25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

ちばてつや

2019年08月05日 | 文学 思想

 「表現の不自由展」で警察は守ってくれないということがよくわかった。韓国にの慰安婦像があったり、天皇像を焼いたりする映像があるいうが、このくらいのことに寛容であればいいではないか。昔禁止されて、今はなんともない作品も多いが、「慰安婦」は事実を争うよりも「日本の戦争の是非」を争う象徴的像とも言える。ぼくらは深く頭を垂れ、反省し、二度と戦争などさせまい、と思うだけである。韓国や作者に怒る気持ちなどない。憤る人々が日本にはいて、その一部の人たちが熱心に抗議する。そういう人たちに現政権は近い。

 こういうことを書いていたら、ちばてつやがテレビに出てきた。「紫電改のタカ」を書いて以降、戦争物は書かなかったが、この頃、自身の体験もあり、戦争は両者、庶民もいっしょになって悲惨極まるものだ、と戦争を知らない人たちに伝えたいと、ちば一家の満州から脱出劇なども書いているという。ちばてつやと言えば「誓いの魔球」「おれは鉄兵」をよくおぼえている。コミカルでもあった。ところが「明日のジョー」は原作が梶原一樹であったことから、雰囲気が違った。二人は最後までこの漫画でコンビを組んでいたが、ちばが書き換えてしまったり、最後の終わりかたまで変えてしまったというからすごい。

かたやで、戦争はだめだというぼくらがいる。かたや、尖閣諸島をとられたらどうするのだ、という人達もいる。

 問題の解決は「話し合い」しかないのである。その前に小競り合いは絶対してはいけないのである。