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スペースファンタジー小説「EP列伝」の著者が、日常のとりとめもない話題を書くブログです。

靖国

2006-08-12 00:17:11 | 政治関係
これまで靖国神社について書いてきたが、最後に私の思いを書こうと思う。
正当な理由は正論9月号に譲るとして、ここでは私の心内を述べる。

私が近年の靖国神社参拝を批判する風潮にムカついている理由は主に二つある。
一つめは戦死された方への冒とくで、二つめは残された方への侮辱である。

私は子供の頃、よく戦記物を読んでいた。そこから映像を見たり、
ワクワクしながらプラモデルを作ったりしていた。
なかでも艦船模型のウォーターラインシリーズにハマリ、
艦隊を編制して海戦をシミュレーションしていた。
特に空母や重巡が好きで、空母のパッケージに多数の航空機が入っていると
嬉しかった。

その後、戦記を読めば読むほど戦争の悲惨さが分かり、命の重さを考え、
世界平和を望み、一時は完全平和主義は素晴らしいと思ってさえいた。
いまでも世界平和を望んではいるが、理想と現実は区別しなければならない。

「靖国で会おう」と言う言葉を残し、多くの若者の命が散った。
よくインタビューで戦争は知らない、関係ないなどと若い子が話しているが、
尊い命の犠牲があったからこそ今があることを忘れてはならない。


そしてもう一つの理由。これを書くのは正直悩んだが、やはり伝えなければ
二度と書くことはないと思い紹介することにした。

私の一番上の叔父が靖国神社にまつられている。
もちろん、私が生まれるずっと前の話で聞いた話であるが、
この世の理不尽さを思わずにいられない。

戦争末期、叔父は二十歳前後で日本のため志願して出兵された。
それから間もなく、ソ連が不可侵条約を破り満州などに侵攻してきた。
そこで叔父はソ連に拘束され、シベリアに抑留された。
氷点下40度の過酷な環境の中、強制労働が続き、あと僅かで帰国できる
というときに亡くなられたそうである。

この事実を知ったときの祖母の気持ちを思うと切なさが込み上げてくる。
優しかったおばあちゃんは、節目節目で高齢をおして上京し
靖国神社に参拝に行かれていた。
それを見て、子供心に姿勢を正したものである。

参拝するときの祖母は、A級戦犯など関係なく、ただ、ただ息子の冥福を祈り、
今の平和な世に感謝していたに違いない。


これ以上騒ぎ立てることなく、静かな環境で参拝し、平和な世が続くよう祈れる
環境が一日も早く訪れることを願ってやまない。


「一言」
躰はシベリアの凍土に眠ろうとも、心は日本にある。