25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

裁判争いは被害者の負担が大きい

2016年05月25日 | 日記

   大相撲が終わると、気の抜けた炭酸水みたいになってしまう。夕刻の楽しみが抜け落ちてしまって不如意である。

 裁判は遅々とし、思うようにいかない。やはり交通事故専門の弁護士をつけるべきだったか、などとつい思ってしまう。高等裁判所までいくかどうかは僕の判断ひとつである。どうしても納得がいかない場合。その納得がなかなかにできていない。またどう考えても理不尽さが残っているので、気分が悪い。

 事故の処理というのはやられた側に相当な雑事と負担がかかる。加害者側は保険会社にまかせておけばいいので、安穏といられる。安穏ということばが悪かったら、たいした裁判雑務負担がないと言ってよい。

 決めなければならない時が近づいている。無念さ、諦め をとるか、闘い続けるか。闘い続けたとして、今の和解案よりいいものになるとも限らない。悪くなることも考えられる。

 晴れ晴れとして次のステージに行きたいとを待っているのだが。

 この社会には理不尽なことはいっぱいある。理不尽さに負けるようではストレスの塊になって、それは体にはよくないような気もする。いくところまで行ってさっぱりとする方がいいのではないか、と思ったりもする。つまるグダグダと考えているのである。みなさん、被害者にはならないように。これは損ですよ。そばに争い手続きを弁護士とともにやってくれる時間的余裕のある人でないと難しいものがありますよ。 頭が収集つかなく、毎日が過ぎていく。