児童相談所の職員の方が2名いらっしゃって
家庭訪問に来られたのが2/9(火)
この日のために家内中を必死になって掃除をしました(笑)
おかげでかなりの不用品を処分することができました。
(ホントはまだまだ’’仕分け,,すればもう少しスッキリしますが・・)
里親の先輩のお話を聞くと
部屋を見るのは間取りがどんなんか・・というのを
ザーっと見る程度だとは聞いていたので
『見た目はきれいにして押し入れの整理整頓は・・・』
・・・みたいな感じでお迎えしました。
まぁ、足の踏み場もなかった物置部屋だった洋室もスッキリして
案内した時に
「ここが子どもになりますかねぇ」と言ってもらえたのでよかったです。
(もしかしたら子どもを迎えてから引っ越すかもしれませんが・・)
さて、肝心の面談ですが
聞いていた通り、生い立ちから今までのことを根掘り葉掘り聞かれます(笑)
家族関係なども含め、家族との関わり方なども。
まず夫の話からでしたので私は聞いているだけのことが多かったのですが
今まで知らなかったエピソードなんかも聞けておもしろかったです。
夫は第一子の長男なので、
話を聞いてると親の(特に母親やおばあちゃん)愛情たっぷりに育ったんだなぁと思いました。
彼の父親は・・
今は丸くなったようですけど昔は彼のお母さんを大事にしていなかったようで
結構けんかをしていたそうです。
だから夫は反面教師で
「自分が結婚した時は絶対嫁さんを泣かしたりしない
大切にするんだ
」
・・と確信したそうです。
その通りに大切にしてもらっています。
(←スンマセン。またノロケです)
しかし、こんなに愛情たっぷり受けて育ったのに
なぜこんな変人になっちゃったんだろう???
どこでそうなったんだろう???
というのが本当に謎です。
本当に変わってるんです(笑)ウチの夫
どんだけ変わってるのかというと説明が長くなるので割愛させて頂きますが、
でもとにかく饒舌なので児相の人たちも私も終始、感心しながら
彼の世界に入っていってしまいました。。。
話も長くなりまして
「うわ~・・ちょっと奥さんのお話をお聞きする時間がなくなってしまいました~」
・・となり
「では、奥さんの方は後日また
子どもセンター(←児相の名称が変わりました)にいらして頂いて
お話伺わせて頂きます」・・と。
えぇ~~~
あたしひとりぼっちで行かなあかんのぉ~~~
・・・めちゃくちゃ不安なんですけどぉ~。。。
夫のような親の愛情ある思い出話(親が手作りの洋服を作ってくれてたなど・・)
がない私は
ひとりで児相の人たちに
自分の「不幸話し」をしなければなりません。
・・・あぁ、、
話をしてて途中で悲しくなって泣けてくるかもしれません
多分、泣くやろな(笑)
今のうちに紙にでも書いてまとめていこうと思います。
特に人に話をするのが苦手なので
「あわわわ・・・
」ってなってしまわないように(笑)
この日に
「子どもを迎えたらどんな子に育てたいですか?」
という質問をされて、
二人ともあまりそこまでは考えたことがなかったので
まず私に振られたときは回答に詰まってしまいました。
特に子どもに
「こうあってほしい」
「こうなってほしい」というのがなかったので・・・
実際、テンパってしまって
「あわわわ・・・
」ってなり(笑)
なんて答えたか忘れましたが
今、冷静に思えば
「明るく元気にたくましく」育ってくれたら
それだけで十分じゃないのかな・・と思います。
児相の人はその後、
「そのためにはどう育てますか?」
とも聞かれました。
その時もテンパってたので上手く答えられなかったのですが
今は漠然と
「いろいろな人とふれあい、いろいろなことを経験させること」
かなぁ・・と思います。
Mくんのやりたいことはなるべくなんでもやらせてあげたいです。
いろんな世界を知ること。
そこでいろんな立場の人がいることも知るでしょう。
友達をたくさん作っていい人間関係の中で
「楽しい人生だった。
生まれてきてよかった。」と
Mくんが言ってくれるような生き方をしていってほしいです。
そのためには私たちの親としての愛情を注ぐことはもちろん、
ひとりの人間として巣立っていけるように時には厳しくも育てていきたいと思っています。
今まで母との一件があったので
実家に聞きたいことがあっても電話しずらくて避けていたのですが
ちょうど先ほど父から電話がありました。
面談で聞かれるので、小さい頃にかかった病気を教えて欲しかったのです。
(そういう話も親子の間では話して来なかったので・・
)
・・ていうか、そもそも
「私の母子手帳はあるの?」と
母に聞いてみたところ
「え~???・・・さあねぇ・・今頃どこ行ったかわからね。。」と
・・・ま、まぁ、、、予想してましたから別にいいんですけどー
病気も一通り、水ぼうそうやはしかや肺炎などもしたそうです。
(それを今日初めて聞きました)
でもいつ頃かは子ども3人ともよく覚えてないとのこと・・。
(肺炎になったときのエピソードはその当時の再現は何度もしてたので
話は聞いていました。
・・私、死にかけたらしいです。
それを母は病院に連れて行き、助けたんだと恩着せがましく言います
)
とにかく「(子育てはほとんど)祖母まかせだったから細かい事はわからない」
・・ということでした。
とにかく働きづめでしたからね・・・。
仕方ありませんね。
特に祖父には馬車馬のように働かされ、いじめられて苦労してきたようです。
今も当時のことは’’劇団四季,,並みな芝居仕立てで再現してくれます(←母)
昔の育児は大変だったと思います。
オムツも布オムツだったし、洗濯機も今のように便利なものではありませんでした。
夜中までオムツを洗っていると祖父に
「いつまで洗ってるんだ!バカヤロー!」
などと罵られたり、農家だったのでスイカ畑でスイカをぶつけられたりしたそうで・・
再現のお芝居も涙なくしては見れません。
・・・なので、あまり親に構ってもらえなかった幼少時代も
そういう境遇だったのだ・・と幼心で納得していたのでしょうね。
・・ということで3/1に面談がありますが、がんばります!!
・・・はてさて、、
私は母のように子育ての苦労が乗り越えられるのか・・。
・・・の前に児相の面談。。
ちゃんと日本語が喋れるかな?(爆)