25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

一杯のコーヒーから

2019年08月22日 | 映画

 仕事でちょっと不快なことがあって、そのことで将棋倒しのようにしなければならないことが起きて、その片付けに昼すぎまでかかった。

 昼から早目に買い物を済まして、履正社と星陵の決勝戦の観戦に臨んだ。その前にイオンのパンのコーナーで熱いコーヒーを買った。豆から挽いて作るものである。これが実に香ばしくて美味しいことに、東横線沿いの元住吉に住んでいた頃、駅前に「ミワ」というコーヒー店があったのを思いだした。店内はコーヒーの香りがする。ぼくが好きだったコロンビアコーヒーほど旨いものはないと思ったものだった。ぼくは一時お金に窮したときでも、食べるものを減らしてでも「ミワ」にコーヒーを飲みに行ったことがある。次第にコップに水が充ちてくるようにコーヒーも充ちて来た頃、ぼくもやっち卒業できる日が近づいていた。オイルショックがあり、物価もはね上がった頃だった。

 商店街を抜けようとするところに中華料理店の皿洗いのアルバイトをしていた。その店の主夫婦の子供の家庭教師として今の細君を紹介して、ぼくは有り難がられ、可愛いがっていただいた。「50になったら仕事を止める」と行っていた。「16のときから栃木を出て働いているんだ。もういいよ。あとは好きにするさ」

  大繁盛していた店だった。

  ぼくは大学を卒業し、ご主人が50歳も過ぎた頃、ご夫婦の家を訪ねたことがある。すると、奥さんは近くの

惣菜店でアルバイトをし、ご主人はトラックの運転手をやっていた。「暇すぎてよう。トラックで荷物運んでんだ」

奥さんが、60にもなったら栃木に帰るんだ。もう土地も買ってあるで」と言っていた。その後ご夫婦はどうしたのか知らない。たかだか一年にも満たない期間で、気も利かず、ボーッと皿を洗っていたぼくだった。もうおぼえてもいないのかもしれない。目標をしっかり決めて生きている夫婦だった。働きまくるのもハンパではなかった。夜の閉店10時から翌日の餃子の準備が始まる。奥さんが明るく、ご主人は無口で要らぬことは言わない人だった。物価が上がったにも関わらず、日本の経済は成長していった。

 一杯のコーヒーの味にいろんなものがエキスのように沈殿しているのだ、と思う。