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J@Dの備忘録

おっさんの備忘録
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富士山@河口湖

2024年10月13日 | おでかけ


今日は晴れ。今朝は6時に起床した。今朝の気温は15℃で湿度が高く、弱い西よりの風が吹いている。カーテンを開けて窓の外を見ると、上空には青空が広がっていた。東の空に昇ってきた朝日の光が射し込んで、空全体が眩しく見える。東の空に小さな雲が浮かんでいるのが見えた。
今日は河口湖に富士山を見に出かけることにした。自宅を出ると、湿った空気が空気がヒンヤリとしていて、少し肌寒いくらいの陽気である。日野駅に到着してホームに上ると、朝日が熱いほどに感じられた。

日野駅から電車に乗ると、高尾駅で河口湖行の普通電車に乗り換えた。電車は思いの外、混んでいたが、藤野駅でどっと降りると一気に車内が空いた。席に座って車窓を楽しんでいると、山全体がわずかに色づいているように見える。トンネルを抜ける度に車窓から見える風景が山深くなっていくのを感じた。
電車は大月駅で前3両と後3両に切り離された。後3両の電車が大月止まりで、前3両の電車が河口湖駅まで行くのである。河口湖駅に到着したのは9時14分である。


河口湖駅は想像以上に混んでいた。特に外国人客が多い。駅前から富士山に向かうのであろうバスに続々と乗り込んでいく。駅の土産物屋やバスロータリーはかなり混み合っていた。
まずは河口湖富士山ロープウェイで天上山(カチカチ山)に上り、展望台から富士山を眺めることにして、ロープウェイの河口湖畔駅まで河口湖駅から歩いて行く。河口湖駅からは徒歩15分ほどで河口湖畔駅に着いた。ところが、駅にはロープウェイを待つ観光客の長蛇の列が出来ている。係員に聞けば、1時間ほどの待ち時間が必要だという。

そこで、バスに乗って、河口湖北側にある大石公園に向かうことにした。大石公園は富士山の景勝地としても有名で、ラベンダーの公園として知られているが、それ以外にも夏はネモフィラ、秋はコキアを楽しむことが出来る。
公園は「河口湖自然生活館」バス停で下車するのだが、その手前くらいから渋滞にはまり、なかなか前に進まなくなった。今日は大石公園に隣接する宗教団体の施設でイベントがあるとのこと。それ以外にも、観光バスや車でかなり道路が混み合っている。結局1つ手前の「北浜荘前」バス停で下車し、そこから湖畔を反時計回りに歩き始めた。

大石公園に到着すると、紅く色づいたコキアの花畑の向こうに富士山の姿が見えた。


あいにく富士山には雲がかかっている上に、既に日射しが強くなっていて、富士山の姿が淡く見える。
大石公園にはコキア以外にも様々な花が植えられている。コスモスも満開になっていて、風に揺れていた。


コスモスの花の間を蜂が飛び回っている。


日中は上空に雲が見えるものの、晴れて上空には青空が広がった。河口湖の昼間の最高気温は22℃で比較的湿度が低く、東よりの風が吹いている。湖畔で写真を撮っていると、強い日射しが熱いほどに感じられるものの、湖を渡ってくる風が心地よく感じられた。モーターボートと風の影響で湖面に波が生じていて、太陽の光を反射してキラキラと輝いてい見える。カラリとした陽気で、空気が気持ちよく感じられた。


大石公園から時計回りに湖畔を歩き出した。近くの水田では稲穂が頭を垂れている。


上空にはパラグライダーが飛んでいるのが見えた。
再びバスに乗って、河口湖富士山ロープウェイ河口湖畔駅に行ってみる。ロープウェイには外国人ツアー客らしき一団が並んでいて、列はまだ長かったが、思い切ってロープウェイに乗ってみることにした。ロープウェイに乗るまでにたっぷり1時間ほど待つことになった。


