25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

核爆弾

2016年05月27日 | 社会・経済・政治

  三重県は半年ほど前から「伊勢志摩サミット」のことだけを報道していればいいみたいな雰囲気で、夕方はほぼ毎日「サミット準備」がテーマだった。一体この借金国はサミットでいくら使ったのだろうと思う。

 オリンピック前になるとまた同じようなことになるのだろう。オリンピック後、破綻してしまったアテネ。オリンピック後、破綻するかもしれない日本。アベノミクスの光明は見えてこない。

 経済成長よりも必要な物を必要な数量作る。あまりを出さない経済が仕切られなければならないと思う。どうしてもあまりものを輸出する必要があれば、贈与してしまう。

 財政出動を小渕政権のことからどれだけしてきたことか。それで投じた資金よりも大きく経済は改善したか、と言えば、誰もがNOというだろう。公共工事をすれば経済波及効果があるなどと考えているのはもう頭が古すぎるのではないか。現に堤防を作ることよりも、その分で同じ場所に住宅を建ててあげたほうがよほど経済効果は高い。津波は逃げればいいだけのことである。

 オバマ大統領は広島で演説をするという一方、辺野古基地への移転には積極的である。オバマ大統領がこの際、原子力爆弾を廃棄してしまたったらどうかと思うが、どうしてできないのだろう。やられたら報復しなければいけないからか。これもおかしな話だ。後世に名前を残したいというなら、廃棄してしまえば、絶対に後世に名は残る。核を持つ国が集まって、期限を決めてどうして核爆弾ゼロにまでもっていけないのか。わからんなあ。僕にはこういうリアリストはわからないのである。