海と音楽+お酒 大好きオヤジ

海に魅了されてウン十年、音楽と付き合ってウン十年、そんなオヤジの気ままなページ

伝説 茅ケ崎ライブ

2006年10月30日 | Weblog
2000年夏 サザンオールスターズ茅ケ崎ライブ

長男が「ボランティアスタッフになりたい」というので地元ボランティアにお願いして加えてもらい、オヤジもお手伝いセネバと参加。
土日が本番。金曜日はゲネをボランティアスタッフやファンクラブのメンバーが見ることができた。
BUT オヤジはお仕事、金曜の夜に帰宅して茅ヶ崎駅南口をいつもの様に帰る。
雄三通りを駅に向かう人の波。「何だ????」と思ったね。
実は、ボランティアがゲネを見れることを知らなかったんだ。トホホ

さあさて、本番土曜日。
ステッフTシャツが配られる。


             前


            背中

茅ケ崎球場の周りは、音だけでも聞きたいファンの人・人・人・・・・・・・・・・
の波。
ファンにも色々なタイプが、酒を飲んでよっぱらっている奴、フジボウルの屋上に上る奴、などなど。(その屋上から落ちて救急車騒ぎもあった。)

球場の周りには規制がひかれ、当然進入禁止。一瞬、それが破られそうになり、群集につぶされそうになった瞬間、警備に入っていたファンクラブの一人が「コンサートが中止になりますよ!!!」の一言。群集は正に潮が引くようにもとのラインを保った。
いい話だろ。
でも、周りの人家の庭に忍び込んでナントカコンサートを見るポジションを探そうとするのもいたり。

マサニ LEGEND なコンサートだったね。
真夏の世の夢。

下のは当日使われたごみ袋、大・小

    ゴミ袋 小


        ゴミ袋 大


地元のボランティアは一生懸命だった。多分、二度とないと思うし、日曜にライブ終了後 「生 桑田」 も見れたし、貴重な経験だったな。

そういえば、オヤジ大学2年の時の軽音合宿、テーマ曲が「勝手にシンドバット」だった。
♪砂まじりの茅ヶ崎~   今何時?そうねだいたいね~♪

今日はダブル、雨が上がってよかった。

2006年10月29日 | Weblog
まず、はじめに「2006ビッグハヤマ・マーケット 」
葉山森戸神社で行われる葉山の一大イベント、通称?ビックリハヤママーケット。


地元の名店が店を出し、葉山らしくワンちゃん連れの家族がイッパイ。

はやまカード協同組合によるイベント
  ・満点カード1枚で1000円分のお買物券と交換(先着500名様)
  ・当日お買い上げポイント2倍セール
  ・ポイント5倍券を10名様、ポイント10倍券を5名様に当たる抽選会

目玉イベントかな、地味だけと好評、横浜から来場者がいたようで。

そして、綺麗な海!!!!



名島:神社裏手の磯辺より沖合い700メートルに浮かぶ小さな島。赤い鳥居が目印です。

食した物:葉山ビール・地ビールが余りスキでない、オヤジに大好評、酷のある濃い目のビール。
地元の魚と野菜で作った鍋汁
草津町商工会のこんにゃくおでん、ちゃんとコンニャクイモからのこんにゃく使用。
歯ざわりが違うし、美味しいんだ。(こんにゃくを買うときは、要チェック、多くのこんにゃくはこんにゃく粉を使用。)

葉山はイイネ。

続いて、息子の通ってる大学祭へ、コッソリ。


葉山から厚木の山の中へ、息子が「大学は山の中だから寒いんだ!」と、夏でも厚木?じゃなくて厚着ででかけるのを、「またー」と馬鹿にしていたけど、実感!
確かに温度が低い。


そして、学食のショーケース、息子いわく「料金は安いけど、元女子大だから量が少ないんだ」 これまた、実感!

最後は、学際の目玉は「品川庄司」のライブだったようで、下の写真はライブ後の抽選会の模様の様?


