海と音楽+お酒 大好きオヤジ

海に魅了されてウン十年、音楽と付き合ってウン十年、そんなオヤジの気ままなページ

昨日友からの電話

2007年03月13日 | Weblog
高校時代のクラスメートでもあり、クラブも同じ、家も近い、Sからの電話をもらった。
彼は、耳鼻科の医者。

彼からの電話は「クラブのさー」から始まった。

もう、オヤジ位の年になると、友人も逝ってしまった者も多く、頭に浮かんだのは
“先輩の誰かがなくなった!”

実際は、「クラブの60周年に向けての確認」の連絡だった。

「フゥー」というのがその時の実感。
10年前に「50周年やったのに」????
は、冗談で「もう、あれから10年も経つんだ」とおもった。

次にきた面白い話題が「長男が来年から大学生で、一時は『DJになりたい!』と言っていた。」でも、

実態がわかって大学へ進学することになったようで。メデタシめでたし。

でも、笑うのはオヤジも次男に中学生になったばかりの時に「お父さん、そこに座って。
自分は、ラッパーになりたいんだ。」といわれた。その息子は今大学一年生。
趣味にするのか、その道に行くのか、真面目に?土日はライブ活動に励んでいる。

息子の中学時代の告白を、嫁に伝えたときの会話「エッ、トランペットをやるの?」
ネタのような話だが実話。

話をSに戻すと、彼の息子と我が次男とは一学年違いということだ。

Sには、酒の飲み方を教わった。
学生時代本当によく飲みに行った。
当時は、酎ハイのデビューのころ。
酎ハイのブームは「むらさき」からのはず、今の「村さ来」。
甲類の焼酎ではなかったような気がする。
一升瓶の焼酎からカクの空瓶へ、キープ無しで1本200円だった記憶が。
当時も確かアルコール度数は25度。
これを、二人で3本とか、3人で5本とか飲んでいた記憶が。

彼は、浪人生活もオヤジより長く、医学部だからオヤジが社会人になったときもまだ学生。
彼は、某H国立大学で、彼の下宿に遊びに行ったとき、やつはスカイメート、オヤジは兄の恩恵で飛行機代ダター、つまり、大学生二人で半額しか払っていなかったことを思い出した。ナハ

社会人になっても良くのみに行ってた。
当然、オヤジのおごりで。
でも、相手はお医者さん、ある日、その立場が逆転、
「オヤジには、ずいぶんお世話になったから今日はおごるよ」
クソー
それ以来、彼の収入とオヤジの収入はグイグイ離される一方・・・・・

さて、昔を懐かしんだから寝るかな!

因みに、クラブはアメリカンフットボール
我が母校は、高校フットボールのパイオニア的な存在なノラ。(なぜかバカボンのパパ口調?)

半世紀を生きてきて懐かしい友からの電話の話だった。