■よみたい本■よんだ本■

読みたいと思ってたはずの本を徒然に忘れてしまって読みそびれたりします。備忘録です。

『あいだ』

2005年09月28日 14時38分22秒 | 知覚
「有機体が環境と出会っているかぎり、その出会いの中で主体が成立しているということなのだ。だから、この出会いがなにかの事情で壊れると、そこで主体も消滅することになる。しかし有機体が生きているかぎり、主体が永続的に消滅することはありえない。ある一つの出会いが途切れても、そこには必ず新しい別の出会いが生じていて、新しい主体が誕生しているからである。とはいっても、そのような出会いの断絶が主体にとって消滅の危機を意味していることは間違いない。というよりもむしろ、ヴァイツゼッカーにとってはそのような危機的な転機こそ、そこで不断に新しく生み出される「主体」の存在を見極める絶好の機会だったといわなくてはならない。
 《主体が転機において消滅の危機に瀕したときにこそ、われわれははじめて真に主体に気づくのである。それが失われてはじめてその存在が信じられるようなものがいくつかある。主体とは確実な所有物ではなく、それを所有するためにはそれを絶えず獲得しつづけなくてはならないものである。・・・》」


「(有機体と環境の出会いを維持するために必要な変化は)この出会いの根拠となっている主体の原理が「無意識に」それ自身を変化させ、古い原理が捨てられて新しい原理が獲得されることによってのみ可能になる。」

(木村敏 著 ちくま学芸文庫 )



疑問

2005年04月24日 03時06分49秒 | 知覚
There is an earlier stage of processing than that referred to as preattentive.Because texture segregation and grouping by similarity of lightness or proximity arn't perceived under conditions of inattention.

 注意が向けられていない状態ではテクスチャーの分離と群化が知覚されていないということが、どうして前注意過程よりも前の処理段階があるということになるのかしら。
 パターンを探すという前提で行われる視覚的探索の研究の中から群化とテクスチャーの分離は前注意過程に関係する段階で生じる、としてるけど、前注意過程はそもそも無意識の処理なんじゃないのかしら。パターンを探すという課題に取り組むもとでの無意識処理ということなのかしら。じゃ、そもそもパターンをを探そうと注意が向けられていない状態ならどうなのか。つうことで為された実験の説明がこれまたよくわからないものだけど、注意が向けられてなかったら知覚されない、という結果を得たらしい。
 前注意過程がどういうものなのかよく分からないのが、わたしの疑問の本な気がするし、その上、前注意過程に関係する段階て表現がこれまたわたしを混乱させるのね。
無意識処理だけど前注意過程は注意を向けるという意識された状態に組み込まれるものだとしたら、
注意を向けてない状態では知覚されないんだから、それとそれが前注意過程に関係する過程に生じているとはいえなくて、それよりも前の処理段階がある・・ということなのかしら。
 でも、そんなことじゃないのかもね。悪い頭はすぐ混乱を招いてあっさり美味なものをソースと味噌混ぜたような味にしちゃうから、こんなことゆってるけど、前注意過程に関係している前処理段階があるのよ、ってことを言いたかっただけなのかも、あ、でもやっぱり違うかも、前注意過程に関係してる段階で生じるってこと否定して、それよりも前の段階があるよ、って主張してるのかも、あー、かもかも頭を鎮めるこれこれこうだよ頭がそばにいてこれこれしかじかしてくれたら、最高の幸せ、たぶん。

「特別な美学をもった人体解剖学」というものを知り畏れ入った。

2005年04月10日 15時58分48秒 | *ヒトのからだ*
 フィレンツェにラ・スペコーラ美術館という所があり、そこには、解剖学用ろう製人体モデルがコレクションされていることを、もちろん知りませんでした。16~17世紀までは、一皮剥いだ人体は画に表されてたそうで、これを踏み台にして18世紀末になると人体モデルも三次元にモデルチェンジ。三次元モデルの目玉は二つ。一つは人体構造再現の精確さであり、「解剖学の授業ではこの標本を調べることで立体的な想像力が鍛えられ、そのため人体モデルをもとにして生徒が「体内が透けて見える人間」を目に浮かぶことができるようになった。」
 二つ目は芸術的表現の完璧さと説明されていますが、このろう製人体モデルの画像を見た瞬間に違和感が湧き、狼狽させられてしまうのは、この「芸術的表現の完璧さ」にあると思います。穿った見方と承知で言えば、見てはいけないものこそ剥ぎ取り晒したい製作者の製作における不気味なほど(倒錯した感じ)の悦びが表れているようで、画像を正視するのはなかなかむずかしい。
 ま、サービス精神かもしれませんが。
「死体解剖は特別な公的行事であり、その場に立ち会う場合、入場料を支払わねばならなかった。その一方で、開催者もまた入場者の好奇心とセンセーションに対する期待を満たすように努め、それに最もふさわしいものを提供した。」

■『解剖百科』(発行*タッシェン・ジャパン 発売*丸善株式会社)


■『人体探検-最新画像でながめる人体の不思議-』
  (リチャード・ウォーカー*中野博美訳*福音館書店)
18世紀、三次元の人体モデルが出現したことにより学生は立体的な想像力が鍛えられ、「体内が透けて見える人間」がイメージ可能になったけど、今や、MRIの出現によりイメージどころが透かして見えちゃうわけだ。人体を”透かして見たい”というのが数百年かけての目標だったんだのう。

■『脳の地図帳』(原 一之*講談社)

■『感覚の地図帳』(山内昭雄*鮎川武二*講談社)
この2冊が好き。

ヒトの性的指向を決定するものはなにか?

2005年04月03日 03時17分28秒 | ジェンダー/セクシャリティー
”フロイトのエディプスコンプレックス(陰性・陽性)”についての解説を読んでいると、生物的な性と心理的な性の一致、不一致は、なるほどこの時期が大きな影響を持つのか、とうっかりすんなり納得しそうになる。

ので、

◆クィア・サイエンス 
- 同性愛をめぐる科学言説の変遷-
 
著者名 サイモン・ルベイ著 伏見憲明監修 玉野真路訳 岡田太郎訳
出版社 勁草書房

は読んでみたい。

-ヒトの体-についての本

2005年04月03日 00時52分50秒 | *ヒトのからだ*
わかりやすくて、ある程度詳細な解説がされている本を探していたのですが、
これは良い。
■人体透視図鑑(スティーブン・ビースティー画*リチャード・プラット文*吉田秀樹訳*あすなろ書房)
この絵本の絵のような模型がほしい。お手ごろな価格(上限5000ほど)で、脳と目の模型だけでも商品にならないかな・・。


もう一冊、
◆人体絵本―めくってわかる からだのしくみ
も、めくって、そして見るというか覗く感じ、というところが、少しエロティックで良かったのですが、
解説がいまいち足りなくて、神経については省かれていたので、お見送りでした。