本日は、これまで。  

ふと、疑問に思うこと

2006年10月25日 | Weblog
オヤジが通う、トレーニングジム。
今の住まいに越して来てから、10年以上会員に。
最近は、忙しくただまじめに会費を払っていることが多いが。
気が付いたら、会員カードが金色になってた。

ウェイとトレーニングを30の手習いで始めて20年。
パワーリフティングに目覚めて、ベンチプレス 115㌔ スクワット 150キロ デッドリフト 170キロ 位までいったんだケドね。

で、本題はジムの清掃係りのこと。
更衣室、さらにはお風呂にも。
清掃係は女性なんだよね。
これが、逆なら大問題だよね。
どう思う。

なんで、赤の他人に裸を見られなきゃいけないの。

逆の仕事があったらやりたいよ?

本当に、どうよ、どうなのよ。
どうデスカ 皆さん!!!

山梨遼平

2006年10月24日 | Weblog
山梨遼平

1979年に、藤岡孝章(元・まりちゃんズ)、板垣秀雄(元・ウィークエンド:山本コウタロー、森一美、板垣秀雄の3人からなるウィークエンド、大ヒット曲『岬めぐり』)と、男性3人のグループ『Do!』を結成し、メジャー・デビュー。

CX系「素晴らしきかな人生」(1993年7月1日~9月16日)の音楽担当:「ともさかりえ」が可愛いかった。
当時こんな娘がほしいと思って見立て記憶が。そんな彼女も一児の母だね。ムムム

長渕剛(オヤジと同い年)と交友が厚く、TBSのドラマ 「RUN」(1993年)では、オカマの源ちゃん(大田原源)役。

彼との出会いは大学2年、確か。
静鉄「音羽町駅」近くの「ガルボ」でのライブが出会い。
弾き語りに魅せられ、ライブのテープをコピーし、中古で「すみや本店」でマーチンHD28を購入。親の脛をかじりながら。
大学4年の卒業ライブでは彼の曲を弾き語りで、大学生活最後のステージ。

身近に感じて、一番好きなシンガーかも。
でも、オヤジが学生のころと芸風?が変って、当時の路線からはかなり離れているなぁ。
数年前、鎌倉でのライブを聞きにいったら、会場にはオバサン・オジサンの多いこと。
まあ、当時もオヤジも立派なオジサンだけど。
熱狂的ファンという感じの集団で、ちょっと、お仲間にはなれないって 感じ。
しかも、かなりお上品な感じの集団、そんなライブにオヤジは相変わらずのアロハで参上。
かなり、浮いてたな、きっと。

最初にコピーした曲

「約束」
一人 二人と 数が減る 駅のベンチで今日は
約束 約束 悲しい 約束

向こうから 歩いてくる人 みんな あなたに見えてくる
今日も 私の好きな 白いシャツで来るかしら

嘘でしょう 愛されたなかった なんて 友達から聞いた
信じられないけれど 笑って逢えるわ


立ち止まる あなたに似た人 ぼやけて見えない
精一杯の 作り笑いも 涙でおしまい

一人 二人と 数が減る 街の明りが灯る
約束 約束 私が消えそう


じばらく、彼のCDを買ってな~い。
今月に新しいのが出たようだから買いにイコーッと。

エミールの庭 〜Le jardin d' Emile〜




C.C.レモン

2006年10月20日 | Weblog
C.C.レモンホール へ昨日仕事の関係で行ってきた。


さて、C.C.レモンホールがわからない人は「渋谷公会堂」ならわかるでしょう。

以前 とはいっても高校生ぐらいのときだからはるか昔、誰かのコンサートで言って記憶が、さすがにリニューアルしてきれいになっていたような。(当時の記憶がないので) 

久しぶりの渋谷、以前の仕事とでパルコ前で数日間のイベントをやっていたので、かなり周辺の道には明るかったんだけど、試しに、澁谷センター街を通っていってみようと。
進んでいくうちに、頭に「みそそば」の文字が。
宇田川交番の裏にある店、と 思いつつ店の名前はわからず進む。
あった!「兆楽」と言う店でした。



