みたり*よんだり*きいたり*ぼぉっとしたり

映画のこと、本のこと、おもったこと。

オンドレイ・レオナルド*チャイコフスキー*都響

2006-03-27 16:00:04 | きく
2006.3.26(土)14:00開演

芸術劇場

スラヴ行進曲

弦楽セレナーデ

交響曲第6番

オンドレイ・レオナルド指揮
東京都交響楽団

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演奏会が終わってから枝垂れ桜をみに行く楽しみにしていた週末。

芸術劇場の周辺にもほころび始めた桜が
普段はグレーがかっている風景を柔らかくみせてくれていました。

都会の中の花は呼吸が楽にできるのかしら、などと少し気になります。


千年以上の時間が流れている景色。
お水取りの終わりによって、まるで舞台が変わるように春になる土地。
ごくふつうの生活の場から、
山肌が色を変えてゆくさまを、芽吹き、蕾み、花開く様子を見て取れる地。
その豊かさの中で、四季のめぐりにあわせて花を追う散歩に出かけられた幸せとさみしさを、
都会で花を見るたびに感じてしまいます。

でもね、

それはそれ、これはこれ、でたのしい♪








*映画* Touch the Sound 

2006-03-24 01:20:31 | みる




●"Touch the Sound”という映画が
 渋谷のユーロスペースで上映されてます。
 知ってる?
 ぜひ、観て♪


■タッチザサウンドおもしろそうだね
 かなりみたい。


●でしょ♪
 ビデオなどでは、ぜったいに体験できないの。
 ぜひ映画館に足を運んで、
 心身や感覚に変化が起こるのを体験してみて

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映画館を出てすぐ、思わず息子にお知らせメールを送りました。

パーカショニスト エヴリン・グレニーの音に対する開かれた感受性を映画の中に観ているうちに、普段自分は聴いているつもりがいかに耳をふさいでいるか、閉じてしまっているのかに気づかされます。

「聴くということは、何かに触れる(さわれる)ということよ」(エヴリン・グレニー)

2006.03.21

ルカーチ・エルヴィン*青ひげ公の城*日本フィル

2006-03-19 10:44:08 | きく
2006.03.17(金)19:00開演
サントリーホール

リスト:ピアノ協奏曲第2番 イ長調

バルトーク:オペラ《青ひげ公の城》

指揮:ルカーチ・エルヴィン

ピアノ:河村尚子

ソプラノ:渡辺美佐子

バリトン:コヴァーチ・コロシュ

日本フィルハーモニー

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今回こそはきちんと、河村尚子さんのピアノを聴くことが出来ました。
年齢差があっても同時代を生きていて良かった、こうしてライブで聴くことができる幸せを感じさせてくれる音楽家の方がいらっしゃるけれど、
河村尚子さんのピアノもそう。

《青ひげ公の城》
久しぶりに、物語の世界にこころ漂わせることができました。
陽もあたらぬ、風もとおらぬ、寒く暗い陰鬱な青ひげ公の城の七つの堅く閉ざされた扉がひとつひとつ開かれてゆく。
扉を開くのは、陽射しを受けましょう、風を通わせましょう、愛するあなたが暖かい場所にいられることが、それがわたしを愛してくれること、と願いを言葉にするユディットのあきらめることのない想い。

・・・

でもね、ユディットも青ひげ公の愛した数多の女性の中のひとりとして、過去の人、になるのよね。

ユディットをみていると、
相手の扉を開きたい、という思いは、つくづく自分の欲望への執着なのだと思いますが、「ねぇ、扉を開いて、鍵をちょうだい」と懇願し執着するユディットに青ひげ公もまんざらでもない、というより、あれは、かなり嬉しそう。陰鬱な男のくせに、青ひげ公、やるじゃん!と青ひげ公の手練手管は、うふふ、なのでした。最後の扉を開かせる冷酷さも含めて。