ロープウェイで山頂に着くと、山頂にある絶景やぐらから富士山を見渡す。富士山にかかる雲を突き抜けるようにその頂が見えていた。


1時間ほどして、再びロープウェイで河口湖畔駅に降りる。ロープウェイの窓からは河口湖と河口湖南側に広がる街並みが望めた。


河口湖畔駅に到着して、再び徒歩で河口湖駅に到着すると、河口湖駅前のほうとう専門店で遅いお昼を食べる。その後は土産物屋を廻った後、午後5時の大月行きの電車に乗って帰宅の途についた。
日野駅に着いたのは夜7時過ぎである。電車を降りて改札を抜けると、駅の外に出た。上空には暗い空が広がっていて、南の空に皓々と光る月が浮かんでいる。昼間に比べると気温が下がってきて、風が涼しく感じられるものの、空気が湿っぽく感じられた。

駅前の定食屋で夕食を食べて帰宅する。家に帰ると、風呂に入って、1日の疲れを癒やした。


コレクション展示@川村美術館

2024年08月09日 | おでかけ


今日は晴れ。今朝の気温は26℃で、昨夜は熱帯夜となった。湿度が高く、北よりの風が吹いている。上空には厚い雲が広がっているものの、東の空は雲が薄くなっていて、雲を空かすようにオレンジ色の朝日が射し込んでいる。ムシムシとして蒸し暑い。草むらから虫が鳴いているのが聞こえた。
今日は夏休消化のため、1日夏休をとった。今年は親の介護などもあって、宿泊を伴った旅行に行くのは厳しいものの、日帰り旅行には出かけることにしている。昨日、気象庁から「南海トラフ巨大地震注意」が発表されたが、すぐに巨大地震が起きることもないだろうと考えて、今日は以前から行ってみたいと思っていた千葉県佐倉市にある川村記念美術館に行くことにした。

仕事に行くのと同じ時間に起床した。しかし、昨日は遅く帰ってきたこともあって、出かける準備に手間取ってしまった。家を出て日野駅に着いたのは平日、出勤する時刻よりも少し遅い時間である。もう座るのも難しいかと思っていたのだが、比較的電車が空いていて、日野駅から座ることができた。
中央線快速電車と総武線快速電車、成田線を乗り継いで佐倉駅に向かう。幸い、どの電車も座れたので、日頃の睡眠不足を補うように電車の中では熟睡した。日が昇るにつれて、次第に青空が広がってきた。ちぎれたような雲が青空に浮かんでいて、強い日射しが照りつけている。JR佐倉駅に到着したのは8時40分である。


電車を降りると改札を抜けて、駅南口のロータリーに出た。ロータリーの東端に無料送迎バスの乗り場がある。空を見上げると、北から南に綿雲の群れがゆっくりと流れている。強い日射しがじりじりと照りつけて肌を焦がすように暑い。風が涼しく感じられた。
JR佐倉駅から川村記念美術館まではバスで20分ほどで到着した。バスを降りて、総合案内所・チケット売場でチケットを購入する。開館までまだ10分ほど余裕があったので、すぐに美術館に入らずに、敷地内を散策することにした。


川村記念美術館のバスロータリーの正面には飯田善國の「動くコスモス」という作品が設置されている。青空に浮かぶ白い綿雲と強い太陽の光を作品に映して、上部の半円状の板が風にゆらゆらと動いていた。


ロータリーの脇には佐藤忠良の「緑」というブロンズ像があったが、うっかり見落としてそのまま園内に入った。


少し傾斜の強い木陰道を歩いて行くと、美術館の前庭に出る。目の前には大きな池があって、白鳥やカモ、アオサギなどの水鳥が水面や池の周囲で遊んでいた。
池の畔にはジョエル・シャピロの「無題」という作品が置かれている。黒い角柱状の部材を組み合わせたような作品は強い日射しを受けて眩しく見えた。