これが、みそそばですが、なぜか、タンタンメン(写真無)を食べてしまった。
美味しかった。

その後、道に迷わず無事 CCに到着。
NHKのすぐそば。

表題の「・・・・迷わず行けたモン」は、ちょっと気持ち悪いけが、現在中二の娘が幼稚園年長?さんの時に、「一人で出来るもん」のオーディションを受けに行ったことを思い出し、書いてしまった。残念なら、彼女は落ちてしまって現在に至る。
受けっていれば、今頃アイドル?(親ばかチャンチャコリン 失礼しました。

最近、芸能紙面のお騒がせ

2006年10月18日 | Weblog
大友康平と元メンバー?のハウンドドックの法廷騒動。(オヤジの書きたいことは下のほうだから、最後まで見てチョ

訴訟

2006年9月現在、明らかになっている訴訟は以下の通り。
蓑輪・鮫島が大友・八島・橋本・西山に対して起こしている民事訴訟。
ハウンド・ドッグは6人の演奏活動によって成り立っていると主張し、「ハウンド・ドッグ」の名称の使用権がメンバー6人にあること、2人をバンドに復帰させることなどを求めている。
また、大友の独立によって前事務所との契約が白紙になったことに対する金銭補償も求めている。ロックバンドの活動方針はリーダーの一存で決められるのかどうかが問題の焦点であり、判決が注目されている。2006年9月1日、八島・橋本・西山については和解が成立し、大友以外の5人が結束することとなった。
マザーエンタープライズがイエホック及び大友・八島・橋本・西山に対して起こしている民事訴訟。当時マザーの取締役だった大友が裏営業を行ったこと、大友の独立によって全国ツアーが中止になったことなどに対して損害賠償を求めている。
また、マザーがバンドを解散に追い込もうとしたかの如く発言したことに対しても、損害賠償と謝罪広告の掲載を求めている。
刑事告訴ではなく民事告訴となっていることについて、マザー側の「温情」を指摘する見解がある。
ファンの反応
2006年7月の大阪野音公演と9月の日本武道館公演では、元の6人での活動を求める署名活動が会場外で行われた。
また、一部有志は同年9月1日付日刊スポーツに意見広告を掲載し、同じく6人での活動再開を求めた。
また、6人の関係は既に修復不可能と判断しバンドの解散(休止)を求める声もある。
いずれにせよ、大友がひとりでハウンド・ドッグを名乗り、蓑輪・八島の曲を歌い続けることには批判的な見解が多くみられる。
一方、ひとりになった大友の決意を受け止め、これからも応援していこうとするファンもいる。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

というお話らしいけど

何で、ブログにしたかっていうと、前職のときの「大友康平」ネタをおもいだしたのでチョット。

当時の業界の先輩が東北学院大学出身で、そう大友康平と同じ大学。
大友康平は19561.1生まれ、オッ、学年が一つ上だ!大友康平さんだ。

彼はオヤジの先輩の1年後に大学に入学し、先輩のいる軽音楽クラブへ。

その年、彼はオヤジの先輩を「○○さん」と呼ぶ。(当然!)
しかし、先輩が留年すると「○○君」と呼ぶ。(当然?)
更に、先輩がもう一年留年すると「○○!」と呼んで卒業していったソウナ。

オヤジの先輩は、大友康平さんのことを今でも嫌いらしい。

そういえば、オヤジの大学時代の軽音の先輩に、高校時代「世良正則」に彼女をとられたと言う先輩がいたなぁ。
オッ~トー、世良正則 1955.12.14生まれ、世良さんだ!ナハ

因みに、上の「訴訟」の記事内の鮫島秀樹は、元ツイストのギタリスト。ナハナハ

最近見た映画

2006年10月17日 | Weblog
X-MEN:ファイナルディシジョン
まあ、最近と言っても10月4日だけど、

映画の内容はともかく、この映画も「to be continue」な終わり方。



パイレーツ オブ カリビアンもそうだったし、でも、コレは有名なんだよね。
オヤジは、映画終了後観客が帰らないのでジッとしていたら
出た出た、フムなるほど。てな具合。

今回は、ただなんとなく字幕を見ていたら(実は席を選ぶ時いうつも一番後ろのセンターにしているので出れなかっただけだけど)デタ。

まあ、内容はDVDをまとめて3本借りて見るんでいいんじゃないの、ッテナ感じかな。

しかし、映画を見ながらメールチェックする奴やら打つ奴やら信じられない。
そういうオヤジもメールが来て、いつもバイブにしているオヤジも電源は切るべきと思った。
結構響くんだよね、バイブの音も。

宴・BBQ!!!

