25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

矛盾

2019年08月26日 | 文学 思想

 宮部みゆきの短編小説集の単行本。その中の2篇を読んで、それ以上は読めなかった。題材を死刑囚の養子問題が最初の一篇。次が老人にとっての監視カメラのこと。第三篇目に入ることができず、結局止めてしまった。社会派作家と呼ばれているが、社会的ツールや施設がでてきても、小説というには人間を描かなければならない。しかも彼女の場合、推理小説家でもあるので、その期待にもそわなければならない。若い頃の「地下街の雨」は短編小説集でありながら、サスペンスと社会問題が絶妙に描かれていたと思う。読み手のこころに刺すものがあった。

 宮部みゆきの小説の腕が落ちたというわけではないのかも知れない。ぼくの関心事が宮部みゆきの今の関心事と違うから、ぼくは頷けないのかもしれない。

 「漱石の作品は何歳で読んでも、年齢なりに読めるんですよ」

 大学の生協の書店で教授が熱く語ったのを思い出す。

 今度の「よもやま話の会」は森鴎外の「寒山拾得」である。中国の二人の肩書もなく、無名ではあるが風変わりな僧の紹介話である。30ページほどの短い話である。文章としては練れてなく、工夫も凝らされていない。つまり、本来何百ページを使ってでも、このテーマを書けばおもしろいと思うが森鴎外にはその気はなかったようである。「立身出世」が若い頃の森林太郎の現世を生きるテーマであった。軍医として出世した。自分の留学時代の体験を「舞姫」という小説にした。文豪とも呼ばれた。日露戦争では「脚気」を見誤った。家では母親に楯突くことができなかった。

 墓には全くの個人「森林太郎」と刻んでくれと言ったらしい。森鴎外個人の歴史から眺めると、なぜ森鴎外は「寒山拾得」を選んで書いたのかわかるような気もするが、下手である。ぼくはそう思う。すでに「森鴎外」という名前だけで書いている。

 親が奨めた立身出世。それに応じた自分。離婚をしてまでも母親を大事にした自分。しかたないと思いながらも、「寒山拾得」みたいなものをちょこっと書いて自分を慰めたのか。「森林太郎の墓」と「森鴎外」は最大の矛盾だろうと思う。