美術館に入る前に園内を散策することにした。木立の間の斜路を降りていくと、右手には藤棚があった。


鬱蒼と茂った藤の東屋は池に面していて、その先には美術館の建物が見える。池の手前には噴水があって、白鳥が水面に遊んでいた。


斜路の左手に広場があって、その中央にヘンリー・ムーアの「ブロンズの形態」と題されたブロンズ像が置かれている。


広場の周囲には手入れの行き届いた芝生があって、その周囲を木立が囲んでいる。木陰に入ると、風が涼しく感じられた。


広場の先にはスイレンとオオガハスの池がある。スイレンは既に花を落としていたが、オオガハスは数個の花を点けていた。


木立の中からはセミの音が甲高く聞こえていて、遠くからウグイスの鳴き声が聞こえてきた。
日中は晴れて青空が広がった。大きな綿雲がゆったりと流れていくのが見える。日中の最高気温は34℃で、真夏日となった。湿度が高く、強い北よりの風が吹いている。暴力的な日射しが照りつけていて、太陽の熱で体がとろけてしまうように蒸し暑い。熱風のような風が吹いていて、外を歩くだけで汗が全身から噴き出すようである。新緑が眩しく、木陰に入ると風が涼しく感じられた。

美術館の建物まで戻ってきた。美術館は2つの建物を回廊のように繋げている。


本館の左手に見える建物の正面には清水九兵衛の「朱甲面」という作品がある。


本館入口右手には鬱蒼と茂った木々の中にフランク・ステラの「リュネヴィル」という作品が置かれていた。


美術館の中に入る。


館内には17世紀のレンブラントによる肖像画、モネやルノワールの印象派の絵画からピカソ、シャガールなどの西洋近代絵画を初めとして、戦後の美術作品に至る幅広いジャンルの作品を収蔵している。
特にピカソの「シルヴェット」、ラトゥールの「花瓶の花」、モネの「睡蓮」、ルノワールの「水浴する女」、レンブラントの「広つば帽を被った男」、シャガールの「ダヴィデ王の夢」等、見応えのある絵画も多くてなかなか面白い。その他にもマーク・ロスコの「シーグラム壁画」による一室は部屋全体が赤茶けた壁画が展示されていて、部屋そのものの雰囲気も含めて楽しめた。

現在は企画展を実施してないことに加え、平日ということもあって、作品群をゆっくりと見ることができたのは良かった。途中、館内の茶席やレストランでお茶をしながら、夏の暑い日射しを避けるように美術館そのものを楽しむことが出来た。
午後、15時前に美術館を後にして東京に戻ることにした。美術館のバスロータリーでバスを待ちながら空を見上げると、青空に雲が北から南にゆったりと流れているのが見える。太陽が雲の隠れて日が陰ったりするものの、しばらくすると強い日射しが雲の合間から降り注いでくる。やがて、無料の送迎バスが来ると、バスに乗り込んだ。

JR佐倉駅から電車に乗る。夜は都内で夕食を食べて帰ることにした。夕食を食べていると、19時57分頃に地震があった。東京区部は震度3とのことだったが、神奈川県西部では震度5弱の地震があったとのことである。
少し落ち着かなくなって、夕食を食べると早々に帰宅することにした。東京駅に出ると、中央線通勤快速電車に乗って帰宅の途に着く。しかし、中央線は山梨県内の大雨と神奈川県西部の地震の影響で遅れていた。電車は40分遅れで、日野駅に到着した。

電車が日野駅に到着すると、電車を降りて改札を抜けた。駅の外に出て空を見上げると、上空には暗い空が広がっていて、薄い雲が所々に浮かんでいる。昼間に比べると気温が幾分下がってきたものの、空気がジトッとしていて、夜になっても蒸し暑い。団地の草むらの中から虫がうるさいほどに鳴いているのが聞こえた。


四国旅行5日目(道後温泉)

2023年07月06日 | おでかけ


今日は晴れ。今日は旅行の最終日である。最後の朝風呂を楽しむために早く起きるつもりが、目が覚めたのは午前6時過ぎだった。
客室の障子を開けると、外はすでに明るくなっていて、上空には雲ひとつ無い青空が広がっている。朝日を浴びた松山城が遠くに見えていた。朝風呂に入り、最後の松山の温泉を満喫すると、朝食を食べる。

