「有機体が環境と出会っているかぎり、その出会いの中で主体が成立しているということなのだ。だから、この出会いがなにかの事情で壊れると、そこで主体も消滅することになる。しかし有機体が生きているかぎり、主体が永続的に消滅することはありえない。ある一つの出会いが途切れても、そこには必ず新しい別の出会いが生じていて、新しい主体が誕生しているからである。とはいっても、そのような出会いの断絶が主体にとって消滅の危機を意味していることは間違いない。というよりもむしろ、ヴァイツゼッカーにとってはそのような危機的な転機こそ、そこで不断に新しく生み出される「主体」の存在を見極める絶好の機会だったといわなくてはならない。
《主体が転機において消滅の危機に瀕したときにこそ、われわれははじめて真に主体に気づくのである。それが失われてはじめてその存在が信じられるようなものがいくつかある。主体とは確実な所有物ではなく、それを所有するためにはそれを絶えず獲得しつづけなくてはならないものである。・・・》」
「(有機体と環境の出会いを維持するために必要な変化は)この出会いの根拠となっている主体の原理が「無意識に」それ自身を変化させ、古い原理が捨てられて新しい原理が獲得されることによってのみ可能になる。」
(木村敏 著 ちくま学芸文庫 )
《主体が転機において消滅の危機に瀕したときにこそ、われわれははじめて真に主体に気づくのである。それが失われてはじめてその存在が信じられるようなものがいくつかある。主体とは確実な所有物ではなく、それを所有するためにはそれを絶えず獲得しつづけなくてはならないものである。・・・》」
「(有機体と環境の出会いを維持するために必要な変化は)この出会いの根拠となっている主体の原理が「無意識に」それ自身を変化させ、古い原理が捨てられて新しい原理が獲得されることによってのみ可能になる。」
(木村敏 著 ちくま学芸文庫 )