しあわせになるために・・ ~特別養子縁組~

’10年6月に我が子となるマルチャンを迎え11年5月に戸籍上も我が家の『長男』となりました。そんなこんなの親バカ日記です

君は僕の宝物

2013-06-16 00:17:40 | マルチャン 3歳
今週もバタバタしてやっと更新。



伯父ちゃんのお葬式でのお話を書きたいと思います。

マルチャンは伯父ちゃんのお葬式に参列していろいろなことを吸収してきました。
葬儀というものがまず初めてだし、
人が死ぬということも何となくわかっているけども
どんなものかちゃんと理解はしてなかったと思うので
ひとつひとつ説明して、

病気で亡くなって伯父ちゃんは動かなくなってしまったこと。

死んじゃってそのままにしておくと、
人間は腐ってきちゃうから焼いて、その骨を“おはか”に入れること。

火葬場でお骨を拾うところも見ましたし、
実家のお墓参りにも行って“おはか”のことも教えました。

仏壇では、祖父母、曾祖父母の写真(絵だったかな・・)もあり
実家は浄土真宗ですが親鸞聖人の絵もあり、
いつも伝えている“かみさま”も

「このひとが“かみさま”なんだよ」
と、具体的に教えることが出来ました。


人間でも動物でも
物でも・・・

命があって永遠ではないこと。


ひとは、びょうきになったり
「ふるくなったら」しんじゃうんだよ。

と、説明しました。



新幹線や夜行列車でも
古く(?)なって引退する電車もありますよね。


マルチャンは鉄道好きなので
最近は電車からそういうこと(「生き死に」)に興味を示しだしました。


たとえば、
今のE3系の秋田新幹線「こまち」も、いずれはE6系の「スーパーこまち」になって
今の「こまち」は引退していくこと・・。



「「こまち」は、おばあちゃんになっていくからいなくなるんだね・・」


実家で飼っていたネコのチョコ(♂)のことも
「あのネコちゃんは、おじいちゃんになって、ふるくなったからしんじゃったんだよね・・」
と理解していました。


すごい!
なんとなく、「こまち」のネーミングから女性っぽさを感じ取ってるんだね。




「そのあとは、「こまち」はどうなるの?」
の問いには

「うーん。。ふるくなっちゃったしんかんせんとかは、しゃりょうきちでねむるんだよ。
それか、てつどうはくぶつかんとかにかざられるんじゃないかな・・。」



ズバリ「廃車」・・とかって言いにくいですね~




幼稚園の給食も満足に食べていないマルチャン。

家の食事も好きな物ばかり食べます。



「このおさかなはねぇ、マルチャンにたべてもらうためにうまれてきたんよ。
だからたべてくれないと「ボク、、、かなしいぃ~~~~)ウヮ~~~ン
・・・ってないちゃうよ、きっと。」

と、母がお魚の気持ちになって泣いて(嘘泣き)みせると


・・しょうがねぇなぁ、、
とばかりに口を開けてくれます。


「このとりのからあげとかもな、とりさんが、いきてたんだけど
マルチャンにたべてもらってもっとげんきになってもらうためにしんだんよ。
でも、たべてくれたらマルチャンの“えいよう”になって
マルチャンのからだをつくってくれてるねん!
うしさんのぎゅうにゅうも、やさいさんもだよ!」


言い聞かせているといろいろ食べるようになりました。
(まぁ、その時だけですけど・・)
家庭でこういう話をするのは食育として役になっていますね。



伯父ちゃんの話に戻すと、、

お葬式から帰ってからも二人で伯父ちゃんのことは話していました。


私が帰ってからしばらくしても伯父ちゃんのことを思い出し、
泣いていたからです。



その姿を見て、マルチャンは私が言ったことをちゃんと覚えてくれていて言ってくれました。


「おじちゃんは、かみさまのところにかえったんだよ
そして、どこかのいえのあかちゃんになってまたあえるよ」
と。


そうだね。

またどこかであえるね。




生死一体



人間は生まれた瞬間から死に向かって生きている。

如何なる人間も死は免れない。
確実にやってくる事実だ。


でも「死」というものを意識してこそ命の儚さを知り、

そこに「生」の有り難さ、

生きている事への感謝の念が生まれるのだと思います。




毎日何気なく生きていて、慌ただしく日々過ぎていくけれど
改めて思う。


愛する人と過ごせる有難さ。


その尊さを・・・。



大切にたいせつに過ごさなきゃ・・