ホテルをチェックアウトした後、ホテルの近くにある義安寺という寺に足を運ぶ。この寺は曹洞宗の寺で四国八十八箇所番外札所となっている。


この寺の名前にもなっている義安はこの寺を建立した河野義安から取ったもので、河野氏は当時、伊予を根拠とする豪族であった。豊臣秀吉の四国征伐の際に小早川隆景の説得により降伏し、一族や譜代の家臣が当寺に集結し、井戸の水を飲み交わして二君に仕えないことを約し、自刃して果てたと伝わっている。
本堂で参拝した後、寺務所に寄って御朱印をもらおうとしたが、書き置きしか無いとのことなので、ここも御朱印をもらうことはあきらめた。

ホテルから送迎バスで道後温泉駅に向かう。道後温泉駅から南東に100mほど行ったところに道後公園がある。この公園は先ほど参拝した義安寺のゆかりの深い河野氏の根拠とした湯築城跡で、現在は県立の都市公園となっている。


道後温泉北口から園内に入り、階段を登っていくと、湯釜がある。


この石造りの湯釜は浴槽内の温泉の湧出口に設置するもので、現在の道後温泉本館が出来た明治27年まで使用されていたとのこと。


湯釜上部に置かれた宝珠の「南無阿弥陀仏」の文字は、河野通有の依頼により一遍上人が刻んだものと言われているとのことである。


道後公園の敷地内には武家屋敷や土塀の復元などを内容とする文化財を生かした公園として整備されている。


公園の一角に外堀土塁を切り取って展示しているコーナーがあった。外堀土塁は外堀を彫ったときに出る土を盛り上げて造られており、「掻揚げ土塁」と呼ばれているとのこと。堀と一体となって城の領域を形づくり、敵の侵入を防いだり、城の内部を外から見られないようにする役割を担っている。


公園の中心部には本壇があった場所に展望台が整備されていた。展望台の上からは松山城の天守閣が望めた。


日中は晴れて青空が広がった。薄い雲が所々にたなびいているものの、強い日射しが降り注いでいる。昼間の最高気温は33℃で、真夏日となった。湿度が高めで、西よりの風が吹いている。
外を歩いていると、蒸し暑くて汗だくになってしまったものの、日陰にはいると風が心地よい。茂みの中からセミの音が聞こえているものの、ウグイスの鳴き声も聞こえる。遠くからドバトの鳴く声も聞こえてきた。

道後公園を後にすると、道後温泉駅に向かう。道後温泉駅前の足湯で最後の温泉を楽しんだ後、まずはJR松山駅に向かった。

( 四国旅行5日目(円明寺) に続く )


四国旅行5日目(円明寺)

2023年07月06日 | おでかけ



( 四国旅行5日目(道後温泉) より続く )

JR松山駅に到着したところで、帰りの電車までにまだ余裕があったので、予讃線に乗って、2駅隣の伊予和気駅に向かった。


松山駅から電車に乗って8分ほどで伊予和気駅に到着する。ちなみに伊予和気駅構内にはお好み焼き屋がある。しかし、小さな駅舎を眺めると、どう見ても駅舎の中にお好み焼き屋があるのでは無く、お好み焼き屋に駅舎が併設されているように見えてしまうから不思議だ。


伊予和気駅から歩いて3分の所に、四国八十八ヶ所霊場第53番の円明寺がある。


仁王門をくぐると中門がある。


中門の中に入ると、その先に本堂がある。


まずは本堂で参拝する。本尊は行基菩薩作と伝わる阿弥陀如来である。
その後、大師堂で参拝する。


参道を挟んで大師堂の反対側にある観音堂で参拝を済ませる。


その後、納経所で御朱印をもらった。
大師堂の左脇を廻った所には聖母マリア像を浮き彫りにしたキリシタン灯籠がある。


高さ40cmほどの十字架形の灯籠には合掌するマリア像とおぼしき像が刻まれ、隠れキリシタンの信仰に使われたとの説もあるとのこと。


円明寺を後にすると、再び伊予和気駅から予讃線の電車に乗って松山駅に戻った。


お昼を抜いてしまったので、松山駅で駅弁を買おうと思ったのだが、既に売り切れとのこと。仕方ないので、帰りの電車の中でお茶をするつもりで、駅の売店で四国銘菓「句里タルト」「坊っちゃん団子」を詰め合わせた松山銘菓撰「和魂洋才」を買う。更に麦茶のペットボトルを買い込んだ。

