない。残念だな。上映空間に違和感があっては、落ち着かない。映像が始まっちゃえばその世界に入り込めば良いのだから、どのような空間で上映されようともたいしたことじゃないのかもしれないけど、どうでもいいことなのかもしれないけど、違和感があるとどうでもいいことにばかり気をとられてしまい、だんだんどうでもいいことにしか集中できなくなり、なんだかどうでもいいことが最大の関心事のようにどうでもよくないことになるのが、いや。売店で買うた大福は確かに美味しかったけれど。

『始皇帝』は視覚的には上映空間の違和感を払拭してくれるほどにとても楽しめました。オペラを知らないことが、功を奏した感じです。オペラの醍醐味がどこにあるのか、自分なりにつかめていたら、また違う見方が出来る気がします。

それにしても、チケット代、高く設定しすぎ。(と思う。)今回だって、現時点で6作配信が決定されているのだから、観たいけど高いから、と敬遠しなくて済むようにもう少し気軽に行ける値段にしてほしい。

東劇で『京鹿子二人娘道成寺』

2007-01-17 02:55:28 | みる
和歌山県の道成寺はお参りして説法を拝聴したことはあるけれど、歌舞伎の道成寺は観たことがない。というか歌舞伎を観たことがないけれど、前々からちょっと興味はあったので、新聞の広告のお手頃価格に誘われて、坂東玉三郎・尾上菊之助舞う『京鹿子二人娘道成寺』の映像を観に東劇へ。この劇場、初めて入場したけど、とても良いです。まずロビーからして寛ぎのマッサージチェアが設置されているのが嬉しい。



上映空間も背もたれ少し高めの椅子効果なのか、椅子とスクリーンの位置関係効果なのかよくわからないけど不思議とプライベートスペース確保感が高い(様な気がする。空いてた効果もかなり影響しているかも、なんだけど。)それで、ここの椅子から見上げたスクリーンに映し出された『始皇帝』の予告の映像の大迫力に一瞬にして魅了されてしまったので、15日はこの『京鹿子二人娘道成寺』娘道成寺から帰宅するないなやあわてて席予約して、16日は『METライブビューイング始皇帝』と松竹三昧な昨日今日。
『京鹿子二人娘道成寺』については、歌舞伎を知らないので何も語れないけど、
「主義主張持たず気楽に拍手する」というわたしの好きな川柳に心情はぴったり。
玉三郎・菊之助の舞にただただ「綺麗」とうっとり拍手。