エッちゃんのSamba日記

40才からSamba/打楽器に目覚め、たぶん死ぬまでエッちゃんは呟いてます☆

益子の旅

2015-05-06 15:44:40 | Weblog


真岡線って面白いw整理券をとって乗る。
益子は駅に降りてから精算だけど、途中下車した人はバスみたいに降車時に精算です。


今日は陶器まつり最終日。


駅で電動アシスト付自転車を借りて、まず、生家跡地②を通り、母の祖父母のお墓参り。


生家①は工場になってます。




母のいとこの御主人&仲人の墓参り。階段がしんどい☆




益子焼きを有名にした方の元邸宅。




釜…顔みたい。

濱田庄司記念館
※ 濱田庄司(1894-1978)
 濱田庄司は、近現代の日本を代表する陶芸家の一人です。
1894年に東京で生まれ、東京高等工業学校窯業科から京都の陶磁器試験場に入所。
 大正半ばに渡英し、イギリスで陶芸家としての活動をスタートさせます。
帰国後は、1924年に益子に移住しました。
この時期には沖縄にも長期滞在し、多くの作品を残しています。
1930年に、母屋となる建物(陶芸メッセ・益子に寄贈)を移築し、
その後1942年までの間、多くの古民家を邸内に移築し、自身の生活と作陶の場としました。
またこの間に、柳宗悦や河井寛次郎らと民芸運動を創始、日本の工芸界に大きな影響を与えました。
1955年には、第1回重要無形文化財技術保持者(人間国宝)に富本憲吉らとともに認定され、1968年には、陶芸家として3人目となる文化勲章を受けました。
展示作品は自分の作品が負けたと感じたときの記念として、濱田が購入し蒐集した諸品です


やっと益子陶器市
※益子焼は江戸時代末期、笠間で修行した大塚啓三郎が窯を築いたことに始まると言われます。
以来、優れた陶土を産出すること、大市場東京に近いことから、鉢、水がめ、土瓶など日用の道具の産地として発展をとげます。
現在、窯元は約260、陶器店は50。若手からベテランまでここに窯を構える陶芸家も多く、その作風は多種多様です。
※陶器市は1966年(昭和41年)から始まり、例年、春のゴールデンウイークと秋の11月3日前後に開催されます。



疲れはてて昼食。


激坂の上に西明寺☆


閻魔さま。お会いするのはまだ早いようです...

眺めの良い小学校。那須連山、日光連山が見れるらしい。小学中学年から4キロくらいあるこの道のりを毎日歩いたんだから丈夫に育つわけだw


鹿島神社

7月23~25日は祇園祭で賑わうらしいです。
2日目は、関東の三大奇祭と呼ばれ、「御神酒頂戴式」が行われます。1年365日になぞらえて、三升六合五勺(約六・五リットル)の熱燗を会津塗りの大盃になみなみと注ぎ、これを来年度当番町会(受け当番)は、代表十人で三杯飲まないと引き継ぎが認められません。
酒豪の選出も大変ですが、真夏に熱燗を飲み干すと言う事で立ち合いの宮司や氏子総代、観客まで汗だくとなり、大盃を飲み終えると会場の熱気は最高となります。
25日は、各町の山車・屋台の合同運行も行われ、午後十時の御上覧が祭りのクライマックスとなり、神社周辺は老若男女が大勢詰めかけ大賑わいとなります。

外池酒造店行きたかったな~♪


ただ今~行ってきたよ~







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