最後の扉のまえに立つとき、その時はさて、どうしましょ。


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電光字幕が見えにくくてこまりました。
たぶんこんな感じ、と想像力で補いながら字幕を
追うのも限界があります~。
一度にひとつのことするのすら覚束ないので、
音と声と物語の三位一体を味わいきれないのは、
ちょっとさみしい。




おみゃんのおかんはなぁ

2006-03-19 10:16:53 | ぼぉっとしたり
おみゃんが良い動きをするたんびに、
客席で にっこり 笑うんだよなぁ。

おりゃぁ、ステージからそればっか見てたよ。
それをみてるだけで、幸せな気持ちになれたよ。

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きっといつかは、ではなく
きっとどこかに、でもなく

ちみは

今、居る場所を愛するひとになってくれた。


金聖響*チャイコフスキー*東京フィル

2006-03-12 17:11:35 | きく
2006.03.11(土)15:00開演
文京シビックセンター

シャブリエ:狂詩曲『スペイン』
シベリウス:ヴァイオリン協奏曲 ニ短調 

チャイコフスキー:交響曲第4番ヘ短調

金聖響 指揮
東京フィルハーモニー交響楽団

戸田弥生ヴァイオリン

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開演直前二度目の拍手が起こる中、
しまった!
席選びに失敗したことを悟りました。
拍手の中、登場された指揮者の金聖響氏の姿がなんとも美しい。
でも、本日わたしの席は、最後列から数列目。
お姿拝見したいみーはー魂が、ここからでは、無理。
このホールはなんとなく落ち着きますが、
それでもやはり、音もやや遠い。
4番は2楽章が好きですが、
クラシックはポップだよ、とおっしゃる
金聖響氏の言葉が彷彿とする本日の第4楽章でした。
今日のこのチャイコフスキーはもう一度、聴きたいです。

三島由紀夫の『音楽』という小説は、
音楽が聴こえない女性の再生の物語ですが、
音楽が聴こえない、
というのは、もはや心は瀕死の状態なのでしょう。
瀬戸際の悲しさを感じます。

夢見ぬ心

2006-03-12 16:32:57 | よむ
北村薫はアンドラージの『集団』という詩を引いて、そこに登場するリリーという一人の女性を語っています。

「リリーは、きっと恐ろしく、ものの見えている女性なのでしょう。理想というものの、もろさ、あるいは極論するなら、うさん臭さを知っている。だから孤独なのです。リリーは、その認識によって、すでに生きながら《自殺し》ているのでしょう。」


夢見る心の強さにも憧れますが、夢見ぬ心の荒涼も愛しいものです。

それにしても、
淡々と事実だけをならべているかのようなアンドラージの詩から、このようにリリーの精神を描き出す北村薫さんに畏敬の念を覚えます。

『詩歌の待ち伏せ Ⅰ』(北村薫著・文春文庫)

長命寺の桜餅

2006-03-10 13:01:15 | たべる
渋い緑色に白抜き桜模様の箱を開いてみると、ちょっとびっくり。
桜餅というよりもなにやら葉っぱが詰まっているみたい。
はいどうぞ、と差し出された葉っぱ様桜餅を手にして、
一瞬、周りを見渡してしまいました。
葉っぱごと?それとも葉はむいていただくのかしら?
3枚もの葉にくるまれていて本命桜餅がみえないけど、
今日のメンバーは、あたりまえのように葉っぱ派揃い。
そのままいただきました。
この塩っけと甘さの加減がいいわね、なんて言いながら。
ふふふ、美味しかった♪

約束

2006-03-08 03:27:15 | ぼぉっとしたり
屋根はたたんでしまっておきました。

ええ、そうなさるのがいいですわね。
もう、風に吹かれてもだいじょうぶ、
かえって心地良いですもの。

あの冬のさなかに

なにもご存じなかったはずなのに、

あかごのようにわたしをだきあげてたかいたかいをしてくださった。

わたしはずっとわすれないとおもいます。