2006年10月16日 | Weblog
昨日、葛西臨海公園BBQ広場にて表記宴を開催。

周りを見渡せば、われらの子供ぐらいの若者集団や乳児・幼児を連れたグループやら、
その中で一際場違いな平均年齢50歳をコンマ幾つか下回る集団。

自分が、若者の集団側の年代だったら「あのオッサン達何?」と絶対言ってるな。

自分が飲むことを犠牲にしてまでBBQセットや食材を車で運んでくれたF氏、
一心不乱に炭の火おこしをしていた某C大教授のS氏、
兵站担当天才C嬢、
サラダ&自家製パンをご提供で以外?な面を見て感動したY姉、
高一時代の思わぬいたずらをしてたM氏・芸名:ブラべ、
渡辺謙に似てることを再発見したA氏(彼は自転車で自宅から)、
「この歌嫌いだったんだよな」といいながら人のギター伴奏で歌ってた今回の企画者ミズラン、
そして何より、話題下降担当で高校時代のイメージ崩壊のM嬢と、
本当に楽しかった。

そして、何よりみんなの前で歌わしてもらってストレス解消をしたオヤジ。
つくづく自分はシンガー?何だと感じたなあ。

ミュージカル一緒にやっている音大出身の女性で「私は歌っていないとだめになるので歌う機会を与えて!」
と言っていたのを思い出し実感


最後に中年集団は、観覧車を堪能して帰路に着いた。(第三者的に想像すると気持悪いかも)

しかし、夕日が沈む瞬間を見れたことに感動!!!!


考えさせられること

2006年10月14日 | Weblog
今朝、高校のクラスメートの葬儀に行ってきた。
そう、昨日の閲覧数を喜んでるのは少し、不謹慎だったかも。

いやあ、東京の道は込んでるね、予想をはるか越えて時間かかり、ギリギリ出棺に間に合った。
まいったね。マッタク。

クラスメートは、肝臓が原因で亡くなったよう。
その要因は、医者である彼が知慮した患者さん(C型肝炎)の注射針で傷を受けて感染したとのことで・・・・
正に医者も命がけ。

今回の訃報を受けて、某C大学の教授をしている別同期生が、下記のようなメールをくれた。

各年齢階層別 年間死亡率 (人口10万人対の死亡数で表示)
45~49 ♂ 281.3 (←317.9)  2002年 (←1990年) の数字
      ♀ 140.5 (←166.2)
50~54 ♂ 474.1 (←505.2) 
      ♀ 221.6 (←247.6)
55~59 ♂ 710.2 (←870.7) 
      ♀ 305.5 (←371.7)

 49歳から50歳になって急に死亡率が増えるわけではなく、徐々に増えていくのを,5年刻みでならすとこうなる,という話です。
 本当は,その「中身(死亡原因割合)」も問題なのですが・・・
 50代前半の男性は,毎年1000人に対して4.7人;210人に1人ぐらいの割合で亡くなっていくということです、女性はその半分。 
 うちらの同期は,定員ベースで男270+女135。
 男性については,毎年1人かそれ以上の訃報があっても,まったくおかしくないということです。 
(当然,それは自分自身かも知れないと、マジで考えております)

やはり、半世紀を生きてくるといろいろあるなあ。
残していく家族のことを考えなくてはいけないと、あらためて感じる。

今日も、ギリギリ出棺に間に合ったぐらいに遅かったので、彼の家族のことは情報を取れなかったけど、中学生位の娘さんがいたようだった。
人事ではないなぁ。

先日の定期検診で、肝機能にイエローカードを出されたことだし、
週2日の休肝日を守らねば!トホホ
 

祝 !

2006年10月13日 | Weblog
昨日10月12日(木)に閲覧数が、109でした。

今まで、マックス60程度だったので今朝確認してびっくり!
まだまだ、少ないけど細く長くかな。体系は太いけど、ホットケ(またまた、べたで失礼、一人突っ込み)

感謝、感謝、目指せ「200!!!」