松山駅で休憩と買物をした後、15時28分松山駅発の特急しおかぜ24号に乗って岡山に向かう。


( 松山銘菓撰「和魂洋才」 に続く )

岡山駅に到着したのは18時11分である。
岡山駅で夕食を食べたかったが、切符は往復割引切符が適用されているので、途中下車が出来ないとのこと。仕方ないので駅弁を買って帰りの新幹線の中で食べることにしたのだが、在来線の売店ではほとんどの駅弁が売り切れていた。

とりあえず、残っていた駅弁の中から「黄ニラあなごめしと岡山づくし」という駅弁を買った。更に缶酎ハイを買って、新幹線の改札に入る。


ところが新幹線改札内の売店には駅弁が山のように販売されていた。在来線側の売店で駅弁を買ったのは失敗だった。もっとも買い直すつもりも無いので、駅構内にあるカフェでお茶をした後、20時01分発の新幹線のぞみ60号東京行きの列車に乗り込んだ。


( 駅弁(黄ニラあなごめしと岡山づくし) に続く )

駅弁を食べた後、ICレコーダーに入れた音楽を聴きながら車窓を眺めていると、いつの間にか寝てしまったようだ。気が付いたのは列車が熱海を通過する頃である。
列車が東京駅に到着したのは23時12分である。それから中央線快速電車に乗り換えて、帰宅の途につく。

電車が日野駅に着くと、電車を降りて改札を抜けた。駅の外に出ると、上空には暗い空が広がっていて、星が瞬いているのが見える。湿度が高くてムシッとした陽気である。北よりの風が少し涼しく感じられた。
重い荷物を背負って、家に着くと風呂に入って汗を流す。風呂上がりに冷たいスポーツドリンクを飲んでいると、ようやく落ち着いた気分になった。


四国旅行4日目(道後温泉開運めぐり)

2023年07月05日 | おでかけ


今日は雨ときどき曇り。今朝は5時に起床した。障子を開けて窓の外を見ると、上空には薄い雲が広がっているものの所々に穴が空いて青空が顔を出してる。今朝の気温は25℃で湿度が高く、北よりの風が吹いている。空気がシメシメとしていて、少し空気が蒸すような陽気である。
今日も朝風呂に入ってゆっくりと湯に浸かる。熱い湯は体を活性化させてくれるようである。顔を洗い、髭を剃るとスッキリとした。部屋に帰ってきて外を見渡すと、上空の雲は次第に厚くなって、松山の市街地がくすんで見えた。遠くに松山城の天守閣がそびえ立っていた。


雨は午前8時前に降ってきた。雨は一時、強く降ってきたものの、その後は雨が降ったり止んだりの空模様となった。
今日はホテルで朝食を食べた後、ホテルの近くにある四国八十八ヶ所霊場第51番石手寺に向かう。寺の正面には太鼓橋が直角に設けられていて、寺院の山門には橋のたもとから入る。


山門をくぐって参道を直進すると、やがて正面に仁王門が見えてきた。仁王門は国宝で、左右の仁王像は運慶の息子である湛慶の作と言われているとのこと。


仁王門をくぐると、正面の階段の上に本堂が見えた。


右に三重塔、左に阿弥陀堂がある。三重塔は国の重要文化財に指定されている鎌倉時代の建物である。1階の濡れ縁には住職自らが四国八十八カ所の霊場参りを重ねて、集めた各霊場の砂を布袋に入れて並べてある。砂袋を撫でて心身を回復するという効果があるらしい。


