25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

気張る矢沢永吉

2019年08月27日 | 音楽

 HDDに録画しておいた「矢沢永吉」のNHKドキュメンタリーを昨晩見た。その前の日に「関ジャム」では矢沢永吉のaug.  sus4, 7th が好きなコード進行の特徴、なぜ乾いた音になるのか、作詞の他人への依頼の内幕に内容ににして7年ぶりに出るアルバムのプロモートをしていた。NHKドキュメンタリーは、日本で録音したものに、アメリカでドラムやギターなどを加えていく矢沢永吉の音作りに密着して紹介していた。

 矢沢永吉を見ていて驚くことはあのスリムな身体を維持し続けていることだ。顔はやや緩み、髭には白髪が交じり、毛髪も少なく、一本の髪の毛が薄くなっているが、テンションは高く、その高すぎるテンションに驚いてぼくは見た。それと英語がまるでダメだった。しかしながら単語でつないでいく離れ業をやっていた。

 通訳を入れる時期もあったらしいが、直接にやりあった方がよいと思うようになり、英語ができなくてもなんとかやっていったらしい。こういう彼のバイタリティーにも驚く。「成り上がり」という本が出たのはぼくが二十代だった。三十代になっていても初めの頃だった。ぼくよりひとつ上だから彼はあの頃まだ二十代か、三十代の初めだったのか。その男が70歳になろうとしていて、アルバムを作る。矢沢節は会話も音楽も変わらない。絶好調のように思わせた。

 「俺、お前」が一番似合う歌手だと誰かが言っていた。

 ひとつ気になったことがあった。ニューアルバムの中にある「いつか、その日が来る日まで...」という歌である。この歌の題がそのままアルバム名になっている。この歌を聞いたら、石原裕次郎の「我が人生に悔いなし」、美空ひばりの「川の流れのように」を思いだした。自分の人生を歌に込める思いをなかにし礼に作詞を依頼し、歌っているのだ。もちろん矢沢節であり、矢沢メロディーである。勝手になかにし礼が作ったのかもしれないが、矢沢はOKしたのだ。

 おいおい、大丈夫かよ。歌が夢だった(だったかな)、そんな歌唄うなよ、と言いたくなってくる。歌手も引退間際や死ぬ前になぜか知らないが、我が人生を歌うことがある。それがちょっと気になったのと、あまりものハイテンションに若さを感じるというより、気張ったおっさんであり、優れたシンガーであり、作曲家であることをどちらの番組も伝えていた。

 もしかしたら今年の紅白歌合戦のスペシャルゲストで出るのかな。70歳、ニューアルバム。話題性はある。