阿弥陀堂には阿弥陀如来が祭られている。


本堂に進んで、参拝する。鎌倉時代末期の建築物で、本尊は薬師如来である。本堂の右手には大師堂があり、ここでも参拝を済ませた。


その後、納経所で御朱印をもらい、仁王門を出る。後でもらったパンフレットを見ると、他にも見所はあったようだが、雨で足下が悪かったこともあって、境内を堪能することが出来なかった。
石手寺の境内に地蔵院という寺院がある。この寺院は伊予十三佛霊場第五番の真言宗豊山派の寺で、本尊は延命地蔵菩薩である。


境内は正面に本堂があり、左手に子育地蔵尊を安置したお堂がある。本堂を参拝して、右手にある納経所で御朱印をもらった。
境内を出ると、一旦ホテルに戻り、ホテルからの送迎バスで道後温泉駅に向かった。道後温泉駅から東の方角に歩いて行くと、伊佐爾波神社がある。


神功皇后・仲哀天皇御来湯の際の行宮跡に建てられたといわれている神社で、京都の石清水八幡宮を模したと言われる八幡造りの赤い社殿が山の上に鎮座している。


階段を登り切ると、目の前に赤い楼門がある。楼門をくぐり、社殿に進んで参拝。その後、回廊を廻った。


社務所で御朱印をもらおうとしたが、書き置きしか無いとのことなので、諦めて境内を出る。境内の東側に抜けると、宝厳寺という寺がある。


宝厳寺は時宗の開祖一遍上人の生誕地である。武家の出身である一遍上人は幼い頃に出家し、各地で盆踊りの起源ともいわれる踊り念仏を広めたことでも知られている。ちなみに時宗総本山は遊行寺であり、以前はこの裏手にある住宅地に住んでいた。これだけでも、何か縁のようなものを感じる。


鐘楼門をくぐり、本堂で参拝する。平成25年8月の火災により全焼した本堂等は平成28年5月に再建し、新たに一遍上人堂も建立されている。本尊は阿弥陀如来である。
本堂の左脇に一遍上人堂がある。内部はミニ博物館になっていて、一遍上人像や一遍聖絵が展示されている。入場無料で、ゆっくりと観覧することが出来た。


寺務所で御朱印をもらおうとしたが、やはりこの寺でも書き置きしか無いとのことなので、諦めて境内を出た。
道後温泉駅と伊佐爾波神社とを結ぶ道路の中程に湯神社の入口がある。


階段を登り切ったところに、湯神社と中嶋神社が設けられていた。両神社のある小高い山は冠山と呼ばれていて、この北側に現在保存修理工事中の道後温泉本館が一望できる足湯が設けられている。
中嶋神社は四国四県の製菓業者によって、兵庫県豊岡市にある中嶋神社の御分神「田道間守命(たじまもりのみこと)」を迎え、四国分社として創建されたとのこと。湯神社は道後温泉の守り神・大国主命(おおくにぬしのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)が祀られているとのことである。

湯神社で参拝する。


湯神社の納経所は閉鎖されていたので、御朱印はもらえなかった。
空の散歩道と名付けられた遊歩道に設けられた足湯に入りながら、保存修理工事中の道後温泉本館を一望する。現在は霊の湯と又新殿、休憩室がある2階以上は休館しているが、1階で入浴することが出来る。保存修理工事の工期は令和6年12月まで(予定)とのことである。


日中は雨ときどき止む。昼間の最高気温は28℃で湿度が高く、南よりの風が吹いている。ムシムシとしていて、じっと立っているだけで汗が全身から噴き出し、水をかぶったようにTシャツを濡らした。額や首筋から汗が滴り落ちて、タオルで拭っても、後から後から滴ってくるようである。
すっかり休憩したところで、今後は道後温泉本館から少し東側にある圓満寺に向かった。この寺は阿弥陀如来が本尊の浄土宗の寺院である。周囲を墓地で埋め尽くしたような小さな寺の境内の一角には「湯の大地蔵尊」を安置したお堂がある。この白い巨大な地蔵尊は奈良時代の高名な僧・行基の作といわれているとのこと。


その後、あらためて道後温泉本館に行き、湯に入ることにした。

( 四国旅行4日目(道後温泉) に続く )